21世紀の徒然草

新しいブログ「がん哲学ノート」もぜひご覧ください。http://www.tobebook.net/blog/

21世紀の徒然草(第8回)

2006年07月25日 | Weblog
『がん細胞から人生を読み解く』出版記念会における講演抄録
(2006年7月10日、お茶の水)

先日、ワイフと行った映画館で『拍手されるより拍手をするほうがずっと心がゆたかになる』という言葉が掲げられていました。誰が言ったと思います? 高倉健です(笑)。私が言っても説得力はありませんが、高倉健なら皆感心します。人間は何を言ったかでなく、誰が言ったかが大事ですね。
今回の本のタイトルは『がん哲学から人生を読み解く』です。何だか偉そうですね(笑)。私がつけた題でないですよ。全部編集者がつけられました。しかしこれは根拠があってのことであるということをお話します。
詩人テニソンは「小さな一輪の花を取って、この花の研究が出来たら、宇宙万物の事は一切分かる」と言いました。どんな小さな身の回りのことも極めつくせば、深い洞察が得られます。つまりミクロとマクロ、個別と普遍はつながっているということです。同様に、吉田富三はがん細胞でおこることは人間社会にも起こる、「人体の中で起こっていることは、社会と連動している」と言っています。これが私の「がん哲学」の原点です。
 物事を極められないとどうなるか。たとえば70%の知識しかないと、Priority、優先順位がつけられません。時間の無駄というものが世の中いかに多いかということです。
 この何年か、私は新渡戸稲造の「武士道」や、吉田富三「生誕100年」係を務めました。今どきこうして人物を顕彰することは滅多にないものです。しかし歴史は人物を通して流れるものです。人体の一部を切れば血液が流れるのと同じく、歴史のある一時点を切れば人物が出てきます。がん細胞もすぐにできるわけではありません。緩慢な変化は歴史を見ないと分からないといえるのです。
がんの研究の目的は何でしょう。それは「人のからだに巣食ったがん細胞に介入して、その人の死期を再び不確定の彼方においやり、死を忘却させる方法を成就すること」と言えます。「その病気では死なない」ということです。人生茨の道、いろいろ起こります。「にもかかわらず」、宴会という気持ちが大事です。私は最近、患者さんと話す機会が得られました。話していますと、どんな境遇でも必ず一時の笑い声が出るようになります。そして「人には死ぬという大切な仕事がある」―どうせなら静かに、淡々と死にたいものです。
 ここでがん細胞の写真をご覧いただきます。素人にはどれががん細胞か分かりませんが、プロには分かります。がん細胞にもいわば「風貌、顔つき」があります。人も同様に、顔つきを見れば30秒で分かります。紳士面した悪党もいれば、ギャングのような顔をして優しい人がいるではないですか。がん細胞も同じです。
がんは一朝一夕にできません。大成するのに20~30年かかります。これは人間の教育に通ずるものがあります。人生と同じく、がんも「開いた扇」のように広がっていきます。まさに「種子を選べば、あとは大きくなるのを見ているだけのことで、大きくなる力はむしろ種子の方にある」(新渡戸稲造)です。
 30年といえば私は「夜寝る前に30分本を読む」ことを30年続けてきました。読んだ本で大事なことは暗記をします。新渡戸稲造や内村鑑三の本もそうして読みます。2年前には『21世紀の新渡戸とならん』という本を出しました。どうせなれないくせに、と言われました(笑)が、今は「何々たらん」という気概が薄いのではないか。理想の貧困といってよいです。あの「チケットぴあ」が、新渡戸全集寄贈の運動を起こされました。こうした意外性こそ意味があるのではないかと思います。
「我を生みしは父母、人たらしむるは師」といえます。2期生である内村・新渡戸は札幌農学校でクラーク博士という師に一期生を通して間接的に出会いました。クラーク博士は帰国後、事業の失敗などもあり晩年は悲惨であったようです。いわばクラークの生涯は札幌の8ヶ月のためにあったと言えましょう。このクラーク精神のもとから、100年前内村・新渡戸という、相反するものが2つの中心点を持つ楕円形のように同じ時代に存在したのです。50年後には南原繁と矢内原忠雄が同じような組み合わせです。何か50年周期でこういう人物を世に送られている感じですね。ちなみに「がん哲学」は南原の「政治哲学」をイメージしてつくったものです。
地球には今、60億の人口がいます。人の体の細胞は60兆あります。そしてがん化は1つの塩基の変化でも起こります。その緩慢な変化はいつがんになるのか誰にも分かりません。しかし「がん哲学」は、一人のがん化によって地球ががんになることと同様、逆に一人の力によってがんを予防できることを教えています。一人の力を侮るなということです。こうして生命の具象化したイメージに学ぶことができるのです。
 昨年、アスベスト問題が起きて私達の研究が注目されました。中皮種がアスベストと関係があることは大分前から分かっていましたが、クボタショックがなければ注目されなかったのですから不思議なことです。順天堂大学は速効的にアスベスト外来の開始する英断を為しました。私も、最初の3ヶ月間は外来に出て、患者さんに接してきましたが、同じ目線で30分話すとことは大いなる学びの時でした。
さらに「がん哲学外来」として発展させたいと思います。そのモットーは「曖昧なことは曖昧に」、「正当に怖がるのはいかに難しいか」ということです。もう一つ、「お茶の水メディカルタウン構想」というものを考えています。お茶の水の町全体をよりよい医療が受けられるようにすること――御茶ノ水駅の交通バリアフリー化で直接順天堂に連絡させてしまうこと(笑)、セカンドオピニオンはどこでも、喫茶店でも話すように気軽に受けられる等々です。「医療の街」という視点です
 そのためにも「尺取虫」のように、「自分のoriginal pointを定めてから前へ進む」ことが大事ですね。もう一つ「競争的環境で個性を輝かせるための5か条」を挙げておきます。それは「複雑な問題を焦点を絞り単純化する」「自らの強みを基盤とする」「なくてならないものは多くない」「なくていいものに縛られるな」「Red herringに気をつけよ」、要するに「放っとけ」です。今の学生は忙しいことがいいことだという強迫観念があります。医学生には「自分は暇だ」と高らかに言えるような気構えが欲しいですね。
 最近、新聞に「ホッとするところ」(ホットスペース)を紹介して欲しいといわれ、多磨霊園を挙げました。新渡戸や内村、南原、矢内原たちはここに眠っています。皆さん是非散策に行ってみてください。みな畳ないし座布団一枚のささやかな墓場ですが、内村の墓碑銘は有名ですね。読むと人を気宇壮大な気持ちにさせますね。「大いなる人物の志は生存中に実を結んだものだけではない」と言われますが、これを引き継ぐのは後世の我々の責務、まさしく「温故創新」です。我々も「勇ましい高尚なる生涯」を送りたいものです。