エホバの王国をふれ告げる証人たち

エホバの証人の世界的な交わりにようこそ!

霊の実を持つ人たち

2007-03-28 20:30:17 | Weblog
8章 Legal Case
(1) リーガルケース(法的係争)
エホバの証人は、法的手順を踏んで扱う問題をリーガルケースと呼んでいる。本部での話し合いをもとに、今回の事件をリーガルケースとして想定すると、三通りの解決のパターンが考えられた。


日本支部の中に誰か真実を愛する勇気のある人がいて、その人が解決に乗り出す。
地帯訪問で扱われる。
統治体が裁定を出し直接扱う。
大会のプログラムなどから判断すると、現実的な可能性はもうほとんどなかった。単に段階を踏むために必要だと考えられた程度にすぎない。
会衆が最も期待していたのはこのコースであった。ただし支部だけが問題で、統治体と本部は正常であるという条件付きであった。
この可能性は少なかった。本部と統治体は組織上は一体なので、切り離して考えることはできないからである。組織全体が腐敗しているという最悪のケースを想定した場合、統治体を経なければならなくなるので、その時に必要となる法的手順であった。
兄弟たちが帰国すると会衆は直ちにこの作業を開始した。

(2) 手順を踏む
<1985年9月中旬~11月中旬話し合いの申し込み>
金沢兄弟は日本支部、広島会衆の代表者小熊兄弟、巡回監督の宮崎兄弟に話し合いを申し入れた。

日本支部には次のような手紙を送ってみた。


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1985年11月10日

ものみの塔聖書冊子協会

親愛なる兄弟たち

言うまでもなく、偽りを語らず真実を証しすることは、伝道者以前の資格とされています。もし明確な偽りを受け入れ偽証を容認するなら、天の法廷に対して不実な者となり、罪を犯すことになってしまいます。(使徒1:1~5)私たちは、そういう意味で人間的であることを示したいとは思いませんでした。

本部では、日本支部の中にも分かってくれる人は必ずいるとおっしゃって下さいましたので、私たちもそのことを期待しています。前の手紙にも記しましたように、私たちは神の権威とその地的ルートを心から認めていますので、何とか話し合いの道を開いてはいただけないでしょうか。話し合えばきっと理解していただけると思いますので、よろしくお願いします。

エホバの恵みと導きを祈りつつ
金沢司


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ものみの塔聖書冊子協会

親愛なる兄弟たち

聖書教育のため貴重な資料を用意して下さることに、いつも感謝しています。私たちもさらにみ言葉の理解を深め、エホバに仕えてゆきたいと願っています。今回、不幸にしてこのようになったのは、本部でも指摘して下さいましたが、少なからぬ誤解や不正確な情報が原因となっていると思われますので、幾らかでもこれからお伝えすることが役立てばと希望します。

東京世田谷会衆の長谷川兄弟からの連絡によれば、私が本部に書いた手紙が問題になっているとのことでしたが、それは本当のことなのでしょうか。本部に手紙を書いて質問しても良いということを初めて聞いたのは、開拓奉仕学校に出席した時でした。その時、巡回監督の葛西兄弟に何度か念を押して尋ねましたが、問題はないとのことでした。数年後の83年12月に、それまで疑問に思っていた教義上の7つの点について質問する手紙を書きました。本部からいただいた返事は極めて啓発的なものでした。どのように、そしてどれほど役立ったかをどうしても一言伝えたくなり、今年の2月に感謝の手紙を書きました。返事を求めたわけではありませんが、親切にも返事を下さいました。ですから内容が問題になることはないと思います。また、もし本部に手紙を書くことが組織上問題になるのであれば、巡回監督が認めるはずはありませんし、本部が返事をよこすこともあり得ないでしょう。仮に何かが問題となっているとすれば、私には分かりませんし、教えていただかなければ理解できない事柄です。

