銅相場変らず 6500$周辺です 中国の指数で 信頼できるHSBCの指数が
5ヶ月連続で悪い これは中華の製造業活動を示す指数でPMIって言うのんですが
中華政府は 不動産バブルも抑えないと恐いし シャドーバンキングの不良債権化
問題もあって金融を緩めて景気浮上を図るにも
非常に難しい政治をしなければならない訳で
5ヶ月も この指数が下がり続けるとなると
ほんとうに景気がヤバイ訳ですが
安易な金融緩和も とり辛いわけですね
なんとか 金融機関に企業への融資を進めるような
方向でやって貰いたいのは 資源業界に住まう者の 期待感です
そういうことで 中国の政治に大きく左右されている銅相場 銅価格は710円/kg
ニッケルのほうは 強いですね
これはG7 白人とそれ以外では有色人種の
唯一 日本が参加する会議で
G7会議は ロシアを世界の村八分にしようと決めました
G8は ロシアを含む ですので
もう 世界の非常識 ロシアみたいな国は 排除せねば あかん
という決定を昨夜 出した
その為 資源のニッケルは 産出国ですので 上がり易い傾向になると思います
ロシアと戦争になれば 油やガスも 相場が高くなっていくと思います
中国とロシアは友好的ですが
中国は 負ける戦に 応援はしないと思う
しかし 今時 世界は経済で 深く結びついているので 戦いになれば 双方の経済には多大な影響が出ると思いますよ
当たり前のことですが
なので ロシアなどには 投資は しないほうが エエのじゃないかと
個人的には 前から そう考えています
されど短期的には 経済が痛んでも 長期的に考えれば潰しておいたほうがよいと思いますね
恐い事 言いますが 正論ですよ
中国も 150年ほど前からも ロシアの脅威は感じて暮らしてきていると思うの
まあ 世界の動きは そんな流れですよね
その動きに 対して 敏感な資源相場は 今現在は
下落から
その低い状態で わずかな幅の 動きです
しかし 前のブッシュと違って オバマは 弱腰なので 戦争はしないように
みられていると思います
それは アメリカの軍事予算が限られているというようなことも あるのでしょうな
G7もそうだし G8でも 宗教で言えば キリスト教徒の国です
日本も キリスト教に 近いといえば そう遠くはない かんじ ですから
日本の宗教も 景教 っていうのですか
その流れも濃いと最近 ワシ思ってるの
【景教】 って 検索してみれば いろんな歴史が見えてきて バタ屋トーナイ 東内誠なのね
空海 や 最澄 も 日本へ 持ち帰ったと思います
そうなの 最近では 気になるキーワードが多すぎて かなり混乱気味だけど
秦氏 物部氏 とか 応神天皇とか 渡来人 とか 気にして 調べてる 勿論 藤原氏も興味津々
秦氏は ほんまに 何時ごろの時代に 渡来されたのか まあ 色んなところで 色んな事が
書いてあり過ぎて それぞれに 違うんだよね
籠kago神社 (元伊勢)って なんなの?とかね
これも 先日 日曜日に 向いかけた 丹波や(寄り道が多くて 亀岡市までしか 到達しなかった
(亀岡の山深くでワシに かわいい動物が 会いにきてくれた こともあって・・)
(このテンか リスか あそこのご神木に住んでいるので また行って あってくる つもり)
丹波 って 言っても 何処から 何処までが 丹波 なのかも 時代によっても差があるの
かごめ かごめ 籠の中の 鳥は なんやね
京都の 市内の 西部付近も 丹波 とも 言った時代もあったんかね?
西部付近 と言えば 秦氏の 本拠の 太秦 うずまさ あたりからなの?
亀岡から 日本海まで 山は超えねばならないが 盆地がいくつもある地形やね
まあ そこらの道からも 姫路あたりにも 出てこれるし
姫路にいければ ワシの里の 作州武蔵 美作にも 出てくる道や 山道 その昔の時代から
その道はあったんやろか?
