(3) 新世界訳聖書の諸問題
1986年7月21日、新世界訳聖書日本語版の翻訳上の問題点に関する質問を支部と本部に送った。回答がなかったので同年11月6日、創世記の翻訳について分析した手紙をさらに本部へ送った。その時、問題として上げたのは次の点である。
誤訳が多い。
極めて冗長である。
代名詞の使い方が無神経である。
難解、あいまい、不透明で非常に意味が分かりにくい表現が多い。
一般に悪訳、悪文の条件として上げられているすべての項目を含んでいる。
上記の点について具体的な事例を上げ、改訳の必要性を伝えたが何の回答もなかった。新世界訳の諸問題については、「欠陥翻訳-新世界訳」(広島会衆発行)の中で詳しく論じてある。
(4)教義上の諸問題
この事件が始まったころ、教義に関する疑問は誰も持っていなかった。悪いのはものみの塔協会の体質であって教義ではない、教えは正しいのだから、やがてものみの塔協会はエホバによって正されるはずであると考えていたからである。ところが去年の秋ごろから、次第に教義もおかしいのではないかと思うようになった。
特に転機となったのは、ものみの塔協会に対する糾弾を開始してからである。これほど偽善的で腐敗している組織に、果たして真理が啓示されるということがあるのだろうか、偽善はエホバの神性やキリストの精神と真っ向から対立するものではないか。教義だけは何も問題がないということがありうるだろうか、これはちょっと考えにくいことであった。教義も大いに検討してみる必要がありそうだと強く感じるようになった。
イエス・キリストは神がどんな人々に真理を啓示するかについて、次のように述べている。
「天地の主なる父よ、わたしはあなたを公に賛美します。あなたはこれらのことを賢くて知能のたけた者たちから隠し、それをみどりごたちに啓示されたからです」(マタイ11:25)
偽善者に真理が啓示される…天地がひっくり返らない限り、そういうことは絶対にあり得ない。だとするとものみの塔協会の教義もどこか間違っているはずである。この推測は外れてはいなかった。やがてものみの塔協会のモードから出るにしたがって、教義上の欠陥が徐々に見えるようになった。
おそらく組織が偽善的な体質になってから作られた教理や明らかにされた預言は、もう一度徹底的に調べて見る必要があるだろう。
現在はっきり間違っているといえる教理の主な項目を上げると次のようになる。
義認
神の組織、サタンの組織
大いなるバビロン
忠実で思慮深い奴隷級
信仰と不謬性
統治体
天的権威と組織の権威
問題点はこれだけではない。日常生活における様々な禁止事項にも問題のある教理は多々ある。こうした教義上の諸問題については現在広島会衆で検討中である。
今後この事件が進展してゆけば、さらに多くのことが明らかになるであろう。
10章 事件の意味と今後の展望
<<ものみの塔協会に救いはない>>
1987年5月1日号のものみの塔誌には、協会の会長F・W・フランズ兄弟の経験が載せられている。読んだ限りではどうしても偽善者が書いた記事とは思えない内容である。神の祝福と保護に対する確信、組織に対する自信に満ちあふれている。組織の実態、真実の状態を知っているならとてもあのような記事を書くことはできないであろう。やはりまったく知らされていないとしか考えようがない。
このような点を考慮すると、もしかすると統治体のメンバーの中にも、今回の事件を通して明らかになった組織の実態を知らされていない人たちがいるのかもしれない。しかし、事態がここまで進展してしまうと、組織の最高指導機関である「統治体」として、「知らなかった、報告がなかった」では済まされないであろう。
少なくとも現時点で組織を実際に指導し、牛耳っている人々は、不真実な行為を完全に意識して行なっている。彼らは叩き上げられ、鍛え上げられた偽善者である。そうでなければ、日本支部の監督たちが示す偽善的な精神が、これほど組織内に蔓延することはあり得ない。また、広島会衆が送った千通を越える手紙を一切無視することもないはずである。やはり最終的な責任は統治体にあるといえる。
