新歓情報
高尾山ハイキング 3/16(土) 詳細はホームページを御覧ください。
どうも、全然更新できないまま年が明けて、さらに2月になってしまいましたが、夏合宿裏銀座編です。
8/24から29で裏銀座縦走をしてきました。
まず1日目。
この日は早朝に南大沢を出発して、電車でのんびりと信濃大町駅まで。
その後はタクシーで高瀬ダムまで行って泊まりました。
駅の自販機か売店かにあったりんごジュース。
テン場の写真は撮り忘れました・・・。
2日目。
早朝にテン場を出発。ブナ立て尾根を登っていきます。
結構きつい登りでしたが、順調に進み予定より早く烏帽子小屋に到着できました。
その後はテントを張ってから烏帽子岳へ。
そこそこいい景色が楽しめました。
テントに戻った後は次第に天候が悪化し雨も降り出してきました。翌日の天気を心配しつつ就寝。
この日もテン場の写真撮ってない。
というかこの山行全然テン場の写真が無かった。
天気悪かったから仕方ないね。テント入ったら何もする気が起きなかったしね。
3日目。
朝起きた段階では雨だったのですが、しばらくすると晴れてきました。
とはいえ一時的なものだったようで、次第に天候は悪化。
烏帽子小屋から野口五郎岳を通って水晶小屋までの行程でしたが、ほとんど雨でした。
写真も1枚だけ・・・。
レンズに水滴がついてしまっていたので何もわかりません。
一応野口五郎岳の山頂です。
雨のせいかペースもなかなか上がらず、この日はかなり疲れました。
水晶小屋に着くと、もう一班は停滞したとの情報。まあこの天気ならやむなしだよね。
そういえば、山小屋に泊まったのはこの日が初めてでしたね。想像以上に快適でした。濡れた物も乾かせるし。
2年のTが「テントに比べたら天国です」と言いつつずっと寝てました。
でも朝になったらちゃんと起きてね。
4日目。
雨は止んだけど相変わらずガスってました。
停滞したもう一班とペースを合わせるために4日目、5日目はのんびり進行することにしたので、明るくなってから水晶岳をピストン。
小屋に戻った後は、三俣山荘まで行ってテントを張ってから鷲羽岳へ。
午後になると多少回復する見込みがあったので、先に三俣山荘に行ってから鷲羽岳に登りました。
結果としては良かったのかどうなのか。基本的にはガスで何も見えませんでしたが、時々写真のようにガスが晴れたりもしました。
雨は降ってなかったし、時間もあったので1時間くらいのんびりしてたかな。
その後はテントに戻ってこの日は終わりました。
5日目。
茹でるのを失敗した朝食のうどんに苦戦しましたが、天気は良くて出だしは好調。
全行程で一番良い日だったかもしれません。
しばらくして三俣蓮華岳山頂に到着。
天気が良かったので、槍ヶ岳の穂先が見えました。
この山行で唯一槍ヶ岳の姿を見た瞬間かもしれません。
その後は双六岳へ。
稜線は電波が通じたのでもう一方の班からの報告を確認すると、この日中に槍ヶ岳山荘まで行くらしい。
とはいえこちらは時間的にもどうしようもなかったのでこの日は双六小屋までで終わりました。
翌日の天気はこの時点では曇りの予報。「まあ槍ヶ岳まで行くことはできるでしょ」と言いつつ就寝。
6日目。
予報に反して夜中も降り続く雨。
何度か目を覚ました時は結構降ってた気がします。
そして朝、止んでいるはずの雨が降っている・・・。
とりあえず朝ごはんを食べてから小屋に天気予報の確認に行くと、前日夜とは一転して1日中雨の予報でした。
しかも雷注意報まで出てるし・・・。なんか翌日もこの天気続きそうだし・・・。
そんなわけで、協議の結果槍ヶ岳を諦めてこの日で下山ということになりました。
下山した我々を待っていたのは3年Hからの「ちゃっかり槍登りました。」という煽り。
残念だったけど、実際槍ヶ岳の方は雷鳴っていたらしいし、翌日もひどい天気だったみたいなので英断だったと思いたいところです。
ブログ更新サボってすいません…
久々の更新ですがとりあえず夏合宿について書きます!