そやな 古い地図を探してみたら 面白いかもな
まあ 古代の渡来人の道を 空想したら おもしろい
宗教は この国に どないして 流れ着いてきたんかや
アホな空想ばかりして いたら 仕事に向う時間になった
今日も 忙しいのじゃな
http://tohnai.com/top_main.html
東内誠への スクラップ売買の連絡は 上記のトーナイHPに
書いてます(072-678 1112)に 電話が嬉しい
また 以下は 古代史研究 吉備国追及バタ屋トーナイ東内誠の宣伝的メモ
吉備王国史というHPから 運用させて頂きまして 要約を自分なりに纏めてみました
私の先祖 美作の東内誠 藤内 トーナイの立場としては
西暦700年過ぎに ヤマトから派遣された方につれられてきた立場の可能性も高く
この方の 言われる立場とは 違う立場の可能性も高いのですが、
いろんな 方々の研究やらを見させて戴いて その書かれたお立場も想像しつつ
何時かは自分も 自分風のそのような結論というかストーリーというか 自らの
考えを 書いてみたいのですが
まだまだ 私の場合は全く無学で 結論には至っていない事を前提に この先生の原稿も参考にしたい
では その要約や 自分の意見
● 瀬戸内の吉備の中心部は 当時 吉備津彦神社付近までが海が迫っていた
● 吉備の中山は 瀬戸内に浮かぶ島か半島であった(中山というたら 岡山県では 中山神社では ないのかな?分国後、美作の一宮-とうない)
● 古くは 2万年前ごろ 瀬戸内の海は地球の寒冷化の時期であり現在より海面が低かった
従って水深70mほどの瀬戸内海は 完全に陸地化していたという。
先土器時代の狩人が活躍していたと この先生は言っている(とうない まこと の内部には 狩猟系が 何か混ざっているように自分では思う)
● その後 地球の温暖化によって、海水面が上昇し縄文前期初頭には その温暖化のピークを迎えた
(温暖化すると海面上昇するのは 知っている 環境の勉強は多少知が有る バタ屋 とうない )
● 海面があがってきて狩猟や採取をおこなっていた縄文人の生活は 海のそばへと住むようになり、
瀬戸内の豊かな海の幸を獲って 縄文人たちの生活が営まれた。
● 縄文時代以降海水面は安定したが 河川に流れ込む土砂などの影響を受け環境の変化から 海の幸もとり辛くなる局面を向かえ
その解決策の1つとして 山間に纏まって住むような一家もでてきた
(遺跡がそれを物語っている また バタ屋とうない は 大阪北港でも住んでいるので 河川の土砂の堆積は知っている)
《3世紀末の 神武東征》
日向の高千穂たかちほ に いた 神武じんむ天皇が、東征を思いたち
軍船で 瀬戸内を進み 河内かわち に上陸、そのまま生駒山を越えて大和に入ろうとしたところ、
その土地の豪族
長髄彦(ながすねひこ)に阻止されその為、
【この時代 身体の特徴を差別する名前を つけたのだ 東内誠 藤内の誠 トーナイ】
まっすぐに進むことを諦めて紀伊半島を迂回し 熊野から 吉野を経て 大和に入り
ついには 長髄彦を倒し ヤマトを制圧した
その後、樫原宮(かしわらのみや)で即位されて初代天皇になられた
---と この方は書いておられます
--以下8行コピーし貼り付けます---
★大陸の覇権主義の影響を受けている「天孫族」勢力が、「日出いずる国」を求めて九州に上陸。大陸の騎馬と豊富な鉄器による強力な武器を持つ。
★ 神武の東征は九州から岡山県吉備の高島(百間川河口にある高島の高島宮)に入り、8年間在住
『この間、「宮山古墳」などを築造した吉備の勢力の強力を得て、「前方後円墳」の形態や「特殊器台型土器」の祭祀(さいし)文化を取り入れて王権を強化。』
突如、3-4世紀にかけて 吉備特有の宮山型「特殊器台」「特殊壷」を伴う「箸墓古墳」などの 巨大な古墳を築造し、大和王国の覇権を確立した。
大和政権は 神武東征に協力した 吉備には
一目をおいていたが この方の言われるには、
この後 10行コピーして貼り付け
勢いに乗った大和王国は、協力者の吉備王国に対し、第7代孝霊(こうれい)天皇の子「彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)」 の侵略軍を差し向けて来た。
「恩を仇で返す」卑劣なやり方だ
これに対し、吉備津彦命に率いられた吉備国は、激しい怒りに燃えながら国を挙げて頑強に抵抗したが、無惨にも破れてしまった。
