goo blog サービス終了のお知らせ 

タローさんの、トコトコ♪エッセイ

アーティスト・きしもとタローの、旅の話や、夢日記、想い出話など…

その7『虫…?』

2006-05-17 14:10:03 | アンデスの国…ペルー・ボリビア編
『虫…?』

いつもは道端や広場の外れにある屋台で昼御飯を食べていた私でしたが、ある日突然、「そうだ、たまにはレストラン風の所で、もうちょっとリッチなランチを楽しんでみようかな~」なんて事を思いついて、裏の通りを徘徊し、一軒のレストランを見つけたのでした。ホテルのレストランや外国人向けレストラン・もしくは本当にリッチなレストラン…というわけではない、庶民的なレストラン…というのでしょうか。

二階に上がってゆくと、リッチなのか、そうでもないのか…これまた微妙なファッションの方々が、気分的には少々ノーブルな感じで座っておられます。
ちょうどランチの時間だったので、適当に注文すると、最初にスープが出てきました。私はスープ類が大好きで、今でもどこかに旅に出かけると必ずその地域のスープを注文します。この時は何のスープかよくわからないままランチで注文しましたので、テーブルに置かれるとすぐに「何のスープかなぁ~??」とばかりに皿を覗き込みました。そして、一瞬ギョッとしたのです。何か白い糸の切れ端みたいなのが一面に浮かんでいて、これが虫というか幼虫というか…とにかく、得体の知れないものに見えたのです。「…む、虫??」そのまま皿に顔を近づけたままの姿勢で硬直していますと、ウェイターのオジサンが「何をやっとるんだ、こいつは?」というような表情で、手際よく次の皿を持って来てしまいました。その間も、私の頭の中では「これは虫か??それとも何??」と青ざめた押し問答が続きます。これはラチが開かん、と思い、思い切ってスプーンですくって汁だけを口に入れてみました。これがうまい!うまいけど、白いのは何かわからない。

その時、ふと昔…子供の頃にうちでイナゴを食べさせられた時の事を思い出しました。確か、うちの父親がビールのあてに食べたいとか言って、皆でイナゴを捕りに田んぼへ行った事があったのです。急いで作った木綿の手ぬぐい袋いっぱいにイナゴを捕まえて、上機嫌になった私は、その袋いっぱいに詰まったイナゴを見ながら、これからどうするのかなぁ~と呑気に構えていたのですが、家に帰ると母親が大鍋に湯を沸かし、いきなり「見ときやぁ~」と言うと、生きたままのイナゴをドバッ!とその鍋に放り込みました。一瞬のうちに真っ赤になってゆくイナゴ達!茹で上がると丁寧にとげのある足を抜き取られ、甘辛く佃煮にされちゃいました。その後、小鉢に盛付けられたり冷まされて瓶詰めされていく様を、まるで写真のスライド・ショーを見てるような…時間軸を失くしたような気分で私は見ていたのでした。これって一種のトラウマ?何で、こんな時にあの光景がよみがえるかなぁ…と、思ってたら今度はオーストラリアの先住民の人達がカブトムシの幼虫みたいなのをおいしそうに食べてた映像や、ジャングルの中で木の幹を斧で割り、中から出てきた虫の幼虫を葉っぱにくるんで火にかけて蒸して食べてる絵を本で読んだのとか…何かいろいろ出てきた!

学生の頃、D島の地下のうどん屋で、食べてた饂飩のどんぶりからデッカイ羽の虫が出てきて(羽はほとんど無くなってた…ということは僕の口の中に入ったのかな?)、文句を言ったら出てきた店員がその虫見て「きゃ~っ!!」と叫び、急いで新しいの持って来てくれたのはいいけど、食べ終わった後で「これは当然タダになるのかな」とか思ってレジに行ったら、なんと半額請求された!「なんで!?」と聞くと「…だって半分食べられたから…」などとほざきやがったあの店員の顔!虫のダシで羽ごと客に食わせながら平然と半額請求してきよって~!あの顔が何でこんな時に出てくるかなぁ…(ちなみにそのK屋は今でも営業しています)。