法的には疑問の余地がないほど偽善が立証された今、統治体およびものみの塔聖書冊子協会に対し、以下のことが当てはまる。
統治体、ものみの塔協会は大患難を通過することができない。
神とキリストはものみの塔協会と共にはいない。
組織としての霊的パラダイスは否定された。
I. これは当然であろう。キリストの言葉によれば“偽善者”は“盲目の案内人”であり、導く者も導かれる者も共に穴に落ち込むことになるからである。偽善は「霊と真理」による真の崇拝と真っ向から対立する。偽善的な宗教指導者はゲヘナの裁き(永遠の滅び)に値すると述べられている。
II. 説明を要しない。偽り、偽証は神性とまったく相容れないものであり、公約違反はエホバの最も嫌われる事柄の一つである。
III. 霊的パラダイスという言葉は直接聖書の中には出てこないがエホバの証人はこの言葉を“回復された神との関係”を表わすものとして用いている。簡単に言えば、人の心、内面に設立されるパラダイスのような状態ということになるだろうか。
エホバの証人は長い間、「全地はキリストの支配により、まもなくパラダイスに変えられる」と宣べ伝えてきた。この音信の真偽は霊的パラダイスによって証明されることになるのでこの点は非常に重要である。
言うまでもなく、いかにパラダイスのように美しいところであっても住んでいる人々の心が醜ければ、遅かれ早かれ荒廃してしまう。パラダイスができるかどうかは、環境そのものよりむしろ、人の心に大きく依存している。
全地がパラダイスになるためには、まずその前に、人々の心の中にパラダイスが設立されていなければならない。この霊的パラダイスができなければ、全地のパラダイスの話などまったくのナンセンスに過ぎない。偽善者が霊的パラダイスを建設する…ありようはずがない。
こうした事柄はキリスト教にとっては極めて本質的な問題である。これに取り組まずして、真のキリスト教の証しを立てようとしても無意味であろう。いかに奉仕時間を多くしようとも、いかに立派なべテルや王国会館を建てようとも、それで神の律法に対する違反や偽善が贖われることはない。
この点に関するエホバの見方は、アモス書5章22、24節の中に次のように記されている。
「また、あなた方が全焼燔の捧げ物をささげるとしても、その供え物を喜びとはしない。あなた方の共与の犠牲の肥えたものに目をとめない。公正を水のように、義を絶えず流れいく奔流のようにわき出させよ」
したがって、「彼らが私を崇拝し続けるのは無駄なことである。組織の命令を教理として教えるからである」「まず杯と皿の内側を清め、それによって外側も清くなるようにしなさい」という言葉が、ものみの塔協会に当てはまるであろう。今回の事件を通して明らかになった統治体、ものみの塔協会の実態は、私たちの予想をはるかに越えるものであった。これほど幹部が偽善的で尊大であるとは考えてもみなかった。やはり外部の指摘は正しかったのである。
「私が説明した『客観的な立場に立った取材と執筆』という態度選択が気に入らなかったらしい。渉外担当者は私に『(教団のマイナスにならない)証しが欲しい』と要求した。私は『“証し”というのが、自由な検閲を認めるとか、信者になって、批判的な表現を一切しないと約束するという意味ならそれは不可能だ』と答えた。話は物別れに終わった。
その担当者の要求には、ふつうの教団がとっくの昔に放棄しているような強い閉鎖性と、外部に批判はおろか、客観的なアプローチさえ許そうとしない“かたくなさ”があった。
『もう少し社会に教団を開いたらどうですか。急成長している教団ならなおさら、その内部を公開し、社会に教団を正確に理解させる努力が必要でしょう。またその義務もあるはず』という私の主張に対して、その担当者は教科書を暗唱するような、感情を押し殺した、それでいて妙に他人を寄せつけない声音でこういいはなった。
『私たちは私たちで一生懸命やっています。(信者になる気もないあなたや)社会一般なるものに、理解してもらおうとは思いません』…日本支部の渉外担当者の言葉をききながら、私は嫌悪感をおぼえた。よほど取材をやめようかと思った。」(「若者はなぜ新・新宗教に走るのか」p.28、29室生忠著)
