仕事で、お客さんの対応をしていました。
70代ぐらいの、穏やかなおばあちゃんでした。
書類を確認していたら、可愛い男の子の写真が出てきたので、
「お孫さんですか?」とたずねたら、
おばあちゃんの顔が、ますます穏やかな笑顔になって、
何枚かのプリクラも、見せてくださいました。
そして、最後に出した写真は、高校生の男の子の写真で、綺麗にラミネートされていました。
おばあちゃんが、「こっちは外孫なんだけど」と言っていたその写真には、
名前と年齢、住所が記されていました。そして、
「平成23年3月11日、津波の犠牲になりました」とも記されていました。
いつもなら、部活動で学校にいる時間だったけど、その日は、資格試験を終えて自宅に帰って、そこで津波の犠牲になってしまったとのことでした。
言葉が出ませんでした。
おばあちゃんは、「こんな話して、ごめんなさいね。」と言いましたが、
いえ、そんなこと言わないでください。全然ごめんなさいじゃないです。
私は、最後まで気の利いた言葉を発することができませんでした。
なのに、おばあちゃんは、
「ボールペンまで直していただいてありがとうございました。」(おばあちゃんが持ってたボールペンのペン先がうまく出なくて、ちょっとグリップの緩みを締めたら直っただけ)と、最後まで穏やかな、そして思慮深い笑顔で帰って行きました。
心に残った出来事でした。
お孫さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
70代ぐらいの、穏やかなおばあちゃんでした。
書類を確認していたら、可愛い男の子の写真が出てきたので、
「お孫さんですか?」とたずねたら、
おばあちゃんの顔が、ますます穏やかな笑顔になって、
何枚かのプリクラも、見せてくださいました。
そして、最後に出した写真は、高校生の男の子の写真で、綺麗にラミネートされていました。
おばあちゃんが、「こっちは外孫なんだけど」と言っていたその写真には、
名前と年齢、住所が記されていました。そして、
「平成23年3月11日、津波の犠牲になりました」とも記されていました。
いつもなら、部活動で学校にいる時間だったけど、その日は、資格試験を終えて自宅に帰って、そこで津波の犠牲になってしまったとのことでした。
言葉が出ませんでした。
おばあちゃんは、「こんな話して、ごめんなさいね。」と言いましたが、
いえ、そんなこと言わないでください。全然ごめんなさいじゃないです。
私は、最後まで気の利いた言葉を発することができませんでした。
なのに、おばあちゃんは、
「ボールペンまで直していただいてありがとうございました。」(おばあちゃんが持ってたボールペンのペン先がうまく出なくて、ちょっとグリップの緩みを締めたら直っただけ)と、最後まで穏やかな、そして思慮深い笑顔で帰って行きました。
心に残った出来事でした。
お孫さんのご冥福を心よりお祈りいたします。