とにかく、目の前に並んだ二つの皿を眺めながら、走馬灯のごとく脳裏に蘇る記憶の数々を打ち消しつつ「う~ん、もし虫だとして、これは重要なタンパク源かも知れんではないか!」などと考えながら、決心つくのを待ってると、後から出てきた皿にのった肉団子から、今度は謎の黒い毛が出てるのを発見!「これは…間違うことなき毛であるが…動物の毛か、それとも料理人の毛か??」目の前の第一ハードルで頭一杯になっていたのに、いきなりその向こうにもハードルがあったので、しばし愕然とし、思わず周りの人々をぐるりと見まわしました。すると、何故かハイソな雰囲気でナイフとフォークを上品に使い、食をすすめている皆さん!「う~ん、これは動じてる場合じゃないぞ。まだ次のハードルが控えてるかも知れん…」そう思った私は、意を決して、まずは肉団子から出た毛をつまんで引っ張ってみることにしました。「うりゃっ!」…すると、それが結構長いではありませんか!出てきた毛をテーブルの白いクロスの上に置き、私は分析を始めました。う~ん、わからん。動物といえば動物の毛にも見えるが、案外、野性的な料理人の毛かも知れん。テーブルの上に置いた毛を凝視する私を、ウェイターのオジサンが怪しんで横目で見ています。う~ん、これ以上不審な行動は出来ん。私は、覚悟を決めて両方食べる事にしました。すると…「!?うまい!!」そう、おいしい。どうなってるんだ??

結局、肉団子は何の肉団子かわからずじまい、謎の毛は動物の毛なのか野性的な料理人の毛なのかもわからずじまいでしたが、あの白い糸の切れ端のようなものは、かの有名な「キヌア」だったのです。スーパー穀物と言われるキヌアは、この頃はまだ日本国内ではほとんど知られていませんでした。煮込むと、中心の部分が透明のタピオカの粒のようになり、胚芽部分?か何か端っこの繊維質が分離してスープに漂うのです。これが虫に見えたんですよねぇ。それ以来、私はすっかりキヌアにはまってしまい、日本に帰ってもキヌアを入手してスープを作るようになったのです。ボリビアではキヌア歯磨きを見つけて、毎朝愛用していました。これも結構、おいしい~!?

その6『オオトカゲ』

2006-05-17 14:07:59 | アンデスの国…ペルー・ボリビア編
『オオトカゲ』

ある日広場に出かけると、大きな人だかりが出来ていました。その人だかりの中心から、時折奇声とも叫び声ともとれないような不思議な声が聞こえます。一体何なんだろう?人垣を掻き分けて前の方に行くと、そこには異様な光景が!!

何と、オオトカゲやワニみたいなのが、この、高度3600メートルの街の石畳の上で、何故かノタノタと動めいているではありませんか!?しかも、上半身裸で東西南北どっから見ても怪しい浅黒い肌の男が、人だかりとオオトカゲ達の真ん中に立っていて、手にマヨネーズのような…何だかよく分からないものを持って口上を述べております。何を言ったのか早口でわかりませんでしたが、人だかりから「オォ~ッ」と声が上がると、突如手に持ったマスタード色の、マヨネーズのようなそのよくわからんものを自分の背中に塗りたくり始めました。そして腰をグイッと落として背中をオオトカゲの方に向けると…何とオオトカゲ達が男の背中に前足をかけて、塗りたくられたマヨネーズみたいなのを舐め始めたのです。それと同時に湧き上がるどよめきの声!目を伏せる群集…!
「うおおおおおお!」「ひいいいいい!」