さて、エホバの証人として、また真理の民としてその神エホバにふさわしく偽りを憎み、偽証を避けるべきことは自明の理であると思います。その規準もまた一般社会よりもはるかに高く、使徒5:1‐6の聖句や「崇拝の一致」のp.53に記されているレベルになると思います。言うまでもなく、自分が偽証をしなくても他の人の偽りに加わったり受け入れたりすれば、その罪に与ることになってしまいます。たとえそれが都市の監督や地域監督であっても、さらにはみ使いであったとしてもその原則に変わりはないはずです。もし、特権か立場によって左右されるとすれば、まさに神の考えではなく人間の考えを抱いていることにはならないでしょうか。(マタイ16:23)偽りの父はサタンですし、すべての問題は偽りから始まり、偽りに対する私たちの態度は、主権論争と関っているわけですから。それゆえ私は「人間であれば」と仮定したのであって、人間であると断定したわけではありません。天の法廷の前で関係する人すべてが自らの信仰を表明する機会を持つ方が、人間を喜ばせるよりも優れていると判断しました。良心と信仰は人間および組織の所有物ではあり得ないわけですから、エホバの証人としての本質的identityが関係する場合には、天の法廷に対する責務を明らかにする方を優先すべきであると考えました。加えて私たちには動機に何ら恥じるようなものはありませんでしたので、テープを取っていることは分かっていましたが、そのままにしておきました。私たちの真実を求める叫びはすべて無視されましたので、支部も人間ではないかと考え本部にお願いする以外にないと思ったのは事実ですが、9月に本部に行った時考え方を調整されました。私たちが単に反抗しているのか、それとも真実と公正を求めているのか、そのどちらであるかはヨハネ3:19-21に従って試してみればすぐにでも明らかになることではないでしょうか。

重ねて兄弟たちにお願いしますが、偽りに加わるような信頼のおけない人々ではなく、神の義の規準をしっかりと擁護する兄弟たちを遣わして、もう一度調査していただけないでしょうか。そのようにして天の法廷の前で、人間ではないことを示して下さるよう切にお願い致します。また私たちに間違っている点があれば、どうか教えていただけないでしょうか。そうして下されば、喜んで調整したいと思っています。

エホバの導きと恵みを祈りつつ
金沢司


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上訴委員会の代表者、宮崎兄弟には次のような手紙を送った。


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親愛なる宮崎兄弟

巡回監督として充実した日々を送っていらっしゃることと思います。増し加わった特権と同時に、羊に対する責任も痛感されておられるのではないでしょうか。7月のあの審理から4ヶ月が過ぎ去ろうとしていますが、私たちは変わらずエホバに仕え続けています。ささやかではありますが、ローマ8:38、39を実感できるのは嬉しいことです。

さて、兄弟は私たちが真理を愛しエホバに仕え続けているというこの事実をどうお考えになるでしょうか。もし真実を本当に愛する心があるなら、次の点をもう一度よく考慮してみていただけないでしょうか。

(1) 審理の根拠そのものを否定しているのに何の調査もなされず、証拠もまったく提出されなかった。(私たちは皆なぜ排斥にされたのか、どうして背教者扱いになったのか、いまだに理解できないままでいます)
(2) 一方の側の一方的な見方で結論を下してしまった。(私たちには一度も発言する機会が与えられなかった。)
(3) 提出された質問や願いに対して誠実に答えず、筋違いの返答をし、正直で誠意のある態度をまったく示さなかった。
上訴委員会の決定は最終決定となるだけに、天の法廷に対する責任もそれだけ重くなるのではないでしょうか。真実と真理に基づいて審理がなされていたら、果たしてこのような事態が生じうるでしょうか。ぜひとも天の法廷に対して何を播いてしまったかをよく考えていただけないでしょうか。

私たちは兄弟の巡回区の中にいます。巡回監督は問題を扱うだけの権限と責任を有しておられるはずですので、私たちと会い話し合うことができるのではないでしょうか。兄弟は偽りを憎み、真実を心から愛していることを天の法廷に示す勇気をお持ちでしょうか。そうであることを真に期待しています。

エホバの霊が豊かに働くことを祈りつつ
金沢司


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「間違っているところがあれば悔い改めるので教えて欲しい」とまで伝えてみたが、何の連絡もなかった。日本支部が最初から片付ける気であったことは、これで疑問の余地なく証明された。「援助」というのは、やはり真っ赤なウソであった。

この時期、偽りや偽証は私たちのでっちあげであるとの主張がなされたので、次の聖句をプレゼントしてみた。

「19さて、裁きの根拠はこれです。すなわち、光が世に来ているのに、人々が光よりむしろ闇を愛したことです。その業が邪悪であったからです。
20 いとうべき事柄を習わしにするものは、光を憎んで、光に来ません。自分の業が戒められないようにするためです。
21 しかし真実なことを行なう者は光に来て自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにします。」
(ヨハネ3:19~21)
自分たちが真実を語っているとの確信があるなら、調査を避けたり、逃げたりする必要はない。光を避けるのは、心の中でやましいことをしているという自覚のある証拠である。

<1985年11月中旬~12月悔い改めの勧め>
この頃、事件の発端となったA、K二人の姉妹が悔い改めているとの情報が入った。それで支部に送った偽証に関しても悔い改めるよう勧めた。「エホバはすべてをご覧になっています。神を恐れるなら勇気をもって真実を語ってください。悔い改めが本物であればそうすることができるはずです」という主旨の手紙を二人に送った。加えて、もう二人の当事者笹山、藤原兄弟にも同様に真実を擁護するようにとの手紙を書いた。


