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時の関守

この世という未知なる世界 (2)

なぜその人に、教祖は突然、現れなくなったのでしょうか?

すると、どこからか心の声が聞こえてきました。
「そのものは、教祖が現れることを、自慢したり、
人に言ったりした。
それが、そのものの心の曇りとなって、見ることができなくなったんだよ。」

「だから、
つねに謙虚でありなさい。
(なにかを自慢したり、人に嫉妬したり、ちょっとしたことに腹をたてたり、うらんだり、)
自分の心を汚すことから、
離れなさい。
心を曇らせてはいけない。」

正直にいえば、私にとって神は遠い存在でした。
ただ、なにか心の深い部分で、宗教の教えが、
私の心の琴線(きんせん)にふれていたのも事実です

高校を卒業した時、
母が一度だけ、
私が生まれる前にみた、夢の話しをしました。
キリスト教の牧師と、お寺のお坊さんを従えた人が、三宝をかかげて、
「お前に子を授けよう。」
といったそうです。

もちろん、母のたんなる夢なので、だからどうなんだと思っていました。
自分は自分と思って、これまで過ごしてきました。
しかし、いつの間にか、60年以上の歳月がたっていました。

もちろん、自分は自分と、
わが道を進んだつもりだったのですが、
あるとき、自分が(神がのぞむ)
使命を果たしていないことに気づきました。
母の言葉にしばられるつもりもありませんが、
母が期待していたであろうことの、
ただの一つもはたしていない、という焦燥感が、
私を苛(さいな)んでいました



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