…う~ん、はまれない…この状況に。何をやっとるんだ、この人達は。背中を舐められながら、どこか得意な表情を浮かべる浅黒で細身の男に、半ば脱力…と言うか、ズッコケそうになっていると、小さな男が帽子のようなものを持って、観衆からお金を集め始めました。入れるのか?この芸に…金を??て言うか、これは芸なのか??私の予想とは裏腹に、帽子というか袋には、次々に小銭が入っていきます。「う、うけてる…」そう、うけているのです。よく見ると、オオトカゲだけじゃなく、広場は何だか興味深い人々で溢れています。広場のあちこちに紐をぶら下げた男達がウロウロしており、その辺に腰掛けてたり、オオトカゲのような芸を見入ったり、街頭演説をする男の話に野次を飛ばしたりしています。年齢は結構高いみたいだけど、このオジサン達は一体何やってるんだろう?

これは後日わかった事なのですが、この人達は朝一番に、あのオバちゃん達の屋台と荷物を担いで村から街に運んでくる仕事のオジサン達だったのです。朝、屋台がセッティングされると、夕方にオバちゃん達の仕事が終わって屋台を片付けるまではやることがないので、こうして屋台を運ぶのに使う紐を肩からぶら下げて、出番が来るまでブラブラしてるんですね。そんなオジサン達や、山高帽にステッキを持った怪しげな爺さんが、靴磨きの子供に混じって、辺りをウロウロしてるのです。何か奇妙な空間…。

ふと横を見ると、石のブロックの上に腰掛けたオジサンが、顔の表情を次々に変えています。何があったのか?口をゆがませたり目をむいたり…一瞬、おかしくなっちゃったみたいです。思わずビビッて横目で見ていると、通りの向こう側にも同じ様なヘンテコな顔になっている爺さんが…。そう、通りのこちらとあちらで、なんと大の大人二人が昼間っから「にらめっこ」をしているのです。しかも、ステッキをクルッと廻したり、なかなかかわいい。こんな風に、広場でじっと座ってるだけで、何だか不思議に退屈しない。それどころか、出来ることならじっと見てたいような魅力的な謎めいた人々がいっぱいなのです。

その5『効いたよ!?』

2006-05-17 14:06:29 | アンデスの国…ペルー・ボリビア編
『効いたよ!?』

その謎の薬を飲んで横になると、ボーイの彼は少し掃除をしながら、「ところでボリビアに何しに来たの?どこか行きたいところあるの?」と私に話しかけてきました。天井をぼんやり見ながら「子供の頃からケナ(ケーナ)を吹いてるんだよ。だからずっと南米に来たかったんだ。」と答えると、突然彼は元気な声で「じゃ、ケナ持ってるのか?」と言ってカバンの方に目をやりました。「もちろん、あるよ。日本の竹で作ったヤツが。ボクが作ったヤツ。」私は、日本とアンデスの空気の中で、同じ笛の音がどう違うのか試してみたくて、日本の竹で作った笛を持ってきていたのです。ボーッとしながら、そのうち元気になったら吹いてみようかな…♪なんて思っていると、「それはすごい!今出して!見せて!今吹いて!今!」と騒ぎ出すではありませんか。この~っ、たった今、高山病の頭痛で苦しんでるの見たとこやろ~!何の薬かわからんような薬飲まされて青ざめてる、可哀そうな日本人青年つかまえて、今!今!って、一体何言い出すんじゃぁ~?!思わずのけぞってると、「音楽がすごく好きなんだ。ボクは出来ないけど。聴くのは大好きだし、いつも聴いてるよ。日本人のケナも是非聴きたいな~!」と、またもや屈託のない顔で罪な要求を…ホントに、あんまり考えんと喋っとるな、この男は。

