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よもやまばなし

面白き こともなき世を面白く

千躰という地名って・・・ちょっと怖い?

2004年12月08日 15時17分38秒 | 街で見つけた面白い物
僕の家の近くに「千躰」という交差点があります。
そのあたりの地名も千躰というんですが、僕が子供の頃に今はもう亡くなったおばあちゃんから聞かされた話を・・・。

400年ほど前、天下分け目と言われた1600年の「関が原の合戦」の後、1615年5月に大阪城を舞台に繰り広げられた「大阪夏の陣」で大阪城南方の茶臼山・岡山付近での最終決戦に敗れた豊臣氏は滅びました。
現在の大阪、ナンバの千日前はその昔、敗れた豊臣方の将兵を処刑した刑場であったというのはわりと有名です。
では、その時処刑された沢山の遺体はどうなったんでしょう?

その沢山の豊臣方の将兵の遺体を運んで埋めたのが、この「千躰」だというのです。
千の遺体を埋めた場所なので「千躰」というのだそうです。
このあたりは、今でこそ幹線道路「あべの筋」と「長居公園通り」の交差点ですが、当時は その頃の幹線道路だった「熊野街道」から東にそれた、小さな集落が点在するような所だったようです。
遺体の数は千どころではなかったでしょうが、当時の庶民には「千=沢山」という意味があったそうです。
そして注目して欲しいのは「千躰」の「躰」の文字です。
「遺体」の「体」は、にんべんです。でも、「千躰」の「躰」は、へん が身になっています。
これはどういう意味でしょう?

「体」とは人間の全身を指しますが、それに対して「躰」とは人間の首から下を指すのだそうです。
つまり、打ち首となって首を切り落とされた遺体ということです。

この話を聞いて以来 30年以上も僕は気になって仕方ありません。
字体の話なんか、けっこう信憑性がありそうな話なので 自分で色々と調べたんですが、どうもよくわかりません。
誰か真実を教えてくれる方はいませんか?



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