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今日の一言

日々の生活の中で見つけた「なぜ・なに」について書いています。

EQUINOXE 軌跡

2022-05-15 23:16:51 | Weblog
 昔買ったレコードコレクションをまたいつか聴いてみたいと思い、新しいレコードプレーヤーの購入を検討した事がありました。

 かつてはステムコンポのアンプにプレーヤーをつないでレコードを聴いていましたが、今はなんとBluetoothで接続できるプレーヤーもあるようです。そんな時ストリーミング音楽配信を利用し始めました。私はSpotifyを使いますが、驚いた事に私のレコードコレクションの多くを聴くことができました。これはまさに時空を超えたデジタルジュークボックス! 私にとっては大きなカルチャーショックでした。

 そういえば変わったジャケットのレコードを持っていたなあ? ふとあるアルバムを思い出しました。私が青春時代を過ごした80年代は音楽界におけるシンセサイザーの黎明期でした。当時は様々なシンセサイザーを駆使したミュージシャンが数多く活躍しました。日本ではYMOがその先駆者でしたが、友人たちと話している時にある海外のミュージシャンの名前が挙がりました。その1人がジャンミッシェルジャールでした。ジャンはフランスの音楽家、シンセサイザーを使うキーボーディストだと友達が教えてくれました。そして私は早速レコード店へ向かい、彼の最新アルバムを買ったのです。


 いかがですか、とてもインパクトのあるジャケットでしょ。これ、遠くから見るとフクロウの大群に見えません? ちなみにアルバム名のEQUINOXEとは昼夜平分時、つまり春分と秋分の事を意味します。ともあれ衝動買いしたこのアルバム、早速聴く事にしました。まず驚いた事は、収められている曲の名前です。単に無機質にナンバリングされただけの曲名になっており、さらに全ての曲がつながっているという驚愕の構成でした。曲調として明確に特徴を捉える事ができるものは、A面の最後の曲とB面の最初の曲(これはシングルカットされたらいしい)です。それ以外は単調な曲の繰り返しが続きます。数十年ぶりにSpotifyでこのアルバムを聴いてみましたが、なぜか懐かしい気がしました。そこにはマイコンやシンセサイザーに夢中になっていた学生時代を思い出している自分がいました。


 ところで、ジャンミッシェルジャールの事をネット検索していると「カールセーガン、コスモス」というキーワードが出てきました。そう言えば80年代に宇宙科学者のカールセーガン博士が書いた書籍が発売された事を思い出しました。この本の上下巻は我が家にもあり読んだ記憶があります。そしてこの書籍の内容をテレビ化した番組が日本でも放送されました。その番組のBGMとしてジャンミッシェルジャールの曲が使われていたのです。もしかすると私もこの番組を見て、その音楽について雑誌などで調べてこのアルバムにたどり着いたのもしれません。

 最近は昔の記憶が連鎖的に次々と蘇ってくる事が多くとても面白いです。これも私が子供の頃からいろいろな物に興味を持っていたからかもしれません。加えてこのgooブログで出会った人たちのいろいろな記事を読ませて頂く事も、よき刺激になっているように思います。ちなみに調べてみるとジャンミッシャルジャールは今年で73歳、時の流れは早いです。

 な

勇気の出る言葉

2021-12-05 18:27:54 | Weblog
 農耕によって生計を立てているアフリカの人たちを取材した方のお話です。

 記者が雨乞いの儀式について村長に話を聞きました。すると村長はこう言いました。「私たちの生活には農作物を育てるために雨が欠かせません。神の恵みである雨が降るように普段から祈りの儀式は欠かせません」季節によっては何か月も雨が降らない時期があるそうで、毎日儀式を行うのはさぞかし大変だろうと思い労いの言葉をかけた所、このような返事が返ってきたそうです。「雨乞いをするのは全く大変な事ではありません。儀式をすれば必ず雨は降りますから。」とても不思議に思ってその理由を記者は聞きました。すると村長はこう答えたそうです。「私たちは雨が降るまで雨乞いを続けるからです。」

 お話はここまでです。普通の事じゃないかと思われたかもしれません。しかしよく考えてみると、この村長さんの言葉には深い意味が込められている事に気づきます。それは、忍耐力と継続力です。決してダメだと諦めずに、努力し続ける意思の強さがそこにはあるのです。

 次に、これをご覧ください。


 梅田のハービスプラザに行った時に、ボーコンセプトというお店で見つけました。額縁に目を惹かれたのではなくて、私の目をくぎ付けにしたのは額の中にあるこの言葉でした。

 KEEP GOING, YOU ARE GETTING THERE.