「いや、今、頭痛いから、また今度ね。」「ちょっとだけ!今、ちょっとだけ吹いて!すごく聴きたいから。」くくく…どう言ったろか、この男。「高山病で(酸欠で)頭痛いんだよ。笛なんか吹いたら…」「そういう時に吹いたら、頭痛いの直るよ。だから、今吹いてみて!」「んん??いやいや、頭もっと痛くなるだろ?」「笛を吹いたら元気になるから、頭痛いのも直るよ!そういう話を前に聞いた事ある!」どんな話や、それは!?お前がただ元気になるんとちゃうんかぁ?!大体誰や、そんなこと言うヤツは…困りながらも彼の強烈な押しに負けて、私は仕方なく笛を出し、簡単にチョチョッと吹いてみることにしました。重い体を起こして、笛を構え、息を吹き込むと、二、三音で「…すごい音だねー!!」と彼が感嘆の声を上げました。しかし、驚いたのは私の方でした。あまりに突然の体験だったので、思わず笛を口から離しました。音が信じられないくらいに「とおる」!響きが勝手に大きくなるような、音がスパーンと四方に抜けていくような、それは日本で体験したことのない、全く新しい感触だったのです。

よく「音の違いは楽器の違い」と端的に考えてしまう人も多いのですが、空気…その違いが生む響きの違いに、本当に驚いたのです。その後短いフレーズを吹いてみて、彼も喜んでくれたし、何だかもうそれ以上吹く必要もなくなってしまったので、楽器をしまい、再びベッドに寝転びました。音や響きに関する感覚がこっちの人は自然に違うだろうな…当然、奏法に関しても、楽器の製作に関しても主眼が変わってくる…面白い~!一人で部屋で寝転びながら、あれこれと思いをめぐらせている内に、私はいつの間にか眠ってしまいました。

しばらくして目が覚めると、「頭が痛くない!!??」まだ完全ではないけど、あの頭痛が結構ましになっている。時間が経って治っただけなのか、コカ茶が良かったのか、それともラッキーなことに下剤じゃなく本当に頭痛の薬だったのか、それとも笛を吹いたのが良かったのか…?ともかく、効いた(何かが)!!
調子を戻した私は、寝てりゃいいのに、いてもたってもいられなくなって、再び外に出かけました。昨日よりはゆっくりと、慎重に、でも再び暗くなるまで街のあちらこちらを歩きました。そんな風にして、私の最初の2日間が過ぎたのです。

その4『そうでもなかったぁ!』

2006-05-17 14:01:01 | アンデスの国…ペルー・ボリビア編
『そうでもなかったぁ!』

ホテルの食事が一番おいしくない…そんな事を知人から聞いていた私は、最初の日から(旅行者はその辺で食べたりしない方がいい…と本には書いてありましたが)路上で何か食べてるオバちゃん達に近づいていき、そこでオバちゃん達と同じ物を注文して、そのまま地べたに座ってオバちゃん達と一緒に食べていました。また、これが美味しそうに見えるのです。米はタイ米のような長粒米で、でっかい鍋で湯がいて布にあげさらしたものでパサパサしています。トウモロコシの粒は大きさも色もまちまちで、でっかいのはやたらでっかい。これも少し粉っぽいのですが、それをシチューのようなものにからめたりして食べます。とにかく、色んなものが初めて食べるものなので調子に乗ってあれもこれも食べたくなってしまいます。

そんな訳で、腹ごしらえもして元気になったので、更に歩き回り、その日はそのまま暗くなるまで街のあちらこちらを探索して回りました。「何て楽しいんだろう!歩き回るだけでいろんな事がわかるし。旅って、やっぱりするもんだよなぁ!」夜になってホテルに戻ると、調子よくそんな独り言を言ってベッドに倒れこみ、靴下をベッドの端に干すとそのまま寝入ってしまいました。結構、疲れていたんでしょうね。時間の過ぎ方がとても不思議な感じでした。

そして夜中…突然の激しい頭痛で私は目が覚めました。一体何が起こったのかわからないくらいに頭が痛い!灯りを付けると部屋が妙にゆがんで見えます。しかも、手を見ると心なしか腫れぼったく見える。ほとんど、ちびっ子力士のような手です。「ややや…、やってしまったぁ!!」一瞬のうちに、それは高山病の症状だと悟りました。油断チャンの私は、アスピリンも持っておらず、手元にあるのは日本から持ってきた梅干のみ。深夜だし、これは梅干をしゃぶって耐えるしかないのか?私は顔面蒼白になった自分の顔を鏡で見て、焦ったらいいのか、笑ったらいいのかも判らないくらいに混乱して、そのままベッドに横になり、ゆらゆらと揺れる天井を見ながら朝を待ちました。