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親愛なる笹山兄弟

やはり今回の事件は、実質的にはかなり前からそれも異なった次元で始まっていたようですが、法的には何といってもあの報告、告発がすべての起点になっています。

巡回訪問のとき、瀬野兄弟にお尋ねしたところ、「自分はよく覚えていない。笹山兄弟だったと思うけれどもはっきりしない」と述べておられました。また協会の手紙にも、広島会衆を心配して協会に報告したのは瀬野兄弟ではなく、笹山兄弟であるとされています。

本来会衆のことを気にかけ、それに対し責任を負っているのは確か巡回監督だったと思いますが。そうであれば自分がinitiativeを取ったとすると、上記の反応や協会の手紙の内容はあり得ないでしょう。形式的にはどうであれ、実質上はやはり兄弟があの報告に関する法的責任者ということになります。それにinitiativeを取った本人でなければ、避ける必要もまたないでしょうから…

さて、法的レベルでしかも組織的に物事を扱う時には、特に、fact (単なる行為や事実)とtruth (真理、立証された事実)が問題になると思うのですが。もちろん兄弟もお考えになってのことでしょうけれども、是非もう一度考慮してみていただけないでしょうか。A姉妹、K姉妹、笹山兄弟が感じたこと、思ったこと、考えたこと、それは確かにfactであることに相違はないでしょう。しかし、何人かがfactと考えたことが、それだけで物事全体のtruthになるわけではありません。そのためには、確証、立証のprocessが必要とされます。兄弟自身、何度か明確にその手順を踏まなかったことを認められました。それゆえあの報告は、単なる兄弟たちの次元で事実であっても、物事それ自体および会衆のレベルでは、断じてtruthではないと言い切ることができます。それに報告の時点でその確信があるなら、その後一生懸命になって証拠を探す必要はもはやないでしょうから。そうするとすれば、truthではないことを認める行為と言えるでしょう。しかも、方法が光の子にふさわしい光の方法ではない場合はなおさらそういうことになります。

そこで次に問題となってくるのは、報告が法的係争(legal case)として扱われた場合、それは単に報告で済むだろうかという点です。言うまでもなくlegal caseで真実を語らなければ、それは偽証となります。兄弟もそのことを良くご存知ゆえ、とてもいつもの笹山兄弟とは思えないような不思議なことをなさったのではないでしょうか。ならばもう一歩進んで、地上の法廷に対してだけではなく、天の法廷に対する責任も考えてみるのはいかがでしょうか。主権論争によれば、日常の歩みすべてがlegal caseになりうるわけですし、地上の法廷がどんな決定を下そうと天の法廷が認めなければ、やがて覆されるわけですから。(申命記19:18;箴言19:5、9;21:6;25:18;26:28;使徒5:1‐5)

援助に関しては、兄弟もエホバの名にかけて真実の心があることを明言されたのですから、会衆に反抗的、非協力的な姉妹たちの利己的な訴えにより、一つの会衆を犠牲にしたという事実を顧みるべきではないでしょうか。

私たちは、変わらずエホバに仕え続けていきますのでよろしくお願いします。

金沢司

※ 参考までに

(1) 魂と霊はその人が変化すれば、いくらでも切り離すことができますし、切り離せないのはその人が霊的変化をガンコに拒む場合です。私たちは不敬虔な世の精神をしめ出して、霊的に成長するように勧められているわけですから、切り離せないというのは、「本質的変化は無理だ!しません!」ということをエホバに語っていることになります。

(2) 食物を供給するのは親の仕事であって、友の責務ではありません。食物供給は友愛のしるしではなく、ストルゲーの証明です。フィリアはやはりconfidential talk(親密な会話)及びその理解が特長となります。フィリアとストルゲーを混同すると、友としての理解が与えられなくなるのではないでしょうか。

(これは笹山兄弟の主張に対するコメントである)


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ものみの塔誌、1985年11月1日号には「クリスチャン人格の美しさ」という研究記事が掲載された。その22ページには次のように記されている。

