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日々の雑感をお話しする(時々動画)ブログです。

仕事漬けの毎日なので、仕事の話は多いですが、色々話します。

悪夢

2023-06-04 22:28:21 | 日記
毎晩のように同じようなあらすじの悪夢をみて目が覚める。会社を辞めてからだから23年くらいだ。
夢ではまだ自分は会社に勤めているんだけど、次の勤め先が決まっていないのに人事部に退職願いを出してしまっている。けど、まだ会社にいるんだよ。自分が。行くところがないから。しかし、自分の机はもう無く、なぜか知らない人ばかり。「あの・・・人事部長はいますか?」そう誰か捕まえて聞くんだけれど、全然相手になってくれない。というか、自分がそこに居るなんていうことはみんな無視していて、どんどん仕事をやっている。
「あの・・・間違えて退職願いを出してしまったんですけれど、人事部にそれを撤回してもらうように頼みたいのです。」
そう誰彼構わず話かけるんだけど、みんな無視している。
「やべえ。来月から収入が無くなる。どうしよう。」
すると突然知った顔の上司が部屋に入ってくるんだけれど、やはり俺はそこには居ないように振舞っている。」
諦めて別の部屋に行くのだけれど、知っている同僚が一人も居ない。
「どうなっているんだ?」「俺は本当に不要な人間になってしまったのか?」
だいたいその辺で眼が覚める。喉はカラカラ。頭痛がすることも多い。
時計を見るとたいてい4時か5時くらい。
会社を辞めてからは、安定収入を確保するために東奔西走した。営業に。
物凄い恐怖感は確かにあった。お客さんを得られなければそこで終わりだからだ。お客さんを得ても切られたら終わりだ。切られないように努力をしても切られる時は切られる。
今も心の奥の方では、恐怖感と戦っているのかもしれない。
いや、違う意味で戦っているのかも知れない。自分にはもう存在意義がないんじゃないか。家族にも。ほかの関わっている人にも。近寄らなくなった友達も。
家族に必要なのは、俺自身じゃなく稼いでくるお金。そんな気がずっとしていた。決定的にそう思ったのは、女房が婚約指輪を売ろうとしたことがあってからだ。最近のことだけど。このブログの何回か前に若い時のことを少しだけ書いたが、俺の家は本当に貧乏だった。学生時代は2~3日夜も寝ないでバイトして学費や自分で使うお金を稼いだ。それは就職してしばらくは改善されることはなく、すごく苦労して婚約指輪を買った。35年前に50万円くだいだった。普段もできるファッションリングに近いデザインで、気に入ったようで安堵した。その指輪の費用も、結婚式でかかる費用も、昼は社員食堂で食べると高くつく(社員食堂だから安いんだけれど)ので、毎日自分で弁当を詰めて持っていってお金を貯めた。クルマも持っていなかった。俺のすむ地域でクルマを持ってない人はほとんどいない。電車やバスではどこも行けない。ずっとバイクに乗っていた。雨の日も50キロ離れた職場まで毎日バイク通勤だった。向こうの親は田舎の旧家なのでこちらの事情は全然考えてくれない。きちんとした形にこだわり、俺は結婚式の費用に苦しんだ。当然、親からの援助などない。逆だったからな。
ちなみに、ある若い女性に「婚約指輪を売るということにどう思いますか?」と聞いてみたところ、「私はそういうことにあまりこだわりは無いので何とも思いません。」という答えが返ってきた。今はそうなのかも知れない。
しかし、俺はそれを受け入れることは出来なかった。
俺のすべての愛情を売ってしまわれる気がした。
壊れたメンタルはさらに粉々になった気がした。
なんのために苦しい思いをして働いているのか、ますますわからなくなった。
そして、自分が生きている意味も分からなくなった。