頭が軋んだまま、うとうとしながら考え事をしていますと、ルーム・サービスの若い男が入ってきました。「おはよう~♪どう、調子は?」と笑顔で聞いてくるので、重い体を起こしながら「高山病みたい。昨日たくさん歩いてしまったから。頭が痛い!」と苦笑しながら答えました。「オウ、それは良くないですね。お金ある?」ベッドの端にぶら下がった靴下を見ながら、唐突に尋ねてくる彼。「お金?」「そう。薬、いるだろ?」「薬…」「買って来てあげるよ。」

薬というのはアスピリンか何かかな?ともかく、藁にもすがりたい気持ちだったので、彼に幾ばくかの小銭を渡し、薬を買って来てもらうことにしました。すると、持ってきたポットをフラフラかざして「お茶も飲む?」と尋ねてきます。「お茶?」「そう。コカね。一番効くよ~。」彼はそう言いながら茶葉のようなものを持って来ました。これが、噂に聞いたコカか。「噛んでもいいよ~」と彼は言うのですが、コカ茶にも興味深深。まずは素直に、彼が持ってきたコカとお湯で、お茶にして飲む事にしました。これが、なかなかおいしい。気のせいか、少し効いたような気もする。う~ん、後でこのコカがどこで売ってるか聞こう…。

コカ茶を楽しんでいると程なく彼は帰ってきて、ニコニコしながら「どれにする??」と手を広げました。そこには大小色とりどりの錠剤が…なんの薬だ、これは??明らかに種類が様々だ!不安げに私が「こ、これは…?」と尋ねると、にこやかに答える彼。「う~ん、アスピリン?」…なぜ語尾を上げる、この男は…??もしかしてよくわかっていないのでは…。まさかその辺の引き出しから適当に見繕って集めてきたんじゃぁあるまいな??「これは…頭痛の薬か?」私が疑いを込めて強い口調で尋ねると、「大丈夫!何にでも効くよ!」とキッパリ答えやがるではありませんか!何にでも効くって、何を言っとるんだ、こいつは!薬は全部一緒やと思っとるんじゃないだろか??

覚悟決めるしかない…。私は、屈託のない笑顔の彼の手のひらから、占いでもするように二つの錠剤を選び、そのうちの一つを飲みました。神様にでも祈るような気持ちでいると、「OK!!多分それが正解だよ!」とか言ってます。このヤロー!!…下剤とかやったらどうしょう…。違う意味で血の気が引くのを憶えた私でした。

その3『意外にへっちゃら~♪』

2006-05-17 13:59:40 | アンデスの国…ペルー・ボリビア編
『意外にへっちゃら~♪』

部屋に独りになり、落ち着いた気持ちになった私は、そのまま少しベッドに横になったのですが、外の景色が…そして空気の感じがすごくきれいなので、思わず起き上がって窓の外を眺めました。するとあちらこちらから人が現れて、通りに屋台のような店を準備したり、急ぎ足でどこかに向かっていたりします。

陽の光が射してきて、辺りに生活の香りのようなものがたちこめ始めたのです。
どんな人達が、一体何をしてるのだろう?と興味が湧いてきて、ついつい外に出て行きました。 「到着してスグはあまり動かないこと」という、高山病にならない為の大切な原則を私はすっかり忘れていたのです。通りに出ると、カラッとした日差しの中にカラフルな衣装の人々が行き来しています。ホテル近くの坂の両側には様々な店が立ち並び、それを眺めて歩くだけでも全く退屈しません。見るもの全てが楽しくて、私はどんどん歩いて行きました。「標高は高いけど…意外にへっちゃらやな!」今から考えると早合点にも程があるのですが、息も切れないし体の調子も良かったので、私は完全に油断チャンになり、鼻歌交じりに街のあちらこちらを歩き回ったのです。