 進み続ければ きっとあなたはそこに行きつく事ができる、という意味です。この言葉の最も重要な部分は「KEEP GOING」、とにかく努力を継続する事です。その頃、ちょうど子供が大学受験に向けて勉強していたので、私はこの写真を息子に送りました。継続は力なりと言われるように、何事も続けていく事が大切なのです。そのためには継続できるための工夫も必要です。その工夫には様々なやり方がありますので、皆さんもいろいろ考えてみて下さい。あれこれ杞憂する時は、とりあえず一歩前に進んでみましょう。

 な

ラ・ジャポネーズ

2021-11-24 12:00:32 | Weblog
 アメリカに留学していた時は、休日には地下鉄に乗ってワシントンDCの中心部まで行き美術館巡りをしたものです。ほとんどの美術館は入館料が無料なので、いくらでも名画を見る事ができました。中でも私はフランスの画家のクロード・モネとルノアールの絵が好きなので、多くの絵画をゆっくりと鑑賞したものです。

 ところで3年前にボストンに行った時、ボストン美術館へ行きました。その日は平日だった事と開館と同時に中に入ったため館内に人はまばらでした。


 多くの絵画を見ましたが、中でも印象的だった絵画がこれ、


  クロード・モネの『ラ・ジャポネーズ』です。

 モネは日本が好きで、多くの浮世絵を所有していたそうです。この絵では、さまざまな色彩の団扇を背景に、美しい女性(モネの最初の妻がモデルになっています)が扇子を手にして鮮やかな赤い着物を着て微笑んでいます。実際の絵は大きくて私の身長以上あります。調べると意外にもモネのこの絵に対する評価はあまり高くなかったそうです。しかし私はモネが自分の妻の表情をとても優しく美しく描いているように感じます。

 ところがこの絵が発表された3年後に、モデルとなった彼の妻のカミーユは32歳という若さで亡くなりました。こんな悲劇があった事は、後になって知りました。一体彼女に何があったのでしょう。この女性の表情からは、全く想像すらつきませんでした。

 な

矢印の方向から

2021-11-13 11:16:16 | Weblog
(再掲です)
 矢印とは、方向を指し示すために使われる記号です。つまり方向を矢の形で表現しています。

 次に「矢印の方向」という言葉の後には、「に」や「へ」という助格詞が続きます。『矢印の方向にお進みください』『矢印の方向へお進み下さい』という表現が自然です。


 これは、あるお店のレジで見かけた看板です。『矢印の方向から』とは、どういう意味なの? 一体ここのレジでは、どの順番に並べばよいのだろう。そしてさらに謎の番号が書いてあります。ちょっと迷いそうですね。まあ困ったら店員さんに聞けばよいのですが。

 さてこの話には続きがあります。

変な看板だなと思って横をみると、なんとこの看板の一部に張り紙がして言葉が修正されていました。修正後は『矢印の方向へと』となっていました。つまり「から」の上に紙が貼られて「へと」と書き直されていたのです。なるほど、それなら矢印の方向へ並べばよいのでとても分かりやすいですね。従業員が気づいたのか、お客さんからクレームがついたのか、真偽の程はわかりませんでした。

 ところでこの修正されていない看板を改めて見て「矢印の方向から」という表現が正しいのかどうかを考えてみました。「方向から」となると、その方向から逆戻り(Uターン)するようなイメージになりそうです。日本語で検索してもあまりこの表現は出てきませんでした。やはりおかしい表現なのだろうか。でも書かれている数字が、逆戻りの順になっているので そうなのかと思わせます。

 それでは、英語で考えてみましょう。方向はdirectionです。○○の方向へと言うときは「in the direction of」と表現されます。方向を示すdirectionにはinという前置詞が用いられます。でも調べていると「come from the direction of」という表現もあるようです。これはその方向から戻ってくるという意味になります。でもdirection という単語自体には方向性はありません。一方、矢印をかけば一方向になりますので、この考察には無理がありそうです。