幹部が腐敗している教団には一つの明確な特徴が現れると、「宗教の時代-2神様はあなたの頭の“強精剤”」という本は述べている。
「しかし、引き込まれたあと、教団がどのようなかたちでそれに応じているかというと、あいも変わらず布教のための機関紙の拡大、信者の増加といった日常活動を課しているだけである。この場合、幹部が奢り高ぶっていると、信者はかわいそうなことになる。幸福になるつもりで教団に入ったのだが、逆に苦しみを味わうことになってしまうからだ。毎日、幹部から尻をたたかれて活動にはげむわけだが、それで生活基盤を失ってしまったりすると、それはもう悲惨としか言いようがない」(p.168小田晋著)
これも見事にものみの塔協会に当てはまる。このままでは今後ますます、成員に対する「雑誌配布、文書配布、予約の獲得」の圧力は強まることであろう。これ以上悲劇を繰り返さないためにも、幹部の偽善は徹底的に糾弾されてしかるべきである。
まだすべての人の前に統治体、ものみの塔協会の正体が明らかになったわけではない。加えて決着をつけねばならない重大な問題も幾つか残っている。その中にはものみの塔協会の土台となるような教義や預言年の問題が含まれている。最終的な結論を下すには、今後少なくとも3つの点を確かめねばならないが、神が生きて活動しておられるのであれば、どのような方法が選ばれるにせよ、やがて真実は明らかになるものと思う。
<<予想される三つの段階>>
(1) 神の子たちの実態と付随する教理
統治体の実態については、はっきりした。残念ながら彼らには、真実を擁護し非聖書的な組織の体質を改めるつもりはなかった。統治体が神の用いている器でないということは、もはや疑問の余地がない。
ということは同時に、「忠実で思慮深い奴隷級」の教理もまた否定されたことになる。神のみ言葉を擁護しようとしない者は神に忠実な者ではないし、神の権威より組織の権威の方が上であると考え、み言葉を退けても無事でいられると思う者は、少しも思慮深くはないからである。
そこで問題となるのは統治体の各成員を含めた、神の子の実態である。なぜなら、この章の冒頭でも触れたように、統治体のすべての成員が事件の全容を知っているとは考えられないため、成員各人の実態について最終的な結論が出ているとは言えないからである。
統治体は、「地上に残っている神の子の代表である」と主張している。エホバの神性を証明しようとしない統治体を見て、全世界の神の子たちは果たしてどうするであろうか。
事態を正すために立ち上がるなら、確かに本物の神の子と言える。しかし組織を恐れて何もできないのであれば間違いなく“偽物”である。そうなれば14万4千人の教理が否定されることになろう。
14万4千人とは、地上から選ばれて天に上り、霊者となって地上の民を統治する人々であると教えられている。真理、真実に基づいて行動しようとせず、神の民の中でなされた不公正を正すために立ち上がろうとしない人々が、いかにして地上の神の民を公正に統治できようか。無理な話だ。
ところで、この「忠実で思慮深い奴隷」および「14万4千人」の教理はものみの塔協会の骨格をなす教理である。忠実で思慮深い奴隷級の残りの者の数が少なくなっているので終わりは近いと預言しているし、神の王国は14万4千人とイエス・キリストによって構成されると教えているからである。エホバの証人は、この『ハルマゲドン接近説』と『神の千年王国到来説』を最大のセールスポイントにして、組織内部の者には宣教の強制を、組織外の人々にはものみの塔入会の必要を強調してきた。
もし、神の子たちが神の子の証を証明しようとしなければ、神の子の教理が否定される。そうすると神の千年王国そのものも否定され、エホバの証人の伝える音信はその実質を失うことになる。
ものみの塔協会の教義と預言年が崩壊してしまうのである。
(2) 個々のエホバの証人
統治体もダメ、神の子もダメということになったら、最後はエホバの証人一人一人の問題になる。事態がここまで進めば「ものみの塔協会はものみの塔ならずして偽りの塔」になっているはずである。つまり彼らが散々非難してきた大いなるバビロンに、自ら成り下がるのである。