ここで、吉備津彦命は五十狭芹彦命に対し、『ただ今より和平の証として、自分の吉備津彦命の名前を差し上げます。』と言って降伏した。 (以上10行貼り付け)
最後のところも 少しコピーさせて頂くと「」
「吉備津彦命は、吉備を征服した大和の侵略者ではなく、吉備のために戦い死んでいった吉備在地の悲劇の英雄神だからこそ、吉備の人々は、その統一的祖先神とて信仰し続けることになったのである。」
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5ヶ月連続で悪い これは中華の製造業活動を示す指数でPMIって言うのんですが
中華政府は 不動産バブルも抑えないと恐いし シャドーバンキングの不良債権化
問題もあって金融を緩めて景気浮上を図るにも
非常に難しい政治をしなければならない訳で
5ヶ月も この指数が下がり続けるとなると
ほんとうに景気がヤバイ訳ですが
安易な金融緩和も とり辛いわけですね
なんとか 金融機関に企業への融資を進めるような
方向でやって貰いたいのは 資源業界に住まう者の 期待感です
そういうことで 中国の政治に大きく左右されている銅相場 銅価格は710円/kg
ニッケルのほうは 強いですね
これはG7 白人とそれ以外では有色人種の
唯一 日本が参加する会議で
G7会議は ロシアを世界の村八分にしようと決めました
G8は ロシアを含む ですので
もう 世界の非常識 ロシアみたいな国は 排除せねば あかん
という決定を昨夜 出した
その為 資源のニッケルは 産出国ですので 上がり易い傾向になると思います
ロシアと戦争になれば 油やガスも 相場が高くなっていくと思います
中国とロシアは友好的ですが
中国は 負ける戦に 応援はしないと思う
しかし 今時 世界は経済で 深く結びついているので 戦いになれば 双方の経済には多大な影響が出ると思いますよ
当たり前のことですが
なので ロシアなどには 投資は しないほうが エエのじゃないかと
個人的には 前から そう考えています
されど短期的には 経済が痛んでも 長期的に考えれば潰しておいたほうがよいと思いますね
恐い事 言いますが 正論ですよ
中国も 150年ほど前からも ロシアの脅威は感じて暮らしてきていると思うの
まあ 世界の動きは そんな流れですよね
その動きに 対して 敏感な資源相場は 今現在は
下落から
その低い状態で わずかな幅の 動きです
しかし 前のブッシュと違って オバマは 弱腰なので 戦争はしないように
みられていると思います
それは アメリカの軍事予算が限られているというようなことも あるのでしょうな
G7もそうだし G8でも 宗教で言えば キリスト教徒の国です
日本も キリスト教に 近いといえば そう遠くはない かんじ ですから
日本の宗教も 景教 っていうのですか
その流れも濃いと最近 ワシ思ってるの
【景教】 って 検索してみれば いろんな歴史が見えてきて バタ屋トーナイ 東内誠なのね
空海 や 最澄 も 日本へ 持ち帰ったと思います
そうなの 最近では 気になるキーワードが多すぎて かなり混乱気味だけど
秦氏 物部氏 とか 応神天皇とか 渡来人 とか 気にして 調べてる 勿論 藤原氏も興味津々
秦氏は ほんまに 何時ごろの時代に 渡来されたのか まあ 色んなところで 色んな事が
書いてあり過ぎて それぞれに 違うんだよね
籠kago神社 (元伊勢)って なんなの?とかね
これも 先日 日曜日に 向いかけた 丹波や(寄り道が多くて 亀岡市までしか 到達しなかった
(亀岡の山深くでワシに かわいい動物が 会いにきてくれた こともあって・・)
(このテンか リスか あそこのご神木に住んでいるので また行って あってくる つもり)
丹波 って 言っても 何処から 何処までが 丹波 なのかも 時代によっても差があるの
かごめ かごめ 籠の中の 鳥は なんやね
京都の 市内の 西部付近も 丹波 とも 言った時代もあったんかね?
西部付近 と言えば 秦氏の 本拠の 太秦 うずまさ あたりからなの?
亀岡から 日本海まで 山は超えねばならないが 盆地がいくつもある地形やね
まあ そこらの道からも 姫路あたりにも 出てこれるし
姫路にいければ ワシの里の 作州武蔵 美作にも 出てくる道や 山道 その昔の時代から
その道はあったんやろか?