 という事で、いろいろ考えてみましたが結局はよくわかりませんでした、すみません。引き続き考えてみたいと思います。国語学者の金田一春彦先生のご意見を伺いたいなあ。

 な

水中エアーステーション

2021-03-08 17:28:58 | Weblog

 小学生の頃、とても不思議なCMがありました。子供心にどうしても忘れられない印象的なCMが、こちら、


水中エアーステーション 10か所』というナレーションとこの映像が印象的で、小学生だった私に強い衝撃を与えた あべのプールのテレビCMです。当時徳島では、流れるプールとロングスライダーを備えたヤングマリンが大人気でした。しかしこのように潜水して空気の入ったドームに入る事ができるプールなんて想像すらつきません。大阪のあべのという所にはこんな凄いプールがあるんだと驚いたものです。しかしよく考えてみると、この半球状のエアーステーションに入るにはかなり潜水する必要がありますよね。さらにドーム内の空気が汚れたり二酸化炭素が増えたらどうなるのだろう、なんて当時は友達と話し合った事もありました。実際には空気の換気はどのようにしていたのでしょうね。また安全面はどうだったのだろう。監視員には水中にあるドームの中はあまり見えないだろうし、今から思えばよくこのようなものを作ったなあと感心します。

 ネットでは実際にこの水中エアーステーションに入った事がある人の体験談が見つかりますが、内部はあまり快適ではなかったように書かれています。今はもうこのプールは姿を消していますが当時のプールのポスターでは、この水中エアーステーションは5 x 2 列に並んでいる様子がわかります。そしてこの一帯は水深が3メートル以上あるため、泳ぎや潜水が不得意な人は近づけないエリアだったのでしょう。

 という事で、この水中エアーステーションは今では幻となってしまいましたが、私にとっては未だに不思議で、ちょっとだけ憧れの遊具なのでした。

 な


グリップとアタック

2020-02-17 15:41:20 | Weblog
 私が小学生の頃に使っていた参考書と問題集が、文研出版の「グリップ」と「アタック」でした。グリップが参考書、アタックが問題集、前者でがっちりと基礎を固めて(握る)、後者で演習問題を解いて鍛える(攻める)というニュアンスがとても好きでした。当時はこの本を使ってしっかりと勉強していれば、学校のテストではよい点を取る事ができたようです。各教科の中でも、私は算数が一番好きでした。与えられた条件を元に間違わずに解いていけば、必ず1つの解答に行き着くという過程がとても論理的かつ魅力的でした。


 以前実家で部屋の整理をしていたら、算数のグリップが出てきました。実はこの参考書には忘れられない思い出があるのです。私はすぐさまページをめくりました。当時は小学5年生で円周率を習っていたようですが、目的のページはここでした。


 まず円周率は約3.14と教えられ、この概数を使って計算を進めていきます。しかし当時の参考書には、円周率の真の姿(の一部)が記載されていました。

3.14159265358979323846264338327…

 すごい! この数字は一体どこまで続くのだろうか? 

 疑問に思った私は、算数のI先生に質問しました。すると「円周率は無限に続くんだよ、武田くん」と教えてくれた事を今でも思い出します。円周率は無理数です。無理数とは不規則な数字が延々と続く数で、分数では表せないものと定義されます。だから円周率は、ランダムな数字が延々と並ぶのです。

 小学生の頃に、友人のM君はこの円周率を何十桁も暗記していました。そして、それを教室で披露する姿が羨ましくて、私も負けじと暗記しました。そして、いつの間にか円周率の小数点以下を40桁まで覚える事ができました。
 実は驚くべき事に、あれから40年以上経った現在も、この40桁を私は覚えています。このような記憶は長期記憶と言って、大脳の特定の部分に記憶が刻まれています。とりあえず、この40桁を言える間は私には認知症の心配はないだろうと個人的には思っていますが。

 最後に 円周率をどのように記憶したのか? についてです。

 おそらく 友人のM君に覚え方を聞いた記憶はありません。私は数字を4桁ずつに区切ってリズムをつけて口に出して、そして何度も紙に書いて覚えました。実はこの「言いながら 紙に書いて覚える」というやり方は暗記の手法としては有名で、私は大学の卒業試験や国家試験はこのやり方で乗り切りました。かつて亡き父親が「勉強する時はしっかりと声を出せ」と言っていた事を思い出します。

 な

ニューヨークにて(4)

2019-09-04 15:25:20 | Weblog
 ボストン行きは、ニューヨークのペンステーションを午前6時55分発の列車に乗る事にしました。

 もしこの便に乗り遅れると、その次は数時間後になってしまいます。ホテルからペンステーションまでタクシーで約15分、駅には早めに着きたかったのでホテルを6時に出る事にしました。ヒルトンホテルの下にはいつもイエローキャブがいっぱい待機していました。でも早朝の事なので、フロントに電話してタクシーを手配してもらう交渉をしてみました。するとフロントでは受け付けかねるとの返答で、直接タクシー乗り場の担当に言うようにとの事でした。自分の事は自分でせよと言う辺りがアメリカっぽいですね。

