Entre ciel et terre

意訳して「宙ぶらりん」。最近、暇があるときに過去log整理をはじめています。令和ver. に手直し中。

第25冊 『獣人』

2007年09月12日 | 本(小説など)
 ゾラの『獣人』(La bête humaine)を読みました。フランス語的に考えると、“人間のような獣”という意味合いになるのでしょうか。

 この作品のことは、永井荷風の『ふらんす物語』にも出てきていますが、そこで荷風はあまりゾラの考えと同調できていないようなことを述べています。それは、あまりにもノルマンディーの風景が美しすぎたからといった感想をもらしているからです。

「ゾラは荒涼寂寞又殺気に満ちたさまざまな物凄い景色をば、この鉄道の沿路から選んでいる。で、自分は昨夜港(*1)に這入った時よりも一倍注意して、窓から首を出していた。が、又も自分は失望---と云うよりは意外の感に打たれねばならなかった」(『ふらんす物語』、p.16)

 『獣人』のあらすじを簡単に述べるとこんな感じです
 ルボー夫妻は、恩人でもあったグランモラン裁判所長の汚らしい罪を知り、殺害計画を企てます。機関車の運転手だったジャック・ランチエ(*2)は、ふとしたところでこの殺害現場を目撃し(このジャックが現場を目撃するところがなんとも素晴らしい描写!)後に証人として呼び出されることになります。ルボーの妻、セヴリーヌは、このとき証人で呼ばれたジャックに見初められて、不倫関係になります。
 ジャックの身近な人物相関には、ミザール(踏切番)、ファジーおばさん(ジャックの名付け親、フロールの母親)、フロール(踏切番の娘)などというのがあったりしますが、これらも後半あいまって、「え、これで終わり?」というようなエンディングを迎えます。

 ゾラの小説は、毎度、盛り上がるところとそうでないところが分かり易いために、一気に読むことができます。また、様々な「職種」を持った登場人物が出てくるのも魅力の一つでしょう(ここには殺人者というのも含まれる模様)。
この話では、「鉄道」と「殺人」という、ちょっとした推理小説気分を味わえるところにも、『ルーゴン・マッカール叢書』シリーズの人気作品の一つというのもうかがえる気がします。



 以下、個人的な推論。(ネタバレがあります。注意してください)

[1] 鉄道というテーマ
 近年の推理小説では、結構ありふれたこの二つのテーマだけれど、ゾラは別に推理小説を狙っていたのではないのは明白な事実だと言えよう。ならば「実験小説論」にもとづいて、様々な職種の人を登場させて小説を描くと考えるとして、第二帝政期のフランスで鉄道網が急速に進歩し、鉄道職員の増加に伴っているというのもうかがえる。またパリ~ル・アーヴル間というのが、海外からの貿易商や観光客などをパリへ運ぶというところにも注目。そうやって考えるとフランスは、(今もそうだけど)パリを中心に鉄道が通った。これは人間でいえばパリが心臓(または腹?)で、それを中心に鉄道と言う血管が通っていたと言う考察も容易い。そしてその鉄道が後の作品、『壊滅』で扱われることになる、1870年以降のパリ=コミューン、普仏戦争等に繋がっていくことを考えると、まさしくゾラの作品は様々な栄枯盛衰を物語っているような気がする。

[2] セヴリーヌという女性、ジャックという男性
 必ずと言っていいほど、ヒロイン的な女性が登場する。フロールの最期もそれは感動的な一場面だったが、やはりここではセヴリーヌを扱う。『テレーズ・ラカン』のときのテレーズとは違う、セヴリーヌの描かれ方ではあるが、その生きる意欲が、ある意味でジャックの獣性に火を点けたと言ってもいいかもしれない。セヴリーヌの魅力について、男性を引く才能は、『居酒屋』のジェルヴェーズに似ている。

 ジャックは、生まれた家系、血筋の影響からか「情欲を感じると、殺人をしたくなる」という癖を持っていた。これは何もセヴリーヌに限ったことではなかった。ここだけを注目すれば、ジャックの獣性として目立ち、獣人はジャックのことなんじゃないか? と思いがちになる。しかしセヴリーヌが、ルボー殺害を企てたとき、こんなことを述べていた。それに対するジャックの答えも相違があるといえる。