そうなれば次の聖句が当てはまることになろう。
「私の民よ、彼女の罪にあずかることを望まず、彼女の災厄をともに受けることを望まないなら、彼女から出なさい」(黙示録18:4)
その時、真理を心から愛する人は、迷うことなくものみの塔協会から出るべきである。エホバの証人とはエホバを証しする人という意味である以上、エホバの神性と相容れない組織に留まることは神に対して不忠実になるからである。
真理を愛さない不法の人に従うことは、滅びを意味している。
(3) エホバの存在とその神性
ものみの塔聖書冊子協会は自分たちを別名「エホバの証人」と呼び、神のみ名エホバを担う唯一の存在であると主張している。
その「ものみの塔」が「偽りの塔」に変質した時、「エホバの組織だ」という主張をいつまでも許すことは、神の神性からして到底あり得ないことである。またその中に神の聖霊の所産である霊的パラダイスができようはずもない。
ゆえに、エホバ神が本当に存在するなら、必ず統治体とものみの塔協会を裁くはずである。霊的パラダイスを本気で作るつもりであれば、何らかの方法で実現させるはずである。
しかし、ものみの塔も裁かれず、霊的パラダイスも一向に実現しないならどうであろうか。自分のみ言葉であると明言する聖書の中で述べたことを、実際に行なわない神であれば、たとえ存在していたとしても、人類にとっては存在しないのと同じである。
エホバの存在とその神性は、ものみの塔協会に天の裁きが下るか否か、霊的パラダイスが実現するか否かによって明らかにされる。
統治体は、神の子たちは、果たしてどうするであろうか。そして何よりもエホバとキリストは、天の法廷は、どんな判決を下すのであろうか。
もし神の子たちが表わし示されるなら、次の聖句が成就するであろう。
「被造物自体も腐朽への奴隷状態から解放され、神の子の栄光ある自由を持つようになるのです」ローマ8:21
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1986年7月21日、新世界訳聖書日本語版の翻訳上の問題点に関する質問を支部と本部に送った。回答がなかったので同年11月6日、創世記の翻訳について分析した手紙をさらに本部へ送った。その時、問題として上げたのは次の点である。
誤訳が多い。
極めて冗長である。
代名詞の使い方が無神経である。
難解、あいまい、不透明で非常に意味が分かりにくい表現が多い。
一般に悪訳、悪文の条件として上げられているすべての項目を含んでいる。
上記の点について具体的な事例を上げ、改訳の必要性を伝えたが何の回答もなかった。新世界訳の諸問題については、「欠陥翻訳-新世界訳」(広島会衆発行)の中で詳しく論じてある。
(4)教義上の諸問題
この事件が始まったころ、教義に関する疑問は誰も持っていなかった。悪いのはものみの塔協会の体質であって教義ではない、教えは正しいのだから、やがてものみの塔協会はエホバによって正されるはずであると考えていたからである。ところが去年の秋ごろから、次第に教義もおかしいのではないかと思うようになった。
特に転機となったのは、ものみの塔協会に対する糾弾を開始してからである。これほど偽善的で腐敗している組織に、果たして真理が啓示されるということがあるのだろうか、偽善はエホバの神性やキリストの精神と真っ向から対立するものではないか。教義だけは何も問題がないということがありうるだろうか、これはちょっと考えにくいことであった。教義も大いに検討してみる必要がありそうだと強く感じるようになった。
イエス・キリストは神がどんな人々に真理を啓示するかについて、次のように述べている。
「天地の主なる父よ、わたしはあなたを公に賛美します。あなたはこれらのことを賢くて知能のたけた者たちから隠し、それをみどりごたちに啓示されたからです」(マタイ11:25)
偽善者に真理が啓示される…天地がひっくり返らない限り、そういうことは絶対にあり得ない。だとするとものみの塔協会の教義もどこか間違っているはずである。この推測は外れてはいなかった。やがてものみの塔協会のモードから出るにしたがって、教義上の欠陥が徐々に見えるようになった。
