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往事追憶

あるイスラエル詩人が言う~
贈人玫瑰 手有余香~人にばらを贈った後、手に余香が残る。

『往事』第一章    (7)

2010-09-05 16:05:46 | 小説
 久しぶり彼女との再会だったが、まさかこんな時、こんな場所
で、こんな姿になった劉雲と再会しようとは夢にも思わなかった。
 あまりにも残酷な再会だった。
 恐怖と悲しみに同時に襲われた私は、どうしても自分の感情
を抑えきれなく、劉雲の冷たい遺体の前で、中津とほかの二人
の警察官の前で号泣した。
 今までずっと冷静に対応していた中津は、ポケットからハン
カチを出して、私に渡しながら「詩音さん、しっかりしてください。
劉雲はこんな形で亡くなったことは、本当に残念で辛いと思う・・
・」と目を潤ませた。
 ほかの二人の警察官は厳しい沈痛な表情でずっと無言のまま
立っていた。
 警察側の許可を得て、例外として二時間ほど劉雲のそばにい
てあげた。
 翌朝の四時頃、私は淀川警察署の車で山之内のマンションに
戻ってきた。
「詩音さん、ご協力ありがとう。しっかりしてください」と中津はマ
ンションの前で私と分かれた。
 私はまるまる一晩中の恐怖、悲痛、不安、疲労に襲われ、とて
も激しい頭痛が起こった。




                    続く

『往事』第一章   (6)

2010-09-04 21:25:10 | 小説
「詩音さん来てくれただけで、劉雲がどれほど喜ぶだろう」と警察官の
中津は言った。
 この時、中津の隣にほかの二人若い警察官も立っていたのが始め
て気がついた。
 私は必死に勇気を出して、涙を抑えながら白いシーツを取ろうとした。
「詩音さん、しっかりしてください、劉雲は特急に撥ねられたので、体は
もうボロボロの状態だった。・・・、特に下半身は・・・」
 中津は言いながら、自分がゆっくりとシーツをとった。
 劉雲だった。間違いなく劉雲だった。
 いつもと同じようにとても綺麗だった。
 彼女は安らかに眠っているようだが、但し、出血の量はあまりにも多く
て、顔色は青白かった。
 普段、「臆病者」だとまわりからよく言われた私は、この時、この場で、
怖さをすっかり忘れてしまった。ただただこの真っ冬の異国で、この寒い
大晦日の夜で、この警察署の中の冷たいコンクリートの霊安室で、劉雲
をぐっと抱き締め、自分の体温で彼女を温めてあげたかった。
 私は啜りながら、視線は思わず中津のシーツを取る手に引っ張られた
ように、劉雲の頭部、胸部、腹部へ移動していく。
 その時だった。あまりにも惨たらしくて見るに忍びない光景は無情に私
の目に入った。強烈な恐怖感に襲われ、私の両手は反射的に自分の目
を遮った。
 劉雲の遺体は上半身しかなかった。



                    続く


『往事』第一章   (5)

2010-09-02 16:46:10 | 小説
 大晦日の夜の御堂筋はとても静寂だった。
 心斎橋から淀川警察署までの距離はそれほど遠くなかったが、広々
とした御堂筋は雪が厚く積って、車はなかなか思うように走れなかっ
た。
 ようやく十三近くにある淀川警察署に着いたのは、すでに深夜零時
過ぎだった。
 警察署の前は慌ただしい空気が漂っていた。カメラを持っているマス
コミ関係者が沢山いた。
 警察官の後について急いで警察署の中に入ってきた私を見て、カメラ
のフラッシュの音とともに、
「ご遺族の方ですか」
「中国人の方ですか」
「亡くなった方をご存じですか」
「・・・」とあちこちから声掛けられた。
 私は無言のまま小走りで警察署の中の霊安室に入った。
 霊安室の真ん中の小さなベットに、真っ白なシーツに覆われていたの
は劉雲の遺体だった。
 私にはいつも小春日のような存在だった劉雲はここにいるはずがなか
ったのに。
 目の前の凄まじい光景をどしても信じられなかった。
   


                  続く





『往事』第一章  (4)

2010-09-01 20:50:29 | 小説
 劉雲と知り合って僅か三年ぐらい。彼女はとても優しくて綺麗だっ
た。いつもお姉ちゃんのように回りに気を配ったり、思いやったりして
いた。たまには大学の生協食堂で彼女と一緒に昼食を食べながら
喋べるとき、まるで小春日と対話するように心の芯までぽかぽかに
なって,心身ともに温もりを感じさせるほどだった。そのうえ、知識も
豊富で勉強はよくできて、指導教官にもよく褒められた。そして、い
ろいろな経験をしてきたしっかりと自分の信念を持っている魅力的な
女性だった。
「劉雲、劉雲、一体何が起こったの?何故こんなバカなことをしたの
?何故こんな寒い冬に、この異国の地で、この大晦日の夜で、こん
な悲しいことをしなければいけないの?いままで誰よりも一番一生
懸命に生きてきたじゃない?・・・」
 私は胸が引き裂かれそうに、真っ冬の夜空を仰ぎながら心の中で
悲痛に繰り返し叫んだ。
 「こんばんは、淀川警察署の中津です。よろしくお願いします」
 大阪府警の車はいつの間にか、私のすぐそばに止まっていた。中
肉中背で眼鏡の優しそうな中年男性の警察官は車からおりて、私に
声を掛けた。
「こんばんは、詩音です。劉雲は今どこですか?」
 私は再び聞いた。
「彼女の遺体は署に運んできたばかり。どうぞ、車に乗ってください」
 私は無言のまま、中津の言うとおりに車に乗った。


                  続く




『往事』第一章 (3)

2010-08-31 12:19:19 | 小説
 どれぐらいの時間が経っていたかを覚えていなかった。受話器から中津の
声は私を現実に呼び戻した。
「もしもし、詩音さん、大丈夫ですか。しっかりしてください。今は詩音さ
んのご協力が必要です。ぜひ力になってください。よろしくお願いします。
先ほど、現場で見つかった劉雲の遺品の中には、中国のパスポートと手帳が
あった。手帳には詩音さんのお名前と住所を書いたのを見て、やむ得ず勝手
に電話させてもらった。夜遅く本当に申し訳ないけど、ぜひ署まで来てくだ
さい」
「彼女は今どこですか」
「現場から運んできたばかり」
「そうですか。わかりました。すぐ支度してからマンションの入口で待って
おります。
 私は急いでテレビを消したあと、コートを着ながら部屋を出た。
 劉雲は何故自殺したかを思いながらエレベータに入った。あまりにも突然
の凶報で頭はパニックになった。
 雪は相変わらずしんしんと飛び交いている。京都から大阪に引っ越してま
る五年になったが、雪は初めてだった。
 真っ白な雪に綺麗に化粧された大阪城は、いつもと違う表情で新しい年を
迎えようとしていた。しかし、私はゆっくりと大雪に覆われている大阪城の
雄姿を鑑賞する心境なんかは全くなかった。あるはずがなかった。


                   (続く)