8/24(0日目)
この日は昼に大学に集合し、豊科駅まで行き宿泊。
この時点ですでに天候への不安が滲み出ています。
8/25(1日目)
タクシーで一ノ股登山口まで送っていただき、常念小屋まで登ります。
美しさすら感じるトイレの前で写真を。
終盤は傾斜も中々で疲れましたが予定よりも早く常念小屋に到着出来ました。階段は雨だと少し滑ります。
テントを張ろうとした刹那、雨が降り出しました。急いで張って引きこもります。
初日は行動時間が短いとはいえ、疲労もあり19:30には眠りに落ちました。
8/26(2日目)
夜明け前から怒濤の如き風がテントを揺らし睡眠を妨げました。台風15号の気が変わって進路を東へとシフトしたようです。
とりあえず起きて朝ご飯を食べたものの動きたくない…ということで停滞を決定。全員で二度寝へ突入。起きてからも鬱々としたテントの中でひたすら人生ゲームに興じ、ダラダラ過ごしました。
いい加減気分が萎えてきた頃、突然太陽の光が燦々と山を照らし始めたので狂喜乱舞し外へ出て身体を動かしました。一日中テントにいると節々が痛むのです。
空気を吸引して回復。
しかし、結局また雨が降り出したのでそそくさとテントに帰り、翌日の天候回復を祈願。
8/27(3日目)
祈願成就とはいかなくとも多少は天気が回復したので常念岳へ。
張り切って勇み出たものの前日にグータラ生活を送っていたので高山病めいた症状に悩まされました。が、バファリン飲んだら治りました。バファリンすごい。
サンダーバードを発見しつつ頂上へ到達。頂上の写真は別のカメラで撮ったので今手元にないのですがどうせ碌な写真じゃありません。どうしても見たかったら「常念岳 頂上」でGoogle画像検索してください。その画像の背景を真っ白にして手前にワンゲル部の人間がぽつんといるのを想像すれば写真を見たも同然です。
そんな陰気な画像より爽やかなテン場付近の写真をのせます。
常念岳に登った後はまた下りてテントを畳み、大天井岳へと向かいます。
出発してからすぐに休んで呑気に小屋の写真をパシャリ。なぜならすぐにへばる輩がいたからです。やっぱり1日怠けるとダメですね。
なんとかこの日テントを張る大天荘に到着。途中でまた雷鳥を発見。親切な方がなんとこの2800m超の高地には猿もいるということを教えてくれました。猿は見つかりませんでしたが東京に帰ってきてから新聞を見ると、東天井岳付近で猿が雷鳥を餌にして問題になっているということが書いてありました。どうやら同じ頃に調査隊が近くにいたようです。
そんな話はさておきテントを張り大天井岳へ。
今回の合宿の中では一番景色の見えるピークでゆっくり30分頂上で過ごしました。振り返るとキチンと縦走してきたことが伺い知れます。
8/28(4日目)
この日は一気に槍ヶ岳を目指します。幸い天候はそれなりに良好。
ベンチの真横にあるのはヘリポート…?
木になる実を見るたびに押し寄せる持ち帰りジャムにしたくなる衝動。
4日目にしてようやく槍ヶ岳が視界に!
進むと左には常念(すごい見辛いけれども)、右には槍。
西岳山頂へと道が目に入る、しかしこれを意外にもスルー。槍へ一直線。
なぜならばここから先の東鎌尾根が今回の本番と言っても過言ではないからです。
1年S「梯子は所詮高度感がない」
3年H「梯子はコスパいい、一気に300m梯子を登りたい」
梯子はこんな感じでした。梯子を下りた場所にも油断ならぬやせ尾根(通称デスゾーン)があり、楽しいです。
つけ麺が美味しいと評判のヒュッテ大槍まで来たらもう少しです。物欲しげな顔で中を眺めながら休憩するも誘惑に負けず登り続けます。
近し!