「神に属する男性は権力や目立った立場を手に入れたいという欲望のために堕落させられることはありません。特定の地位に伴う利点もその人の買収には役立ちません。その人には意志力が備わっています。謙遜さを愛していますし、嘘をつきません。エホバに対する健全な恐れを示します。(箴言22:4)これが、神に属する男性に見られるべき特質のいくらかです。神に属する男性には、良心、良い心、正しい動機があります。(Iテモテ1:5, 箴言4:23)義にかなった原則を無視して、良心に反するようなことは行ないません。良い心と正しい動機を持っているので、他の人と接する際に不正な手段を用いることはありません。(ヘブライ13:18)自分の良い動機が汚れた行為や活動によって不純なものとなるのを許しません(ホセア4:11)心が不実にならないよう常に自分を鍛錬します。原則を曲げない人として言行両面で際立っています。-詩篇15:1,2」
(下線は広島会衆)
藤原兄弟には「是非この雑誌に描かれている通りに模範を示してください」と伝えた。以下にその手紙の一つを掲載することにする。


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親愛なる兄弟へ

いよいよ寒さの厳しい季節になりましたが、公私共にお忙しい毎日をお過ごしのことと思います。

広島会衆が兄弟たちによって二つにされてから早くも5ヶ月がたちました。しかし、私たちは心を一つにして伝道、集会を今まで通り続けております。

私たちはエホバの組織に反抗したり、自分から出たのではありません。真の組織に忠誠であろうとしたとき、出されてしまったのです。

兄弟は主人との電話の際、「私は上と下の板ばさみになっている。勘弁して下さいよ」と言われたと聞いております。記憶も新しい1985年11月1日号のものみの塔研究記事にはクリスチャン男性としての美しさは何かについて詳しく載せられておりました。兄弟は立場上この記事は何回もお読みになられたことと思います。特にその中の10節には自分の過ちを認め、「すまなかった、自分が悪かった」と言えるのは特に神に属する男性の証拠であること、またもう一度繰り返して19節には、「自分の間違いを認める時、慎みと謙遜さを十分に培った証拠を提出しているのです」と書かれています。

エホバは、このような心に一片のくもりもないクリスチャン男性を喜ばれるのではないでしょうか。どうぞ勇気を出して、神に属する男性の証拠を示して下さらないでしょうか。広島会衆においでになり今度こそ真実に基づいた公正な裁きをお願い致します。

私たちはすべて間違いがなかったと言っているのではありません。少なくとも排斥になるような罪は神の前に犯してはいません。60人の命がかかっております。なにとぞよろしくお願い申し上げます。


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12月初旬になると、小熊兄弟から悔い改めを勧めた何通かの手紙が返却されてきた。そのとき彼は同時に次のような手紙を送ってきた。


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1985年12月6日

前略金沢司様

度々お手紙をいただいていますが、私としては、会衆の一長老として全面的にその組織の取り決めに従って歩む決意でいます。皆さんが現在排斥者であるという事実は、私が今この組織にとどまっている以上、この件に関するエホバ神と組織の取り決めを踏み越えることはできませんので、一切の交わりを持てないことを意味します。それは単に勇気とか個人的な見解の問題ではありません。私が行動できるのは、「務め」の本のp.149、150の場合のみです。例外はありません。

上記お知らせします。

小熊幸弘


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これにより、当事者たちには真実を擁護する気も、エホバの前に悔い改める気もまったくないことが明らかになった。また彼らの心の砦は組織であること、実際はエホバよりも組織を崇拝していることが証明された。

<1985年12月下旬監督たちへの嘆願>
監督たちへの嘆願を始める前に、A、K両姉妹、笹山、藤原兄弟各人の偽証の書状を作成し、次のような手紙を添えて彼らに送った。


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親愛なる…

私たちは自発的に悔い改め、正直に告白して物事を正してくださることを期待していましたが、そのようにはしていただけなかったようです。私たちとしては、できる限りこの様にはしたくありませんでしたが、エホバのみ名と真実のためにこれらの通知を送ることに致しました。

ここに上げられている偽り、偽証に関して異議があられるなら、届いてから十日以内にその旨を通知して下さいませんでしょうか。もし何の通知もなければ、広島会衆としてはこれらの告発文を承認なさったものとみなさせていただきたいと思います。

産出の規準で考えれば(10月15日号のものみの塔、第1研究記事)余地はまだ残っているのではないでしょうか。真実のエホバの証人であることを、天の法廷の前で自ら示して下さるよう期待しております。

エホバのみ名と王の義のために共に働く

広島会衆

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全員が受け取りを拒否し、何の連絡もよこさなかったので、それらの書状を訴状として特別、上訴両委員会の監督たち(藤原兄弟を省く)に送り、同時に会衆全体で嘆願を開始した。

<1986年1月~3月10日日本支部への嘆願と確認>
「特別、上訴両委員会が真実を擁護し公正な裁きを行なうよう、日本支部として指導してください」との嘆願を7名の支部委員、織田正太郎、杉浦勇、藤本亮介、本間年雄、池端重雄、ジェームス・マンツ、パーシィ・イズラブおよび阿部孝の各兄弟に送る。