今日は、暑くなったが仕事はうまくいった。そこの事業所の電気主任技術者と元受けの工事会社の人がずっと作業を見ているので疲れたが、よくあることだ。


請負契約

2023-06-03 21:56:40 | 日記
明日は急遽バイオマス発電所の年次点検を請け負うことになった。
応援の業者仲間も1人確保した。
すごく細かいことを言うので、嫌気がさしてくる現場。そして暑い。
電気主任技術者は選任で居て、しかも電験1種を持っている。
「1種持ってるけど、現場は知らねえな。」そう感じた。
大切なのは免許の種類よりも現場実務がどこまでできるかだ。
と力んでも仕方ない。
昨夜の雨で2019年の悪夢を思い出し、うとうとすると本当の悪夢を見て目が覚め、今日は寝不足で思考力は低下。明日の請け負った仕事をするために、明日行く予定だった月次点検も今日大急ぎで回って来た。
月曜日にあと3件回れば今日と昨日行ったお客さんは全部終わる。終わらせなければならない。期日が決まっているから。
人は自分のことしか考えられない。
じゃあ、俺はなんのためにそんなに働くんだ。
なんのために頑張って働いてきたんだろう。日に焼け、熱中症になり、埃と泥だらけになり、墜落しそうになり、寝ずに、休まずに、ケガをして、倒れて、なんのために頑張ってきたんだろう。俺は・・・
夢の如き人生。全ての望みは夢と消えた。欲しかったのは愛情だ。
みんなには普通に手に入るもの。俺には手に入らないもの。
人のために命がけで動いても何も手に入らない・・
それでもまた明日から働く。なんのために?
望みなんか抱いてはいけなかった。だけど、またバカのように頑張るだろう。
俺は、望みなんか抱いてはいけないんだよ!


