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時の関守

たましいの力 (11)

神が人間というものを創造(つく)り、その人間が仲良く、助け合い、笑いあう姿を見て、神も楽しもうと思われたのだそうです。

では、なぜ、こんなにも自然災害が頻発(ひんぱつ)しているのでしょうか?

神は人間を創造(つく)るにあたって、幸せになるための、いくつかの道具をさずけてくれました。言葉は、その中でも、とくに大切な道具なのだと思います。
言葉は今のところ、他の動物にはない、人間にだけ許されたものです。

言葉(と知恵)が人間に具(そな)わったことにより、人類は知識を蓄積し、文明が発生したといっても過言ではないと思います。
そこから、物質を活用する科学も発達しました。
私たちは現在、その恩恵を最大限に享受(きょうじゅ)しています。
ですので、今ここで、現代科学を批判しようとは思いません。

ただ、今この時代、言葉が人間にさずけられた、真の意味が忘れ去られている気がします。

私が聞かせていただいた神話では、人間が生き、死んでいくための力に、二つのたましいが選ばれ、神の守護(裏から人間を護る力)となりました。
その一つは、風であり、人間の呼吸を司(つかさど)る力なのです。

人はあたりまえに、なんら意識しないで呼吸していますが、実はあたりまえではないのでしょう。
言葉を変えれば、呼吸ひとつとっても、それは、自分の力でなくて、神が護(まも)っているのだということを神話は語っています。

呼吸は人間生命を維持していくうえで、必要不可欠なものなのですが、天はそれにとても大切な要素を付加しました。
それは、言葉というもので、言葉こそ、人間を人間たらしめ、他の動物たちと一線を画する原因といって過言ではないでしょう。
言葉と知恵によって、人類はここまでの文明を発展させてきましたが、ほんとうは、それ以上の本来の目的があります。

言葉がコミュニケーションの唯一(ゆいつ)の手段ではありません。
下手(へた)をすると、言葉がないときのほうが、うまくいくときもあります。
動物を飼っている人は、そのことがわかるはずです。
言葉がないほうが、相手を思いやる心が、より生まれてくるような気さえします。

神が人間に言葉をさずけた理由は、人間同士がより相手を思いやり、深い愛情表現ができるからです。
言葉から生まれた詩(歌)とか、文学をみれば、その意味は一目瞭然(いちもくりょうぜん)なのではないでしょうか?

神は、せっかく人間にあたえた、言葉という尊い道具で、なぜ人が人をいじめ、人を差別しているのか。
大事な言葉を使って、なぜ、戦争という人間の災害を止めないのか、(神は)怒っているのだと思います。

自然災害は、神の怒りと考えることもできますが、神は人間のやさしい心が、このことによって、呼び覚まされることを願っているのだと思います。
平和は、いつのまにか、人を思いやる心を閉ざしてしまいます。
神は、人間が心をひらき、目を覚まし、人間同士が助け合う姿を見たいと思っているのだと思います。
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