1 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (マルシップ) 2006-07-16 20:25:38 今日(2006/07/16)の天声人語で、八甲田丸が紹介されています。http://www.asahi.com/paper/column20060716.html 煙突を改造した展望台から、青森港が眼下に広がる。海面すれすれをカモメが飛んでいく。88年に廃止された青函連絡船で、最後まで就航していたのは8隻だった。青森に係留されているのは、そのうちの八甲田丸だ。 観光客向けに公開されているが、最盛期に比べ客数は5分の1に減った。船体の塗装ははげ、老朽化は著しい。補修費を集めるため、商工会議所が中心となって今月初め、「守る会」がつくられた。 津軽海峡を挟んだ函館港には、摩周丸が浮かんでいる。事情はこちらも同じだ。維持費がかかる中、どうやって保存していくか、模索が続いている。ほかでは羊蹄丸が東京の「船の科学館」に、大雪丸が長崎港に係留されている。大雪丸は約10年間、海上ホテルとして利用されたが、昨年末営業を終えた。 羊蹄丸の元航海士で、連絡船のその後を調べている川村修さん(48)によると、残る4隻は海外に売られ、数奇な運命をたどったという。石狩丸と空知丸はギリシャの船会社の所有になり、エーゲ海やアドリア海でフェリーとして活躍した。黒海航路に転じ、ルーマニアやトルコの港につながれていたが、いまは引き取り手を探している。石狩丸はスクラップとして、すでにインドに曳航(えいこう)されたとの説もある。 フィリピンでカジノホテルとして利用されていた十和田丸と、インドネシアに売られた桧山丸は、もう自力では動くことができないそうだ。 こう見ていくと、いくら赤字とはいえ、ふるさとに残った八甲田丸と摩周丸は、随分幸せな余生を送っているように思える。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
http://www.asahi.com/paper/column20060716.html
煙突を改造した展望台から、青森港が眼下に広がる。海面すれすれをカモメが飛んでいく。88年に廃止された青函連絡船で、最後まで就航していたのは8隻だった。青森に係留されているのは、そのうちの八甲田丸だ。
観光客向けに公開されているが、最盛期に比べ客数は5分の1に減った。船体の塗装ははげ、老朽化は著しい。補修費を集めるため、商工会議所が中心となって今月初め、「守る会」がつくられた。
津軽海峡を挟んだ函館港には、摩周丸が浮かんでいる。事情はこちらも同じだ。維持費がかかる中、どうやって保存していくか、模索が続いている。ほかでは羊蹄丸が東京の「船の科学館」に、大雪丸が長崎港に係留されている。大雪丸は約10年間、海上ホテルとして利用されたが、昨年末営業を終えた。
羊蹄丸の元航海士で、連絡船のその後を調べている川村修さん(48)によると、残る4隻は海外に売られ、数奇な運命をたどったという。石狩丸と空知丸はギリシャの船会社の所有になり、エーゲ海やアドリア海でフェリーとして活躍した。黒海航路に転じ、ルーマニアやトルコの港につながれていたが、いまは引き取り手を探している。石狩丸はスクラップとして、すでにインドに曳航(えいこう)されたとの説もある。
フィリピンでカジノホテルとして利用されていた十和田丸と、インドネシアに売られた桧山丸は、もう自力では動くことができないそうだ。
こう見ていくと、いくら赤字とはいえ、ふるさとに残った八甲田丸と摩周丸は、随分幸せな余生を送っているように思える。