おそらく組織が偽善的な体質になってから作られた教理や明らかにされた預言は、もう一度徹底的に調べて見る必要があるだろう。
現在はっきり間違っているといえる教理の主な項目を上げると次のようになる。
義認
神の組織、サタンの組織
大いなるバビロン
忠実で思慮深い奴隷級
信仰と不謬性
統治体
天的権威と組織の権威
問題点はこれだけではない。日常生活における様々な禁止事項にも問題のある教理は多々ある。こうした教義上の諸問題については現在広島会衆で検討中である。
今後この事件が進展してゆけば、さらに多くのことが明らかになるであろう。
10章 事件の意味と今後の展望
<<ものみの塔協会に救いはない>>
1987年5月1日号のものみの塔誌には、協会の会長F・W・フランズ兄弟の経験が載せられている。読んだ限りではどうしても偽善者が書いた記事とは思えない内容である。神の祝福と保護に対する確信、組織に対する自信に満ちあふれている。組織の実態、真実の状態を知っているならとてもあのような記事を書くことはできないであろう。やはりまったく知らされていないとしか考えようがない。
このような点を考慮すると、もしかすると統治体のメンバーの中にも、今回の事件を通して明らかになった組織の実態を知らされていない人たちがいるのかもしれない。しかし、事態がここまで進展してしまうと、組織の最高指導機関である「統治体」として、「知らなかった、報告がなかった」では済まされないであろう。
少なくとも現時点で組織を実際に指導し、牛耳っている人々は、不真実な行為を完全に意識して行なっている。彼らは叩き上げられ、鍛え上げられた偽善者である。そうでなければ、日本支部の監督たちが示す偽善的な精神が、これほど組織内に蔓延することはあり得ない。また、広島会衆が送った千通を越える手紙を一切無視することもないはずである。やはり最終的な責任は統治体にあるといえる。
法的には疑問の余地がないほど偽善が立証された今、統治体およびものみの塔聖書冊子協会に対し、以下のことが当てはまる。
統治体、ものみの塔協会は大患難を通過することができない。
神とキリストはものみの塔協会と共にはいない。
組織としての霊的パラダイスは否定された。
I. これは当然であろう。キリストの言葉によれば“偽善者”は“盲目の案内人”であり、導く者も導かれる者も共に穴に落ち込むことになるからである。偽善は「霊と真理」による真の崇拝と真っ向から対立する。偽善的な宗教指導者はゲヘナの裁き(永遠の滅び)に値すると述べられている。
II. 説明を要しない。偽り、偽証は神性とまったく相容れないものであり、公約違反はエホバの最も嫌われる事柄の一つである。
III. 霊的パラダイスという言葉は直接聖書の中には出てこないがエホバの証人はこの言葉を“回復された神との関係”を表わすものとして用いている。簡単に言えば、人の心、内面に設立されるパラダイスのような状態ということになるだろうか。
エホバの証人は長い間、「全地はキリストの支配により、まもなくパラダイスに変えられる」と宣べ伝えてきた。この音信の真偽は霊的パラダイスによって証明されることになるのでこの点は非常に重要である。
言うまでもなく、いかにパラダイスのように美しいところであっても住んでいる人々の心が醜ければ、遅かれ早かれ荒廃してしまう。パラダイスができるかどうかは、環境そのものよりむしろ、人の心に大きく依存している。
全地がパラダイスになるためには、まずその前に、人々の心の中にパラダイスが設立されていなければならない。この霊的パラダイスができなければ、全地のパラダイスの話などまったくのナンセンスに過ぎない。偽善者が霊的パラダイスを建設する…ありようはずがない。
こうした事柄はキリスト教にとっては極めて本質的な問題である。これに取り組まずして、真のキリスト教の証しを立てようとしても無意味であろう。いかに奉仕時間を多くしようとも、いかに立派なべテルや王国会館を建てようとも、それで神の律法に対する違反や偽善が贖われることはない。