広場に出ると、靴磨きの少年達があちらこちらで店開きをしており、屋台が並んでいて、オジサンが揚げパンのようなもの(ピロシキやサモサのようなもの)を売っていたり、オバちゃん達がジュースを売っていたりします。オバちゃん達のジュース屋は、果物がそのまま並んでいて、普通の果物屋さんのようでもあります。グレープフルーツのジュースを注文したら、専用の道具で次々にグレープフルーツを取り出しては絞っていき、瞬く間にコップ一杯以上の果汁が溜まりました。何て贅沢なジュースでしょう!その果汁をジャバジャバとコップに注ぎ、私に差し出してきました。これが、とんでもなくおいしい!思わず一気に飲み干すと、「ヤパ!」とオバちゃんが言っています。 何の事かと思っていると、空(から)になったコップをムンズッとつかみ、残っていた果汁を更に注ぐのです。「まだあるの?!」と驚いていると「アンタ、どこから来た?」とオバちゃんが尋ねてきました。「日本から」と答えると「ヤパという言葉を覚えときなさい。役に立つから。アンタにこれから一番必要な言葉よ!」と教えてくれました。どうやら、「おかわり」と言うか「残り」と言うか「オマケ」と言うか…そういうもんらしいです。味をしめた私が、その後オバちゃん達のジュース屋台で毎朝「ヤパ!」を連発していたのは言うまでもありません。

その2『意外に寒いかも…』

2006-05-17 13:57:31 | アンデスの国…ペルー・ボリビア編
『意外に寒いかも…』

生まれて初めての長時間の飛行機旅行。ボリビアの首都ラ・パスに着いたのは、まだ朝モヤがかかる早朝でした。さすがに標高が高いだけあって、寒い…。限りなく空(カラ)に近い小型スーツケースをガラガラと転がし、肩には小さなナップ・ザック一つ。Gパンに薄手のネル・シャツ一枚の私は、チラホラと周りに散らばっている観光客の中でも妙に浮いていました。考えてみたら、こんな家から学校に行くような格好で標高3600メートルの街の空港に降り立つお馬鹿さんがいるだろうか…。バッグ・パッカーより、荷物の中身少ない気がする。

まぁ、安い服でも現地調達して…と呑気に構えていたのですが、降り立っていきなり寒いのです。服くらい、もうちょっと持ってきてもよかったんじゃないのかな~、なんて軽く後悔しつつ、朝モヤを眺めながらボーッと突っ立ってると、読めるか読めないかのキワどい字のプラカードを持って、異常に濃い顔の男がこっちを見ていました。

近づいてゆくと、なかなかワイルドな字で「TARO」と書いてあります。知人を通して予約を入れておいたホテルの人が迎えに来てくれていたのです。私がタロー、とわかったハズなのに、無言で私を凝視しプラカードを持ったまま突っ立ってる超濃厚顔の男。

「はじめまして!」と覚えたてのスペイン語で挨拶すると「…アウ!?」という、勢い余ったような謎の声を上げるその男に、ホテルの車…などでは決してなさそうな軽のバンに乗せられ、軽く誘拐されたような気になりながら、そのまま街に連れて行かれました。次第に近づいてくる街の風景を眺めながら、「そういえば、高山病ってあったよなぁ…あれってどうなるんだったっけ?」とこれまた呑気に考え込んでると、先ほどの濃い顔の男が運転しながらスペイン語で、しかもやたら早口で何か言ってます。それがまた、私に言ってるのか独り言なのか、非常に微妙なのです…。ちなみに私は、スペイン語の小さな辞書をパンツのポケットにしのばせていましたが、あらかじめシッカリとした語学の勉強をしていた訳でもなく、全く聞き取れません。

