21世紀の徒然草

新しいブログ「がん哲学ノート」もぜひご覧ください。http://www.tobebook.net/blog/

第90回「21世紀の徒然草」

2009年05月26日 | Weblog
Sense of proportionを持て

 NPO法人「がん哲学外来」設立記念シンポジウムは会場が満員であった。驚きであった。「時代の要請」を肌で感ずる一時であった。TBSのニュースでも報道され(5月11日)、また朝日新聞の朝刊の「ひと」に紹介されていた(5月16日付け)。多くの反響を頂いた。特に、「写真もいいですね。南原繁や吉田富三の名が出るとさらに良かったと思います。」とのコメントには、ほのぼのとした愛情を感じた。

 また、5月17日からの開始の「八戸がん哲学外来」には、3組みが来訪され、海とタンポポに囲まれたログハウスの相談室で抹茶と和菓子で、素晴らしいスタートがきれたとのことである。「来月から午前中は本の読書会をします。まず第一回は先生の御著書の「がん哲学外来の話」、——を計画しています。そのうち先生から「武士道」についてのお話がうかがわれればいいなと思っております。」は、大いなる励ましである。

「東久留米がん哲学外来」(毎日新聞5月19日付け)、「がん患者・家族総合支援センター」(柏がん哲学外来)の模様(毎日新聞千葉版5月20日付け)がそれぞれ紹介された。昨日は、朝日カルチャーセンター(新宿)で「がん哲学外来」の講演会が開催された。教室は満席であった。これも「時代の勢い」であろうか。

『がん哲学—立花隆氏との対話—』新訂版も注文が順調に来ているとのことである。英語版と中国語訳(簡略体と繁字体の両方)の行方も楽しみである。『21世紀の新渡戸とならん』(イーグレープ刊)(2003年)の心意気で「21世紀の武士道」として、「現代の懸け橋」となれば幸いである。「歴史の動脈」は流れる。

 それにしても、世の中は、「新型インフルエンザ」の報道とマスク姿で満ちている。戦時中はジャーナリストであった松本重治に語ったと言われている新渡戸稲造の言葉「君、Sense of proportionということを知っているかね。大きいことと小さいことを識別する能力のことだよ」、またルース・べネデイクト(1887-1948)の「日本人は、ただ他人がどういう判断を下すであろうか、ということを推測しさえすればよいのであって、その他人の判断を基準にして自己の行動の方針を定める」『菊と刀』(1946年)が思い出される今日この頃である。人間は、昔も今も変わらぬものである。

第89回「21世紀の徒然草」

2009年05月06日 | Weblog
「病理哲学」の誕生

 第98回日本病理学会総会(京都)に出席した。来年の第99回の会長の準備もあって、各領域の会場の入りの状況も含めて、内容的にも注意深く観察した。学問の進展をじっくりと勉強する機会であった。最近、時代を風靡しているips細胞も、形態学を基本とした「がん病理学」の観点からの研究の必要性を感じた。

 「がん細胞の良性化」(吉田富三)、「がん細胞のリハビリテーション」(Knudson)もips細胞を用いることによって、具象化され、近い将来、実現化されることであろう。生命現象は「多様性の統一」であり「同心円でなく楕円形の姿」にあると考える者にとっては「Ips細胞とがん細胞」は対極に位置する楕円形の2つの中心点の如きである。

 今回、西川伸一先生の講演「タイムリー・トピック」(「身体の考古学:エピジェネテイックスとips」)の中で「ips細胞の2元性」について「神は人間を創った」vs 「マリアは神の母である」という「対立的な違いを対称化する」例話には、新鮮でいたく感銘を受けた。iPSのみならず、エピジェネテイックス(epigenetic) statusというリセットが人間において如何に出来るか、今後の興味ある重要なテーマである。

 京都では「人間や病気の理解と位置付け」の新しい大いなる「形成的刺激」を受け、ゴールデンウイークは、まさに「静思」の時である。筆者は、以前から「がんは開いた扇の如く」であり「発がんの連盟的首位性」を提唱してきた。何時の日か、「がんで死なない時代」が来であろう。「がん細胞はリセットされる」という命題がスローガンとして提唱される時代到来である。

 「真に勇敢なる人は常に沈着である。――吾人はこれを「余裕」と呼ぶ。それは屈託せず、混雑せず、さらに多くをいるる余地ある心である」(新渡戸稲造「武士道」)
「優雅の感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。しかして他人の感情を尊敬することから生ずる謙遜・慇懃の心は礼の根本をなす」(新渡戸稲造「武士道」)

 「広々とした病理学」は「悠々と謙虚」を生み「対立的な違いを対称化」し「未来への懸け橋」となろう。まさに「病理哲学」の誕生である