天下の士の仕事:配慮と哀れみ
周知のように、先週は「7月としては最大級」の台風4号が沖縄から本土にかけて席巻した。それだけでも異常事態であるのに、16日には中越地方にまた大地震(中越沖地震)があった。まさに自然の威力である。原発のトラブルも連日報道されている。今後も不穏な空気を引きずっていくのだろうか。「落ち付いて住めぬ世を住めるようにしてやるのが、天下の士の仕事である」(夏目漱石)の言葉が鋭く胸に響く今日この頃である。
地震当日の日に東久留米市で開催された「市民公開シンポジウム」(共催:「30年後の医療の姿を考える会」、「NPO法人白十字在宅ボランティアの会」、後援:毎日新聞社)と「『メディカルタウンの青写真を語る』(to be 出版)出版記念会」は、閑古鳥が鳴くかの事前の予想を大きく裏切り、立錐の余地なき大盛況であった。驚きである。「メディカルタウン」という言葉は数年後、人々の日常語となる予感がする。宮崎から「かあさんの家」(先日NHK「おはよう日本」で放映)の市原美穂さん、熊本から松本武敏先生も駆けつけてくださり、まさに「朋有り遠方より来る」である。聖路加看護大学の井部学長、順天堂大看護学部の稲富学部長も足を運んでくださったのは有り難いことであった。
当日は、女性の参加者が目立った。病める貧しき人々を世話し、看取ったマザー・テレサの生涯は周知のことであるが、この度、「危機に際して聡明して勇気」ある王妃であった「エステル」、ミレーの「落ち穂拾い」を思い出す「涙をそそる忠実な母と嫁の物語」である「ナオミとルツ」を学ぶ勉強会が、地元の女性の有志でスタートするとのことである。「女を見るのは、やっぱり女の方が上手ね」(夏目漱石)が実感される。
思えば、今回の出来事は、昨年4月22日東久留米市にあるCAJの女子高校生のレポート課題であった「高齢者社会時代への備え―人生 檜舞台の始まり―」のタイトルで急遽、講演依頼を受けたのがきっかけであった。その時の参加者(秋山正子さん、吉川厚子さん)との、その後の交流が起点にある。大いなる出会いは、どこにころがっているのか、人知を遙かに超えている。我々は「眼前」の与えられた任務を忠実に、全力を持って尽くしかないであろう。
今回のシンポの盛況は、主催者の皆様の集客力および地元の人々の献身的な働きによるところが大であった。「愉快」な「同好の士」的な仲間の輪の中にいると、現在の自分の置かれた境遇がどうであろうと、「人生いばらの道にもかかわらず宴会」としての人間共同体の優しさをさりげなく感ずるのは、筆者のみであろうか? 「配慮と哀れみ」は、時代を超えた「人生の描写」であろう。
周知のように、先週は「7月としては最大級」の台風4号が沖縄から本土にかけて席巻した。それだけでも異常事態であるのに、16日には中越地方にまた大地震(中越沖地震)があった。まさに自然の威力である。原発のトラブルも連日報道されている。今後も不穏な空気を引きずっていくのだろうか。「落ち付いて住めぬ世を住めるようにしてやるのが、天下の士の仕事である」(夏目漱石)の言葉が鋭く胸に響く今日この頃である。
地震当日の日に東久留米市で開催された「市民公開シンポジウム」(共催:「30年後の医療の姿を考える会」、「NPO法人白十字在宅ボランティアの会」、後援:毎日新聞社)と「『メディカルタウンの青写真を語る』(to be 出版)出版記念会」は、閑古鳥が鳴くかの事前の予想を大きく裏切り、立錐の余地なき大盛況であった。驚きである。「メディカルタウン」という言葉は数年後、人々の日常語となる予感がする。宮崎から「かあさんの家」(先日NHK「おはよう日本」で放映)の市原美穂さん、熊本から松本武敏先生も駆けつけてくださり、まさに「朋有り遠方より来る」である。聖路加看護大学の井部学長、順天堂大看護学部の稲富学部長も足を運んでくださったのは有り難いことであった。
当日は、女性の参加者が目立った。病める貧しき人々を世話し、看取ったマザー・テレサの生涯は周知のことであるが、この度、「危機に際して聡明して勇気」ある王妃であった「エステル」、ミレーの「落ち穂拾い」を思い出す「涙をそそる忠実な母と嫁の物語」である「ナオミとルツ」を学ぶ勉強会が、地元の女性の有志でスタートするとのことである。「女を見るのは、やっぱり女の方が上手ね」(夏目漱石)が実感される。
思えば、今回の出来事は、昨年4月22日東久留米市にあるCAJの女子高校生のレポート課題であった「高齢者社会時代への備え―人生 檜舞台の始まり―」のタイトルで急遽、講演依頼を受けたのがきっかけであった。その時の参加者(秋山正子さん、吉川厚子さん)との、その後の交流が起点にある。大いなる出会いは、どこにころがっているのか、人知を遙かに超えている。我々は「眼前」の与えられた任務を忠実に、全力を持って尽くしかないであろう。
今回のシンポの盛況は、主催者の皆様の集客力および地元の人々の献身的な働きによるところが大であった。「愉快」な「同好の士」的な仲間の輪の中にいると、現在の自分の置かれた境遇がどうであろうと、「人生いばらの道にもかかわらず宴会」としての人間共同体の優しさをさりげなく感ずるのは、筆者のみであろうか? 「配慮と哀れみ」は、時代を超えた「人生の描写」であろう。