3大欠損症候群の時代―「感性」、「胆力」、「理想」
前回触れた中学生、高校生の3クラスの授業を無事終えた。居眠りゼロで、質問も多数あった。「言葉が心に届く」とはいかなる状況かを、少しばかり感ずることが出来たのは、日頃医学生に講義する立場にある大学人にとっては大いなる学びの時であった。昔つて内村鑑三の「私の生涯の実験が私にこの知恵を与えてくれた」の言葉を思い出した。
ところで、私の先週の読書は、最近神田の古本屋で入手した『新渡戸稲造伝』(石井満著、1934年発行)であった。新渡戸稲造の死去の翌年に出版されたものである。その中に「カーライルとゲーテ」という項がある。新渡戸稲造は若き日、カーライルの『サーター・レザタス(衣装哲学)』を熟読し、日頃の憂鬱病が雲散霧消したことは殊に有名である。
「世の中は地味なものであり、真面目なものが一番勝利を占めるものであり、且つ自信強き者が一番勝つことを教えた」と述べている。カーライルは意志の強い、無愛想で、ゴツゴツとした人間であった様である。
「人間に貴ぶべきはキャラクターである。人の芸とか品行とかいうものも之をキャラクターに比較すればズッと軽いものである」の思想を持ち、「品行方正のモット奥がなければならない」と述べ、「門構が立派で奥が汚い」ことをいさめている。これが最近、藤原正彦氏の著書で流行語になりつつある「品格」の本来の定義であろう。「ゲーテの太洋の如く清濁を併せのむ寛大な大思想がカーライルを起こした」と知ることは何と楽しからずやである。
その新渡戸稲造は幼少の時「この少年は一つ間違へば不良少年になるかも知れない、だが仕立方によっては後世に名を成すかも知れないからどうか気をつけて十分教育してもらいたい」と祖父に折紙をつけられている。ここに教育の根拠があろう。
我々は、ますます多元性と相対化していく世界に生きる。この時代の流れにあって、旧制第一高等学校において新渡戸稲造と人格的に出会い、その後新渡戸稲造の紹介により内村鑑三の門を叩いて一生を貫いた、戦後初代の東大総長南原繁の学びは、「地の塩」となる人物の具象化したイメージを我々に与えてくれる。現代の3大欠損症候群といわれる「感性の欠損」「胆力の欠損」「理想の欠損」を克服する的確な療法でもあろう。
前回触れた中学生、高校生の3クラスの授業を無事終えた。居眠りゼロで、質問も多数あった。「言葉が心に届く」とはいかなる状況かを、少しばかり感ずることが出来たのは、日頃医学生に講義する立場にある大学人にとっては大いなる学びの時であった。昔つて内村鑑三の「私の生涯の実験が私にこの知恵を与えてくれた」の言葉を思い出した。
ところで、私の先週の読書は、最近神田の古本屋で入手した『新渡戸稲造伝』(石井満著、1934年発行)であった。新渡戸稲造の死去の翌年に出版されたものである。その中に「カーライルとゲーテ」という項がある。新渡戸稲造は若き日、カーライルの『サーター・レザタス(衣装哲学)』を熟読し、日頃の憂鬱病が雲散霧消したことは殊に有名である。
「世の中は地味なものであり、真面目なものが一番勝利を占めるものであり、且つ自信強き者が一番勝つことを教えた」と述べている。カーライルは意志の強い、無愛想で、ゴツゴツとした人間であった様である。
「人間に貴ぶべきはキャラクターである。人の芸とか品行とかいうものも之をキャラクターに比較すればズッと軽いものである」の思想を持ち、「品行方正のモット奥がなければならない」と述べ、「門構が立派で奥が汚い」ことをいさめている。これが最近、藤原正彦氏の著書で流行語になりつつある「品格」の本来の定義であろう。「ゲーテの太洋の如く清濁を併せのむ寛大な大思想がカーライルを起こした」と知ることは何と楽しからずやである。
その新渡戸稲造は幼少の時「この少年は一つ間違へば不良少年になるかも知れない、だが仕立方によっては後世に名を成すかも知れないからどうか気をつけて十分教育してもらいたい」と祖父に折紙をつけられている。ここに教育の根拠があろう。
我々は、ますます多元性と相対化していく世界に生きる。この時代の流れにあって、旧制第一高等学校において新渡戸稲造と人格的に出会い、その後新渡戸稲造の紹介により内村鑑三の門を叩いて一生を貫いた、戦後初代の東大総長南原繁の学びは、「地の塩」となる人物の具象化したイメージを我々に与えてくれる。現代の3大欠損症候群といわれる「感性の欠損」「胆力の欠損」「理想の欠損」を克服する的確な療法でもあろう。