goo blog サービス終了のお知らせ 

星空Cafe

//satoshi.y

あの日のおっとっと

2021年03月05日 | 焼き芋みたいなショートエッセイ


       焼き芋みたいな
       エッセイ・シリーズ  (37)

       『あの日のおっとっと』


        一杯の水が貴重になる時がある。
        一枚のビスケットが萎えた心を癒す時がある。
          

                     

     
    「先ほど発生した大規模な地震により、現在、JR線は各線区で運転を見合わ
     ております!」駅の改札口で、駅員がメガホン越しに繰り返しそう伝えて
     いた。タクシー乗り場やバス停留所には、帰宅の足を奪われた人の長い列が
     出来ているが、バスもタクシーも一向に来る気配はない。駅前ビルのスクリ
     ーンに映し出される驚愕の光景に息を呑み、呆然と立ちつくす人、ケータイ
     片手に連絡を取ろうとする人。行き場を失くした人々が都心の街に溢れてい
     た。「よし、歩いて帰るぞ」僕は国道20号沿いを西へ向かい、人の流れの
     ペースに合わせるように歩き始めた。

     体験したことのない混乱が始まっていた都心をくぐり抜けるように、
       2時間ほど歩いた所で一旦歩道を逸れて路地に入り、ウエストバッグから
     水ボトルを取り出すとそれを一気に喉に流し込んだ。家まではまだかなり
     の距離がある。僕は路地の一角にあった小さな公園を見つけ、休憩がてらそ
     このベンチに座り込んだ。


     

     暫くの間、ベンチにぼーっと座っていた時、
     肩越しに「ここイイですか?
」と声がした。
     まだ20歳くらいの娘が、僕の隣の空いているスペ
ースを指
差して立っていた。
    「あ、どうぞ」そう言って少し場所をずらして
やると、

     その娘は腰を掛けるやいなや靴を脱ぎだした。

     「もう足が痛くて」
     「どこまで帰るの?」
     「調布です」

     「じゃあ、あと少しだ」
     「はい」
      

     そんな会話をしたきり、昨夜の睡眠不足のせいか、またぼーっと黙りこむ
     僕の隣で「えっ!ウソ、繋がらなくなった」と、ケータイを食い入る様に見
     てい娘のく声がした。

     公園の砂場には、小さな女の子を連れた若い母親が、
     不安そうな顔で
ケータイを覗きこんでいる。
     買い物帰りだろうか、
スーパーのレジ袋が足
元にちょこんと置いてある。
     ヘタに家の中にいるよりも、しばらくここにい
た方が安全かも知れないな。
     そんな事を思いながら砂場の母娘
を見ていた時
、また地面が小刻みに振動し、
     公園の街灯がゆらゆらと激しく
はじめた。
     と
っさに女の子が母親にしがみつき、母親はその子を抱きしめ不安気に周りを
     見回している。公園脇の5階建ての古いマンションが、くねくねとフラダンスみたいに
     左右に動いているのがはっきりと見て取れた。


     「えっ!また揺れてますよね。大きい!」
     「余震多いな」

     今度は僕もごそごそとPHSケータイを取り出しネットを検索してみた。
     今
のは震度4強らしかったが、外にいてもかなり大きいと感じた。
     何だかさっ
きから日本列島がガガガガっ!と不気味に動いている。
     このまま沈んで行った
りしないだろうな・・そんな恐怖さえ感じながら、
     色々とネットニュースを
探っていると、「食べます?」と、唐突にその娘が
     「おっとっと」の小袋を
僕の目の前に差し出した。
     「お、ありがとう」と、僕はその娘が差し出した袋から一粒つまんだ。
     魚の
形だった。それを頬張ってみせると、その娘はニコッと笑みを浮かべ、
     「お
っとっと、美味しいですよネ」と言って、なぜか人差し指でくるくるっと
     3
回円を描いた。面白い娘だなあと思った。
     おかげで、やや興奮していた気持
ちが少し落ち着いた。
     そうか。もしかしたらあれは、あの娘の気遣いだった
のかも知れないな・・

                           


     歩道には、さっきよりも一段と人が増えていて、
     皆、黙々と列を崩さず歩
き過ぎて行く。
     都心の大動脈である20号線にギューギュー詰めとなってい
る車は、
     見たところほとんど動けていない。こんな光景は初めて見た。

     「家、大丈夫かな?」そう呟くと、その娘はすくっと立ち上がり、
     「それじ
ゃ、私そろそろ行きます。ありがとうございました」と、
     バックパックを背
中にひょいと背負い、混乱の街中へスタスタと歩きだした。
     「気をつけて!」「あ、ハイ!」

     そうして、その娘がいなくなってベンチに一人になると、
     何とも言えぬ緊
迫感のようなものが襲ってきた。家まではまだまだ遠い。
     多摩川の橋、通行
できるかな?僕はウエストバッグのベルトを再度ぎゅっと締め直し、
     20号
線沿いに目をやった。人はさっきよりも益々増えている様だった。
    
     あれから10年になる。
     この列島が暴れ、多くの人の時が止まった日。

     あの日を境にこの国の在り様が変わった。原発の安全神話さえ容易く崩れ落ち、
     その無力な正体を今もまだ露呈したままでいる。

     あの時の「おっとっと」の娘、今頃どうしてるだろう。
     もう今頃は若いお母
さんになっていて、子供に「おいしいよ!」と、
     おっとっと、
あげたりして
しているだろうかな





               星空Cafe、それじゃまた。
                皆さん、お元気で!


          

              








最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (けんすけ)
2021-03-05 22:19:04
あの時東京駅丸の内のあるビルで会議の真っ最中だった
街中では行き場を失った人々でごった返し飲食店では売り切れ続出だったんだ
あちこち彷徨ってこれからどうなるかなんて想像も出来ずに不安だけが頭を独占してたな・・・
返信する
けんすけ様へ (S.Y)
2021-03-05 23:26:03
10年前でしたね。
多くの人が記憶もまだ生々しいと思います。
あまりにも甚大な自然災害だったので、
この微力な筆では深く多くは書けませんでした。
昨日ニュージーランドで大地震が頻発しましたが、
データ的にはニュージーランドが動くと、連動して日本も必ず動きます。
暫くは気をつけねばと思っています。
返信する
Unknown (山さま)
2021-03-06 22:21:50
あの震災の日に感じた事。
その日は停電になり信号はすべて止まってしまったが、行き交う自動車は不思議と道をゆずりあい、あまり混乱しなかった。
コンビニでも、何故かみんな遠慮しあって食料品をゆずり合っていた。日本人(特に若者)すげぇと思った。
ただ、今回のコロナでは昼間暇なお年寄りたちがマスクやペーパー類を必要以上に買い占めていた。戦後民主主義の影響?
返信する
山さまへ (S.Y)
2021-03-07 02:18:52
茨城に比べたらこっちは被害も少なかったから大変さは全く違うよね。
山さまに「大丈夫だったかあ!生きてるかあ!」とメールしたのがもう10年前かあ。
そうそう、コンビニなどで皆譲り合ってたなあ。都内はお年寄りも若者も皆落ち着いていて互いに気遣ってた気がする。(中には申し訳なさそうにして水などごっそり買っていた御年配の夫婦もいたけど、きっとお孫さんなどが家にいたのかもなあ)
とにかく大地震など出来れば起きてほしくないね。


返信する

コメントを投稿