そやな 古い地図を探してみたら 面白いかもな
まあ 古代の渡来人の道を 空想したら おもしろい
宗教は この国に どないして 流れ着いてきたんかや
アホな空想ばかりして いたら 仕事に向う時間になった
今日も 忙しいのじゃな
http://tohnai.com/top_main.html
東内誠への スクラップ売買の連絡は 上記のトーナイHPに
書いてます(072-678 1112)に 電話が嬉しい
また 以下は 古代史研究 吉備国追及バタ屋トーナイ東内誠の宣伝的メモ
吉備王国史というHPから 運用させて頂きまして 要約を自分なりに纏めてみました
私の先祖 美作の東内誠 藤内 トーナイの立場としては
西暦700年過ぎに ヤマトから派遣された方につれられてきた立場の可能性も高く
この方の 言われる立場とは 違う立場の可能性も高いのですが、
いろんな 方々の研究やらを見させて戴いて その書かれたお立場も想像しつつ
何時かは自分も 自分風のそのような結論というかストーリーというか 自らの
考えを 書いてみたいのですが
まだまだ 私の場合は全く無学で 結論には至っていない事を前提に この先生の原稿も参考にしたい
では その要約や 自分の意見
● 瀬戸内の吉備の中心部は 当時 吉備津彦神社付近までが海が迫っていた
● 吉備の中山は 瀬戸内に浮かぶ島か半島であった(中山というたら 岡山県では 中山神社では ないのかな?分国後、美作の一宮-とうない)
● 古くは 2万年前ごろ 瀬戸内の海は地球の寒冷化の時期であり現在より海面が低かった
従って水深70mほどの瀬戸内海は 完全に陸地化していたという。
先土器時代の狩人が活躍していたと この先生は言っている(とうない まこと の内部には 狩猟系が 何か混ざっているように自分では思う)
● その後 地球の温暖化によって、海水面が上昇し縄文前期初頭には その温暖化のピークを迎えた
(温暖化すると海面上昇するのは 知っている 環境の勉強は多少知が有る バタ屋 とうない )
● 海面があがってきて狩猟や採取をおこなっていた縄文人の生活は 海のそばへと住むようになり、
瀬戸内の豊かな海の幸を獲って 縄文人たちの生活が営まれた。
● 縄文時代以降海水面は安定したが 河川に流れ込む土砂などの影響を受け環境の変化から 海の幸もとり辛くなる局面を向かえ
その解決策の1つとして 山間に纏まって住むような一家もでてきた
(遺跡がそれを物語っている また バタ屋とうない は 大阪北港でも住んでいるので 河川の土砂の堆積は知っている)
《3世紀末の 神武東征》
日向の高千穂たかちほ に いた 神武じんむ天皇が、東征を思いたち
軍船で 瀬戸内を進み 河内かわち に上陸、そのまま生駒山を越えて大和に入ろうとしたところ、
その土地の豪族
長髄彦(ながすねひこ)に阻止されその為、
【この時代 身体の特徴を差別する名前を つけたのだ 東内誠 藤内の誠 トーナイ】
まっすぐに進むことを諦めて紀伊半島を迂回し 熊野から 吉野を経て 大和に入り
ついには 長髄彦を倒し ヤマトを制圧した
その後、樫原宮(かしわらのみや)で即位されて初代天皇になられた
---と この方は書いておられます
--以下8行コピーし貼り付けます---
★大陸の覇権主義の影響を受けている「天孫族」勢力が、「日出いずる国」を求めて九州に上陸。大陸の騎馬と豊富な鉄器による強力な武器を持つ。
★ 神武の東征は九州から岡山県吉備の高島(百間川河口にある高島の高島宮)に入り、8年間在住
『この間、「宮山古墳」などを築造した吉備の勢力の強力を得て、「前方後円墳」の形態や「特殊器台型土器」の祭祀(さいし)文化を取り入れて王権を強化。』
突如、3-4世紀にかけて 吉備特有の宮山型「特殊器台」「特殊壷」を伴う「箸墓古墳」などの 巨大な古墳を築造し、大和王国の覇権を確立した。
大和政権は 神武東征に協力した 吉備には
一目をおいていたが この方の言われるには、
この後 10行コピーして貼り付け
勢いに乗った大和王国は、協力者の吉備王国に対し、第7代孝霊(こうれい)天皇の子「彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)」 の侵略軍を差し向けて来た。
「恩を仇で返す」卑劣なやり方だ
これに対し、吉備津彦命に率いられた吉備国は、激しい怒りに燃えながら国を挙げて頑強に抵抗したが、無惨にも破れてしまった。
ここで、吉備津彦命は五十狭芹彦命に対し、『ただ今より和平の証として、自分の吉備津彦命の名前を差し上げます。』と言って降伏した。 (以上10行貼り付け)
最後のところも 少しコピーさせて頂くと「」
「吉備津彦命は、吉備を征服した大和の侵略者ではなく、吉備のために戦い死んでいった吉備在地の悲劇の英雄神だからこそ、吉備の人々は、その統一的祖先神とて信仰し続けることになったのである。」
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