槍ヶ岳山荘に到着。結構ハードなルートでみんな疲れたみたいだったので槍に登るのは翌日に。本当はこの日にも登りたかったなんて思ってもいないですとも。
山荘で充電出来るのをいいことに愚かにも艦◯れに興じるメンバーも。また、夜には学級文庫のあるべき姿について熱い議論が交わされました。
8/29(5日目)
朝から雨。例によって何度目かわからぬ人生ゲームを開始。
多少天候が回復したのを見計らってテントを脱出。
突撃!山小屋の昼ご飯。
しばらく小屋でのらりくらり過ごした後、機を見計らってとうとう槍ヶ岳へ。
さすがにこれは高度感あるだろう、と思ったものの周りが真っ白で景色が見えないから高度感はないと言い張るメンバーも。
登り切りました!何も見えませんが…でもやっぱり来れてよかったです。写真だとイマイチ迫力が伝わりませんが、というより撮るのが下手なせいですが、結構狭いので端の方に行くと怖いです。「槍の頂上は4畳半」なんて嘯く人間もいますが実際は15畳くらいはあった気がします。
8/30(6日目)
雨、風トモニ非常ニ強シ。
あまり天候が良くなる気配はありませんでしたが、2年Aの「6時35分には良くなりますよ」という言葉を信じ、雨の中「後はどうせ帰るだけだ、エイヤソラッ!」と撤収をしました。風が強くて声も通らず、まともにテントを畳むのには難儀しましたが気合いとそろそろ家が懐かしい、そもそも下界の生活が恋しい、風呂に入りたいという思いを胸にスタコラサッサと下山を始めました。目指せ上高地。
当然写真など撮る気力も余力も甲斐性もありませんでした。カメラも完全防水といわけではありませんし、悪しからず。
東京に引き寄せられるかのように他のパーティを抜きに抜き、コースタイム8時間の道のりを休憩を取りつつ6時間30分弱で下山しました。
しかし、上高地にはバスターミナル付近に温泉があまりない、あったとしてもすぐ閉まるという事実を確認しておらず、文句を垂れながら松本駅まで行って銭湯に入ることになりました。
何はともあれ無事下山出来たので良しということです。
今回の合宿で感じたのはやはりアルプス系の山は普段良く行く奥秩父とは全然違う、ということです。今年のアルプス系への登山は夏合宿しか成功していませんが、もっと登るべきだと思いました。
以上、これからは順次他の山行についても書いていこうかと思います。書けたらいいですね…
まあというわけでアスタラビスタ!
遅ればせながら春に行った旅行について記そうと思います。あるいは発生した悲劇とも呼べましょうか…
あれは春期の長々とした休暇にも慣れてきた三月中頃の出来事でした。
とある計画が不運にも頓挫した後、我々一行は鳥取砂丘・出雲大社へと旅に出ようと息巻いておりました。
三月十四日。途中の浜松駅で目当ての餃子店に入れないという不慮の事故にもめげずに我々は鈍行列車で意気揚々と姫路まで馳せ参じ、翌日に備え一度とある宿に 宿泊することにいたしました。そこでは名物である姫路焼きなるものに舌鼓を打ち、一行は満足し床に就き、一日を終えました。
三月十五日。夜明けと共に一行は砂の都、鳥取へ向かうため鈍行列車に乗り込みました。それはそれは苦難の道のり…ということもなく無事に都に辿り着き、我々は砂漠、もとい砂丘へと足を運ぶのでした。鳥取砂丘はどうでしょう、想像以上に展望が良いもので高揚した気分そのままに年甲斐もなく海岸沿いに落ちていた縄で大縄跳び などし始める始末です。そこには周りの目を憚る精神性など微塵もありません。童心を携えた我々は鳥取の宿へと向かい、夜更けまで話に花を咲かせました。も ちろんその時は翌日以降に起きる悲劇などは知る由もなく…