 既に夜の11時を過ぎているにもかかわらず、仕方なく1階まで降りていきタクシーを配車しているおじさんに事情を説明するとこんな返事が返ってきました。「早朝でも ここにはタクシーはたくさん待っているから予約なんていらないよ」なるほど、ちょっと安心して部屋に戻りました。

 さて翌日はいろいろと心配で、朝の4時前には目がさめました。

 6時前にタクシー乗り場へ行ってみると、なんとタクシーが1台も見当たりません!配車をしている人は昨夜とは違って若い男性に代わっていました。急いでタクシーを1台配車して欲しいと告げると、急にその男性は道路の真ん中へ出ていって大きな音で口笛を吹きました! 口笛で通りがかりのタクシーを拾おうというのでしょうか。何となく映画の1シーンを見ているような気持ちでした。ところが、しばらく待ってもタクシーがやってきません。時計を見ると既に6時を過ぎています。次第に不安になってきましたが、やっと1台の空車のイエローキャブがやってきました。急いで車に乗り込んでペンステーションへ向かうようドライバーに伝えました。


 確か30年前にイエローキャブに乗った時は、シート越しにドライバーにお金を払っていたのですが、今はこんなものが装備されており支払いは全てクレジットカードで済ます事ができます。なんとチップも10%, 15%, 20%, 25% とタッチパネルで選ぶ事ができるようになっていました。行き先を告げてもドライバーはほとんど無言、その後は到着しても料金を支払う時も全く会話なしでした。英会話なしで済ます事ができるのはいいかもしれませんが、何となく寂しく冷たい気持ちになりました。

 早朝だったためかストリートに目立った渋滞もなく、意外とすんなりペンステーションに到着する事ができました。
(続く)

 な


ニューヨークにて(3)

2019-09-03 15:13:39 | Weblog
 ニューヨーク旅行2日目はボストンへ移動する日でした。

 私が大学4年生の時に友人とニューヨーク旅行をした際に、アムトラックという列車でボストンまで行きました。その時は、マンハッタンの中心部にあるペンシルベニア駅(ペンステーション)から列車に乗りました。駅のカウンターでボストンまでの往復チケットを買いました。片道の時はone way ticket、往復はround-trip ticketと言います。往復の表現はいつも忘れがちです。この時に私はトラベラーズチェックを使いましたが、カウンター越しに英語を話すのに緊張してしまい、2度ほどチェックに書き間違いをして焦った記憶があります。今回も「ボストンまで往復チケット、今日行って明日帰ります」という英語を前の夜から練習していました。

 さてここで、ボストンへ出発する前の夜の事に話はさかのぼります。


 夕食をとりながら息子がスマフォを見てこんな事を言ったのです。「明日朝のニューヨークからボストンの列車はすべて満席になってるけど大丈夫?」ボストンでは午前中に息子の友人のハーバード大生に会う約束をしていました。だから到着が遅れる事はできませんし、明日の夜はボストンコモン近くのホテルを既に予約しています。列車が満席になる事ってあるの? 昔は(と言っても30年前の事ですが)直接駅に行って当日チケットを普通に買っていました。しかし時は流れ、今は状況が異なっているのかもしれません。急に冷や汗が出てきました。

 ボストンで会う息子の知人にメールで相談すると、列車がだめなら深夜バスでボストンまで来る手段もあると教えてくれました。しかしバス乗り場はここからとても遠いし、時間はかかるし治安の心配もありました。困った! どうしようと途方にくれていた時に、JTBのツアーデスクの電話番号を思い出しました。

 今回の旅行はJTBのニューヨーク・フリーステイだったので、困った時にはツアーデスクを利用できるようになっていました。すぐに電話をかけて事情を説明しました。そしてJTBの人が翌朝のニューヨーク発ボストン行きの列車を確認してくれた結果、早朝の便にはまだ空きがある事がわかりました。という事で、次の朝は早起きする事になりました。 
(続く)

 な

ありがとう

2018-09-20 11:16:41 | Weblog
 アメリカ留学から帰国して もう20年が経とうとしています。

 私が在籍していたNIHのラボは、耳鼻科医と言語聴覚士で構成されていました。ボスのラドロー先生は言語聴覚士で、ラボでは時々面白い英語を話していました。全く意味不明の言葉が飛び交った時は、後でこっそりと同僚に「あれはどういう意味?」と聞いていたものです。そのほとんどはいわゆるスラングと言われる英語でした。
 クリニックの仕事が早く終わった時には、皆にスラングについて教えてもらった(講義をしてもらった)事もあります。中でも面白かったのはこちら、どれもとにかくまずは言葉を言われて、どんな意味かを想像して私が答えていくという形式でした。だからどのスラングも私にとっては、その文字のままでイメージして記憶しています。どうですか、そのままの意味で解釈するととても変でしょ。

Hit the nail on the head (頭の上に杭を打つ
Let the cat out of the bag (かばんから猫を出す
Look a gift horse in the mouth (もらい物の馬の口の中を見る
 ※これらの意味はこちら → リンク:アメリカで知ったスラングについて

 ところで、ラボでボスがよく使っていたフレーズを思い出しました。それがこれです。

Thank you for million.