そのまま黙っていてもバツが悪いので、思い切って自分から話しかけてみました。ところが「ホテルは遠いの?」「近い!」「寒いですね」「そうだ!」「高いからかなぁ…」「高いぞ!」…などと、なんか意図してる訳ではないのに、やけにスパーンとした直球会話になってしまいます。至近距離で、しかもバスケットボールかボーリングの球でキャッチボールしているような感じ…。このリズムが、こっちの普通の会話リズムなのかな??などと考えていますと、やがて石畳の坂道を下り、程なくホテルの前に着きました。

朝早いので、辺りは人もまばらで本当に静かです。ホテルの中もまだ暗くって、何の建物か一瞬わからない感じです。エントランスに入ると若い男がやって来て、足早に荷物を部屋に運んでくれました。部屋に独りになって、初めて「あぁ、自分は今ボリビアにいるんだ」「あの写真でしか見たことのなかった土地に今独りでやって来たんだ」と不思議な実感が湧いてきました。

その1『憧れの地へ…』

2006-05-17 13:56:40 | アンデスの国…ペルー・ボリビア編
『憧れの地へ…』

「南米・アンデス」…この言葉を、私は子供の頃から不思議な憧れと共につぶやいていました。12歳でアンデス山岳地域の縦笛ケナ(ケーナ)と出会い、それ以来その音色や音楽、背景にある文化や土地そのものに惹かれ続けていたのです。漠然とその頃から「大学生くらいになったら行く事になるだろうな」と思っていたのですが、いざ大学に入ると何故か卒業するまでの4年間もの間「いつか行く事にはなるだろうけど、そのタイミングはまだだ」と思い続けていたのです。

これは、子供の頃から音楽をジャンル分けして聴こうとはせずに、ピンとくるものは全て「魅力的な音楽」と感じ、好奇心の対象が南米だけではなかったことも大きな理由かもしれません。大学生活の間に、訪れてみたい場所、というのが南米だけではなくなっていたのです。そして大学を卒業し一年が過ぎようとしていた頃、私はこの地の音楽を舞台で仕事として演奏するようになっていました。アンデス地域の音楽や楽器については、ケナ(ケーナ)を始めた頃から自分で色々調べていましたし、レコードに収録されている曲やラジオ・テレビで聴き覚えた曲を、日頃から普通に演奏していましたから、舞台で演奏するということについても、演奏している音楽の内容についても、「普段の事」「日常の事」のような感覚があり、それについて特別な疑問は抱いてはいませんでした。

ところが舞台で演奏するようになると、もちろんの事ながら人前での事ですし、初めてそういう音楽や文化に接する人もおられる訳ですから、責任も生じてきます。そのうち、あらためて「これは本当に彼ら・彼女らの音楽なんだろうか」「昔からこういうものが本当に演奏されていたんだろうか」「自分がやってる事は文化の紹介なんだろうか、それとも他の何かなんだろうか」…と、次第に舞台でやることや、自分が演奏している音楽そのものに対して、自分で様々な疑問を持つようになっていったのです。特に楽器の奏法や音楽に対する考え方や姿勢など…「本当のところ、どうなんだろう?」と。

おそらく「現地に行ったから」「向こうの人に習ったから」といって、真実を知る事ができる・深く理解できる、とは限らないでしょう。人間はいつも見たいものを見たいように見ようとするものですから、場合によっては、新しく見聞きしたもので、かえって過去の思い込みを強化する事もあるでしょうし、見ていながら見えていなかった…というようなことも我々には多多あります。しかし、その頃私の中では「自分はこの音楽・楽器に惹かれて演奏を始め、今も日常で・舞台で演奏し続けているけれど、本当のところはそれで何がしたいのだろう?」という、自分への問いかけが高まっており、直にその土地や人に接する中で確かめたいことや試してみたい事が山積みになっていました。 音楽の中身以上に「自分自身について本当に知りたい」という気持ちが大きくあったのかもしれません。

そんな理由から、突如私はペルー・ボリビア行きを決行したのです。