2019年台風19号

2023-06-02 15:56:17 | 日記


台風19号は多くの雨を降らせ北上して来た。我が町は大きな川が町を南北に分断している。昔、キャサリーン台風では堤防が決壊し、多くの犠牲者と町を破壊した。伊勢湾台風でも。というか、暴れ川で堤防決壊、越流により何度も被害を受けた。その後、上流に大きなダムが2つ出来、町の堤防も強化、最大の弱点の急カーブしているところは、水流が増すと、普段は運動場と公園になっている所に直線に流れるように堤防内は改良された。ただ、一ヶ所だけ弱点があり、町の中心部にある1番古い橋が堤防を嵩上げした結果、右岸左岸とも橋の入り口は堤防より低くなってしまった。両岸とも橋の入り口の横に大量の土嚢が積んであるので、事情を知らない若い頃は不思議だった。「この土嚢なに?」
2019年台風19号が一番近くを通っているころだろうか。この日はどこで何が起こるかわからないから、すぐ出発できる準備だけして家に居た。昼間からものすごい雨と風で停電続発。しかし、台風による停電なのは明白なのでどこにも出動はしなかった。ただ、スマホに登録してある防災メール(お客さんが存在する市町村)と自分の住む町のそれは絶えることなく、中小河川の堤防決壊や、危険水位に達した河川の情報が届いていた。そのうち、お客さんの店舗で自分で設置した絶縁監視装置から「停電」「復旧」を10回くらい繰り返し、最後に「停電」で止まった。そこは堤防が決壊したすぐそばで「ああ、ダメか・・・」とテレビの情報を見たら水位1メートルくらいで町に水があふれているらしい。
すると、ちょっと離れた町の2か所の事業所から、やはり自分の監視装置から
「漏電」「復旧」「漏電」「停電」とほぼ同時に来た。そこもそばの堤防が決壊した情報が流れていた。明日行けるだろうか?そんなことを考えていた。
突然、スマホに「〇〇市役所です。電気室でバケツをひっくり返したような雨漏りがあり、高圧ケーブルの引き込み部分のむき出しのところが水を浴びてしまったんです。」(市役所だから、別々の変電所から2回線高圧がひいてある)続けて「どうしたらいいかわからない。来てもらえないでしょうか?」
役所は川の向こう側に当たる。「川のそちら側の人にも聞いてもらえませんか。橋を渡るのは危険じゃないですか。」俺は別に役所と直接取引は無い。
「それが全員断られてしまって、最後の頼みの綱なんです。」
両方のケーブルヘッドと断路器に水がかかった?じゃあ両方だめじゃないか。
「今は停電してないんですか?」「はい。今は大丈夫です。」
30秒考えた。いずれにしても間もなく地絡か、運が悪ければ短絡だ。そこは昔短絡事故を起こしたことがあって、話には聞いていた。俺は、「短絡」だったら、短絡点より下流側は影響は出ないと考えていたのだが、当事者に話を聞いたら、短絡点より下流の東電のVCTと弱電機器がやられたと言っていた。
短絡の瞬間に波高値の高い電圧が入り込んだんだろう。今回もそうなる可能性はある。そうしたら市民に「避難指示」などの指示呼びかけ装置は全滅する。
「じゃあ、今から家を出ます。どこを通っていけばいいですか?」と聞いた。
町には6つ橋が架かっている。渡れるのは1本だけだそうだ。有名な橋だ。
道路冠水での通行止めが当然あるから。「家を北に出て、国道に出て、あそこのランプで降りて、北進したら一番大きな橋は通行止めになっているので、西に回り込み、〇〇橋の横を通りすぎ1本上流の××橋を渡って、踏切は冠水してるので迂回して東から来て下さい。」
「▽▽橋は?」「降りたところで冠水しています。」家から最短ルートの〇×大橋は?」降りたところで冠水しています。
ルートは1本か。「帰れるかどうかわからない。いってくるよ。」と子供に声をかけ出かけた。「この暴風雨の中を行くの?なんで?」と女房。
家から出て100メートル進んだところで冠水して、車がぷかぷか浮かんでいた。4WDなので一気に通り過ぎた。言われたとおりに進むと問題の堤防より低い橋の横に来た。屈強な男たちがヘルメットをかぶり土嚢を積み上げて、腕組みをして土嚢のところから水位を見ていた。ああ、もう土嚢まで水が来てるよ。(後で聞いたんだけれど、その橋の近所にみんなが手分けして、家から逃げるよう言って回ったそうだ。)事態は思ったより緊迫していた。防災メールの情報ではダムは現在毎秒400トン放流中。23時になったら2倍の800トンの放流になるとのこと。そしたら終わりだ。そんなこと考えて1本上の橋の手前まで来た。ヘッドライトで見える状態は、もう橋の橋脚を超えて、時折橋の上のクルマが走るところへ水が時々巻き上がっていた。足がすくんだ。
止まって考えた。怖かった。わたっている途中で流されるかもしれない。
「帰ろうかな・・・・」
でも、俺が行かないで役所がブラックアウトしたら14万人の市民の何分の1かは間違いなく流される。避難指示・誘導も出せなくなる。防災本部なのだから。
「行くしかない。」普段からもう生きてんの嫌だと思うことがよくあったので、もうダメならそれでいい。俺の人生ここまでだったんだ。
当然クルマなんか走ってないから、すごいスピードで橋を渡り切った。
そして、役所に。
問題の水をかぶったところを見た。もうバリバリ音がしている。
「おお急ぎで、柱上開閉器を本線・予備線両方切りましょう。」
「そうしたら真っ暗になるんじゃないですか?」そう言われた。
非常用発電機を回して、それで賄えるところだけ使うんです。サーバーにも非常電源から行くようになっているから、市民への避難情報は出せます。」そう答えた。「それを防災本部長に説明してください。」と言われた。役所仕事だね。緊急時に何言ってんだ。仕方ない。防災本部室に行き、防災本部長に説明した。本当はそういうときは市長が本部長のはずなんだが、出張中で消防本部長がしれをやっていた。こんな時に出かけるな!
説明しOKをもらって、数人ではしごを持って外へ出た。
「私たちには出来ないのでお願いします。」いい加減にしろと思ったが仕方ない。暴風雨の中、電柱に昇り開閉器を開いた。二本とも。
発電機室で待機している人がいるから、走ってそこへ向かった。途中でディーゼルエンジンの音が聞こえたので、ホッとした。
明日の復旧作業は別の人に頼んで下さい。と頼んだ。
すると誰が走ってきて、「23時からのダムの放水増水は中止になりました。」職員はほとんど全員残っていて、皆万歳と拍手をしていた。放水が増えるとどうなるかみんな知っていたんだな。
また恐る恐る橋を渡り帰宅した。
これは、役所の人も数人しか知らない裏話です。