この点に関するエホバの見方は、アモス書5章22、24節の中に次のように記されている。
「また、あなた方が全焼燔の捧げ物をささげるとしても、その供え物を喜びとはしない。あなた方の共与の犠牲の肥えたものに目をとめない。公正を水のように、義を絶えず流れいく奔流のようにわき出させよ」
したがって、「彼らが私を崇拝し続けるのは無駄なことである。組織の命令を教理として教えるからである」「まず杯と皿の内側を清め、それによって外側も清くなるようにしなさい」という言葉が、ものみの塔協会に当てはまるであろう。今回の事件を通して明らかになった統治体、ものみの塔協会の実態は、私たちの予想をはるかに越えるものであった。これほど幹部が偽善的で尊大であるとは考えてもみなかった。やはり外部の指摘は正しかったのである。
「私が説明した『客観的な立場に立った取材と執筆』という態度選択が気に入らなかったらしい。渉外担当者は私に『(教団のマイナスにならない)証しが欲しい』と要求した。私は『“証し”というのが、自由な検閲を認めるとか、信者になって、批判的な表現を一切しないと約束するという意味ならそれは不可能だ』と答えた。話は物別れに終わった。
その担当者の要求には、ふつうの教団がとっくの昔に放棄しているような強い閉鎖性と、外部に批判はおろか、客観的なアプローチさえ許そうとしない“かたくなさ”があった。
『もう少し社会に教団を開いたらどうですか。急成長している教団ならなおさら、その内部を公開し、社会に教団を正確に理解させる努力が必要でしょう。またその義務もあるはず』という私の主張に対して、その担当者は教科書を暗唱するような、感情を押し殺した、それでいて妙に他人を寄せつけない声音でこういいはなった。
『私たちは私たちで一生懸命やっています。(信者になる気もないあなたや)社会一般なるものに、理解してもらおうとは思いません』…日本支部の渉外担当者の言葉をききながら、私は嫌悪感をおぼえた。よほど取材をやめようかと思った。」(「若者はなぜ新・新宗教に走るのか」p.28、29室生忠著)
幹部が腐敗している教団には一つの明確な特徴が現れると、「宗教の時代-2神様はあなたの頭の“強精剤”」という本は述べている。
「しかし、引き込まれたあと、教団がどのようなかたちでそれに応じているかというと、あいも変わらず布教のための機関紙の拡大、信者の増加といった日常活動を課しているだけである。この場合、幹部が奢り高ぶっていると、信者はかわいそうなことになる。幸福になるつもりで教団に入ったのだが、逆に苦しみを味わうことになってしまうからだ。毎日、幹部から尻をたたかれて活動にはげむわけだが、それで生活基盤を失ってしまったりすると、それはもう悲惨としか言いようがない」(p.168小田晋著)
これも見事にものみの塔協会に当てはまる。このままでは今後ますます、成員に対する「雑誌配布、文書配布、予約の獲得」の圧力は強まることであろう。これ以上悲劇を繰り返さないためにも、幹部の偽善は徹底的に糾弾されてしかるべきである。
まだすべての人の前に統治体、ものみの塔協会の正体が明らかになったわけではない。加えて決着をつけねばならない重大な問題も幾つか残っている。その中にはものみの塔協会の土台となるような教義や預言年の問題が含まれている。最終的な結論を下すには、今後少なくとも3つの点を確かめねばならないが、神が生きて活動しておられるのであれば、どのような方法が選ばれるにせよ、やがて真実は明らかになるものと思う。
<<予想される三つの段階>>
(1) 神の子たちの実態と付随する教理
統治体の実態については、はっきりした。残念ながら彼らには、真実を擁護し非聖書的な組織の体質を改めるつもりはなかった。統治体が神の用いている器でないということは、もはや疑問の余地がない。
ということは同時に、「忠実で思慮深い奴隷級」の教理もまた否定されたことになる。神のみ言葉を擁護しようとしない者は神に忠実な者ではないし、神の権威より組織の権威の方が上であると考え、み言葉を退けても無事でいられると思う者は、少しも思慮深くはないからである。