三月十六日。起きてロビーに集まると人数が一人足りないことに気付きます。おやおやどうしたのだろうか、と私が部屋を訪ねるとそこには悶え苦しむM(当時2年)の姿がありました。Mは体調を著しく崩したのです。彼は本当に全く何も悪いことをしていないのにど うしたのでしょう。前日に食した海鮮丼に当たったのでしょうか、はたまた早くに床に就かなかったことが災いしたのでしょうか。ともあれこれが悲劇の始まり であったことは今思えば確かです。幸い、大事には至らなかったので一行は鳥取を後にし、神様にお祈りすべく出雲へと向かいました。その一途は一見平凡ではありましたが、Mにとっては苦難の道で非凡でありました。また、他の誰かにとっても苦難の道であったとはこの時に私は気付くことが出来ませんでした。出雲に着き、蕎麦を食して大社の前で写真を撮ります。一人足りません。お気付きかもしれませんがT(当時2年)が胃腸炎で離脱したのです。これは海鮮丼のせいだと火を見るよりも明らかといったところでしょうか。早々とお祈りしなくては。我々は早速出雲の神へ会いに行きました。我々はお参りをします。終わりました。また一人減っています。K(当時1年)もまた胃腸炎に罹ったのです。Kは海鮮丼など食していません。呪いでしょうか。縁結びの神は病魔から救ってはくれないようでありました。あるいは信仰が足りなかったともいえます。神にも見捨てられた一行は病院で待つTに会いに行きました。長であるTは投げやりに我々に解散を命じました。こうして我々の春合宿は悲しい結末を迎えたのであります。
後日談。それぞれ帰路へと向かった我々ではありますが呪いなど簡単には解けないのが常です。お祓いなどしていないのですから尚更です。H(当時2年)は大阪で力尽きたといいます。かくいう私も病魔に犯されましたが守銭奴である性質上鈍行列車で帰還いたしました。新幹線に乗るという賢い選択をしたTやKとは違い…。それでも崩れた体調で食す京都のラーメンはそれはそれで格別であったともいわれています。
こうして生存率四十四%という不吉な旅は完全に終局となりました。
以上
P.S.写真は気が向いたらのせます さて、甲武信ヶ岳に行ってきますか
こんにちは!
遅くなりましたが、2014年10月18日(土)19日(日)に両神山に行っておりましたので報告いたします。
10月18日
部室前にて4:20ごろです。
土日の山行なのでいつものように朝早く部室に集合。
南大沢駅まで歩き、電車で西武秩父駅へ。
ここからはバスで日向大谷まで行きます。
両神温泉薬師の湯で日向大谷行きに乗り換えます。
バスは西武秩父駅から日向大谷まで500円でした。
日向大谷登山口です。10:25ごろの行動開始です。
10分ぐらい歩いて、こんなところがありました。
11:00写真の左のほうからきて、左に曲がって清滝小屋へ行きます。
分岐すぐ後の沢。
しばらく谷を歩くところが続いたあと、白藤の滝の分岐がありましたが、今回は行かずに清滝小屋へ直行。
清滝小屋到着。しっかりした小屋です。ここにテント泊しました。
水場やテント場はこのようになっています。トイレは割としっかりしていました。
晩御飯はカレーです。レトルトです。
寝ているときにはテントのそばに山の野生の生き物がきたそうです。
自分は気が付かなかったのですが、怖かったみたいです。特に被害はありませんでした。
10月19日
いつもの朝ごはん、ラーメン&もちを食べて、少し暗い時刻に出発。
このように少し急なところもありました。
ある程度登り切ったら両神神社に到着。
少し急なところ。
眺めがよいところ。右のでこぼこした尾根は八丁尾根といい、八丁峠への道がその上にあります。見るからに険しそうです。
もうちょっとで山頂です。
両神山、山頂到着。
あまり展望は利かない感じでした。
まだ葉っぱの色はそんなに染まっていませんでしたが、尾根のうえは少し色づいていました。
天気は二日間こんな感じでした。
集合写真。
あとは下っていきます。
分岐の写真です。右の写真の道を下ってきました。ここで右に曲がって下るとすぐに清滝小屋です。
小屋に到着です。
写真の上のほうに赤くなった葉が少しだけ写っていますが、ここから見える紅葉はきれいでした。
テントを回収して、あとはバス乗り場まで下って無事山行終了しました。
帰りには、行きでバスを乗り換えた薬師の湯で温泉にゆっくりとつかって帰りました。
二日間天気に恵まれて、紅葉はまだ盛りではありませんでしたが楽しく山登りをできました。
以上です。