ありがとうという場面は生活の中でしょっちゅう出てきます。かといって、いつもthank youだけでは物足りませんか? バリエーションとしては thanks が簡単で使いやすいですね。もちろん学校で習った thank you very much や thank you so much も丁寧でいいですよ。また thanks a lotもよく使われます。しかし前述したボスの使うmillionは当時私は初めて聞いた表現だったので、そんな言い方もあるのかと感心したものです。とても多くの事(ミリオン:100万)にありがとうというニュアンスでしょうね。調べてみると、慣用句では以下の使い方が多いようです。

Thanks a million

 でもボスはこれを使っていなかったなあ。そうそう、それからボスは超忙しい人だったので、ラボに戻ってきたと思ったら走ってまたどこかへ行ってしまう事が常でした。そんな忙しいボスに何かを頼もうとすると、よくこう言われました。

Sorry, Naoya. I’m up and running.


 この捨て台詞でかわされた事が何度あったことか! Up and running とは「順調に機能している」という意味ですが、私にとっては『むちゃくちゃ忙しくて走り回ってる』という意味で理解していました。

 このように生活の中で触れ合ったり、偶然発見する意外な英語って本当に面白いのです。日本で習う英会話もいいのですが、やはり英語の環境の中に飛び込む事で そこでしか体験できない面白い事にいっぱい遭遇しながら 生きた英語は自然と身につくように思います。私も先月久しぶりにニューヨークに行った時におもしろい体験をたくさんしました。それによって自分の中の、英語に対する好奇心がふつふつと湧き上がってきたように思います。英語は決して難しいものではありません。実は本当に面白いものなのです。


 な

COMPO BS/80

2018-03-08 11:55:50 | Weblog

 私が初めてコンピュータに出会ったのは中学生の頃でした。当時はまだ今のようにコンピュータという言葉はあまり使われておらず、マイクロコンピュータ(マイコン)という物が家電製品に取り入れられた事が話題になる程度でした。日本におけるマイコンのさきがけとして有名なのが日本電気(NEC)のTK-80です。

 中学2年生の時に私はどうしてもマイコンを使ってプログラムを組んでみたくなりました。私の父は新しい物が好きで、時代の先端を行く物にはいつも興味を持つ人でした。ある時 私はコンピュータの素晴らしさを父に語りました。そして父に、もし次のテストで学年で1番を取ったらコンピュータを買ってほしいという約束を取り付けました。それから私はコンピュータ欲しさに必死で勉強して、なんと2学期後半のテストでその目的を達成しました(苦手だった現国の成績がよかった事が幸運でした)。そして父は約束通りマイクロコンピュータを買いました。そのコンピュータがこれです。


 日本電気(NEC)のCOMPO BS/80 type Aというコンピュータです。このコンピュータにはディスプレイもなく、もちろんハードディスクもありません。家庭用テレビにつなぎ、データ保存はカセットテープを使います。



 コンピュータに没頭し過ぎ学校の成績が悪くなるとよくないため、このコンピュータを使うのは日曜日だけと決めて、使う時間も制限しました。勉強したプログラム言語は主にBASICとマシン語でした。マイコン雑誌を教科書代わりにして、プログラムを勉強しました。ちなみに現在どのパソコンのキーボードにも付いているエンターキーは、かつて復改キーと呼ばれていました。

 実はこのCOMPO BS/80が発売された頃に、日本電気では既に次の新しいパソコンの誕生が決定していました。そのコンピューターがPC-8001です。結果的にCOMPO BS/80は短命に終わった悲運なマイコンとなってしまいました。それでも私はやりたいと思った時にマイコンを与えてくれた父親に今も心から感謝しています。この経験が大学生になってからもコンピュータを使い続けさせ、医師になってから従事した音声分析の研究でもとても役立ちました。そんな父との思い出が詰まったこのマイコンを、私はこれからも大切にしたいと思います。

 な