後日談だが、たいへんな思いをして市役所に出動したのを理解した、仕事を出してくれる電気工事会社の人からの好意で出動料を、工事会社からもらった。半田工電社という、よく仕事を出して頂く工事会社から。担当の人からねぎらいの言葉を頂いて嬉しかった。

高校3年生

2023-06-02 15:54:59 | 日記
仕事から帰り着替えたら「手」が痙攣をおこした。手がこの形で硬直してしまい動かそうとすると激痛が起きる。最近時々起きるんだよな。左足の脛も同じことが起きる。「こりゃ俺も長くねえなぁ」などと思いながら、何とかする。同じような症状を持っていた同業者の10歳以上年下の奴が突然死した。なんか関係あるかもなぁ。
俺が高校3年生の夏ごろ夜中にお袋が帰るとすぐに〇〇子はいるか?とヤクザもんが家にきた。外で言い争っている。これはめんどくせえことになるなぁと考えていた。お袋の男だが金でもめたようだ。お袋はそれまで10年以上夜の社会で生きてきたから、こんなことがいつかおこるだろうなぁと中学生くらいから考えていた。夜の社会に働きに出るまでは、悪い女友達と夜遊びをしていた。長い間。小さいときは俺を連れていきやがった。小さい子供でも親が何をしているかなんて分かるもんだ。小学校は登校拒否。母親は夜だけでなく昼間から遊びに行ってしまうから一人でラジオなんか聞きながら家にいた。親父は酒乱だった。親父の酒乱から逃げるため遊びにいってしまうのか、お袋が遊び人なんで親父は酒に負けてしまったのかわからない。もう、なにもわからない。親父は58歳で死んだ。話を戻そうか。大学受験を目前に控えめんどくせえ事態が起きてしまいこの時初めて「俺の人生はこんなもんなんだ」と思った。お袋は女友達の助けを借りて東京に逃げた。警察にも相談したが民事不介入だと言われた。何か刑事事件を起こせば介入出来るのだけれど。当時は特にだけど、警察は親父に「なんで夜の商売になんか出したんだ」と言った。男は毎日うちの裏の田んぼの向こうの県道に車を停めて双眼鏡で家を見張っていた。俺はわざわざそこから良く見えるところにサンドバッグを吊るし回し蹴りをぶち込んだ。高校も登校拒否生徒だったんだけれど。久しぶりに学校に行ったら「お前、顔が変わったぞ。怖い顔してるぞ。」そう言われた。一部家に出入りしている友達(もう亡くなった)は事態を知っていたので驚きながらも気にかけてくれた。その男は30分おきに電話をしてくる。毎日毎日。一か月ほどしたところで俺は切れてしまった。警察には刺激しないよう言われていたんだけど。電話が来たので「てめえこのやろう、うるさくて勉強出来ねえじゃねえか。お袋の居場所なんか知らねえ。電話しても無駄だ。この時間も無駄だから家にすぐ来い。半殺しにしてやるからすぐに来い。武器持ってきても刺し違えて血だるまにしてやるから!」そして電話をたたきつけた。酒乱の親父は何やってんだ。兄貴は?みんな意気地がねえなぁ。俺が一人でやる。外に出て手をタオルでぐるぐる巻きにして待った。タオルは刃物で切られたときに防御するため巻いた。何時間たってもそいつは来なかった。事態が動いたのは翌日だった。そいつは俺が怖かったらしく、お袋を東京に逃がしたおばさんの家に怒って怒鳴り込み、おばさんを追いかけまわし、おばさんがトイレに逃げてカギをかけたところで「逮捕!」と警察官が現れ連れていかれたそうだ。警察官が時々様子を見に来てくれていたんだ。数年後。次のトラブルも金だった。ある日聞いたことあるような無いような「街金」から電話があった。俺が電話に出たんだけど「おかしい」と思った。親父に話すと、まだ夜の社会で生きていたお袋を家に呼びもどした。問い詰めると、相当な額だった。親父は金はもってねえ。ほとんどの金は兄貴の貯金から。兄貴の貯金を下ろすときは涙が出た。足りない部分は大学に行きながらアルバイトで稼いだ大学の授業料のための貯金で払った。学校行きながら、平日はコンビニの深夜番、土曜の深夜番が終わったら大手スーパーの駐車場整理のガードマン、そのまま日曜の夜はコンビニに深夜番を続けて稼いだ。50万円以上俺も出した。「金が普通にある家にうまれたかったなぁ」と大学は中退した。
「俺って人並の人生を送れるんだろうか」「幸せな家庭を持てるのだろうか」そう思っていた。家庭は持てたが、「稼いで希望を叶えてあげることが一番の幸せなんだろうな」家が欲しいと言われれば一生かけてローンを組んで手に入れた。しかし、連れ合いを満足させることは出来なかった。よく「何もしない」と言われた。馬車馬の如く働いて、睡眠時間3時間とか5時間とか普通だったので、「何もしない不満な亭主」になったのだろう。そして家の不満を言い出した。田舎の旧家の大きな家で育ったんで、「狭い」「物入れが少ない」「冬、窓が結露する」とか、怒りを俺にぶつけるようになった。ほぼ一生かけてローンを払わなくてはならないのに、頭を抱えてしまった。俺のメンタルは仕事の辛さも合わさって壊れてしまった。
もう、苦しんでいても労わってはくれないんだよな。俺はまだ馬車馬のように働いている。
「これが自分の人生なんだな」
もういい。
人生やり直しは出来ない。
自分の人生だ。自分に何か足りなかったんだろう。
もう終わりだ。