そこで問題となるのは統治体の各成員を含めた、神の子の実態である。なぜなら、この章の冒頭でも触れたように、統治体のすべての成員が事件の全容を知っているとは考えられないため、成員各人の実態について最終的な結論が出ているとは言えないからである。
統治体は、「地上に残っている神の子の代表である」と主張している。エホバの神性を証明しようとしない統治体を見て、全世界の神の子たちは果たしてどうするであろうか。
事態を正すために立ち上がるなら、確かに本物の神の子と言える。しかし組織を恐れて何もできないのであれば間違いなく“偽物”である。そうなれば14万4千人の教理が否定されることになろう。
14万4千人とは、地上から選ばれて天に上り、霊者となって地上の民を統治する人々であると教えられている。真理、真実に基づいて行動しようとせず、神の民の中でなされた不公正を正すために立ち上がろうとしない人々が、いかにして地上の神の民を公正に統治できようか。無理な話だ。
ところで、この「忠実で思慮深い奴隷」および「14万4千人」の教理はものみの塔協会の骨格をなす教理である。忠実で思慮深い奴隷級の残りの者の数が少なくなっているので終わりは近いと預言しているし、神の王国は14万4千人とイエス・キリストによって構成されると教えているからである。エホバの証人は、この『ハルマゲドン接近説』と『神の千年王国到来説』を最大のセールスポイントにして、組織内部の者には宣教の強制を、組織外の人々にはものみの塔入会の必要を強調してきた。
もし、神の子たちが神の子の証を証明しようとしなければ、神の子の教理が否定される。そうすると神の千年王国そのものも否定され、エホバの証人の伝える音信はその実質を失うことになる。
ものみの塔協会の教義と預言年が崩壊してしまうのである。
(2) 個々のエホバの証人
統治体もダメ、神の子もダメということになったら、最後はエホバの証人一人一人の問題になる。事態がここまで進めば「ものみの塔協会はものみの塔ならずして偽りの塔」になっているはずである。つまり彼らが散々非難してきた大いなるバビロンに、自ら成り下がるのである。
そうなれば次の聖句が当てはまることになろう。
「私の民よ、彼女の罪にあずかることを望まず、彼女の災厄をともに受けることを望まないなら、彼女から出なさい」(黙示録18:4)
その時、真理を心から愛する人は、迷うことなくものみの塔協会から出るべきである。エホバの証人とはエホバを証しする人という意味である以上、エホバの神性と相容れない組織に留まることは神に対して不忠実になるからである。
真理を愛さない不法の人に従うことは、滅びを意味している。
(3) エホバの存在とその神性
ものみの塔聖書冊子協会は自分たちを別名「エホバの証人」と呼び、神のみ名エホバを担う唯一の存在であると主張している。
その「ものみの塔」が「偽りの塔」に変質した時、「エホバの組織だ」という主張をいつまでも許すことは、神の神性からして到底あり得ないことである。またその中に神の聖霊の所産である霊的パラダイスができようはずもない。
ゆえに、エホバ神が本当に存在するなら、必ず統治体とものみの塔協会を裁くはずである。霊的パラダイスを本気で作るつもりであれば、何らかの方法で実現させるはずである。
しかし、ものみの塔も裁かれず、霊的パラダイスも一向に実現しないならどうであろうか。自分のみ言葉であると明言する聖書の中で述べたことを、実際に行なわない神であれば、たとえ存在していたとしても、人類にとっては存在しないのと同じである。
エホバの存在とその神性は、ものみの塔協会に天の裁きが下るか否か、霊的パラダイスが実現するか否かによって明らかにされる。
統治体は、神の子たちは、果たしてどうするであろうか。そして何よりもエホバとキリストは、天の法廷は、どんな判決を下すのであろうか。
もし神の子たちが表わし示されるなら、次の聖句が成就するであろう。
「被造物自体も腐朽への奴隷状態から解放され、神の子の栄光ある自由を持つようになるのです」ローマ8:21
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