2023-06-02 15:49:50 | 日記
ただ「桜」というときほとんどの人はソメイヨシノのことを思い浮かべる。でも、桜にはいろいろ種類がある。俺なんぞそのなかの数種類しかわからん!
これは八重桜。たぶん。どうでもいいんだけど。お金を持ってない人からお金を巻き上げるような詐欺まがいの行為。お金を持っていようがいまいが、窓をたたき割っての押し込み強盗。外での通りがかりの強盗。人殺し。そういうのが増えたね。昔は日本は安全で親切な国だった。カギをかけないで外出していた。ITを駆使した投資話も多く、たいていの人はお金を巻き上げられ辛い老後を送っている。税金は上がり福祉の予算は減らす。今こんな国になってしまった。ひとをだましてお金を手にしてどんな気持ちなんだろう。理解に苦しむ。俺もどちらかというと、騙される側の人間でな。さんざんな目にたくさんあったよ。でも、頑張ればいつかは幸せな生活ができる。そう自分を奮い立たせ頑張ってきたが、人には自分の力ではどうにも出来ない運命があるようだ。俺は大金はいらない。遊んで暮らそうとも思わない。でも、せめて家族だけでも自分のことを大切にしてくれる家庭を持ちたかった。いかんな。こんな思いが頭の中でぐるぐる回り、悲しくて仕方ない。家族から怒鳴られるなんて思ってもみなかった。思えば様子が変わったのは25年前家を買って越してからだ。はじめはよかったのだが、「冬は窓が結露していやだ。壁のクロスがよじれて来た。第一狭い家でもっと広い方が良かった。」そう文句を言うようになった。「そういってもさ、自分で買える目いっぱいの金額の家なんだから、いやいや暮らすのはよそう!」そんなことが年々ひどくなり俺は責められた。親からの援助とかなかったから、自力で買える限界の家だった。責められるたびに落ち込んだ。10年仕事は辛く睡眠時間も少なく、やっと家に帰ると怒られるようになった。箸の上げ下げまで文句を言われた。食べる音が汚いとののしられ、次第に自分が壊れていくのがわかった。
もう壊れたなぁ・・・
修理は不可能か?
生きがいがあればいいのだけれど。
絶対無理な話だけど一週間くらい一人でどこかへ行きたいな。別にテント泊でもいい。これは、下手すると悲しい人生の最後が待っているかもしれないな。