「…わたし今しがた服を脱ぎながら、ある小説のことを考えてたの。そのなかで小説家が書いてるけど、男が相手を殺すのにまっ裸になったのよ。わかる?」(『獣人』p.454)

この後にジャックが仰天して、「まるで野蛮人じゃないか!」と言っていたのが印象的だった。やはりジャックだけに注目して「獣人」を考えるのはおかしいと言える。

[3] 獣人とは?
 この小説を読み終わる前から、少し考えていたのは、獣と分類されるものたちから見た人間とは、果たして「人間」という見方はできていないのではないか? というものだった。むしろ獣から見た人も獣であって、単なる「言葉上の差」に過ぎないのではないか? ということだった。人間は服を着るが、獣は着ない、なんていうのもあるかもしれないが、犬用の服、などと近年のペットブームからもはやそんなことも言ってられないだろう。では、獣とは何だろうか、と考えてしまう。

 獣人では、理性的に人殺しをしてもいいという、まるで『罪と罰』を思わせるような人殺しの展開を行っていない。それは弱肉強食という理論にもとづいているわけだが、獣人ではジャックの殺人は「発作的」に起こっているわけである。そういう意味からも、この獣人がどこか自然の「獣」ではなく、人間の奥底に眠る醜い一面からの性質=獣のような気もしてくるのである。こうなるとまるでフロイトの精神分析のようなものも、解釈に必要になってくるかもしれない。

[さいごに]
 獣人を読み終わって、うまく言えないが、何故この作品は殺人と鉄道なのか、というのが気になっている。殺人ならば既に『テレーズ・ラカン』で築き上げたものがあるし、それこそ鉄道を使うと推理小説的な感覚は否めない。ということは、獣人というタイトルだけに、鉄道に獣性を秘めていると言うことも考えられよう。しょせん、鉄道は人間の創造物。さきほどフランスの血管を鉄道と例えたが、その列車に乗る人間も、血液として見なされるのであれば、それがフランスを築き上げるという、血縁関係のような話を隠喩しているのだろうか。血縁関係といえば、『ルーゴン・マッカール叢書』はまさしくそれに値するではないか。果たして、ゾラはどこまで考察していた上で、この作品を仕上げたのだろう。



(参考文献)
ゾラ『獣人』寺田光徳訳、藤原書店、2004年.(ゾラ・セレクション 第6巻)
『ゾラ・セレクション』第6巻 http://www.fujiwara-shoten.co.jp/zola/zola06.htm
永井荷風『ふらんす物語』新潮文庫、1951年.



(注釈)
*1 ここでの港は、ル・アーヴルをさす。これはパリ~ル・アーヴル間列車で、1847年に完成した。ちなみにパリではモネの絵でも有名な、サン・ラザール駅に到着する。
*2 『居酒屋』ジェルヴェーズの次男。『居酒屋』の存在を読んで気になっていたジャックの存在だが、当初、獣性の気質はエチエンヌに盛り込まれていたようだが、既に彼は『ジェルミナール』に登場してしまったために、新たなジェルヴェーズとランチエの子供として、ジャックを作った模様。1893年の「ルーゴン・マッカール家の家系樹」で、「アルコール中毒が遺伝して殺人の狂気に転化。犯罪状態」として書き加えられることになった。(『獣人』引用、p.516)


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (グダゲン)
2007-09-15 03:40:42
獣人・・・
この言葉を聞くと物凄く反応してしまいます(笑)

日本や中国での「獣人」という言葉は
“半人半獣の空想生物”や
“人から獣に変身する化け物”等の意味合いで使われますね。


話からズレてしまい失礼しました。
僕みたいな狼男(獣人)好きとしては興味深い題名だったので(^^;

この本は以前から題名でひっかかっていたので
是非読んでみたいと思います
返信する
コメントありがとうございます (管理人)
2007-09-15 20:58:04
ぜひ読んでみてください。
ゾラの作品はいろんな方々によって、翻訳されているので、それを読み比べるのも面白い作業だろうな、と思っています。

『獣人』は、幻想動物は出てこないんですが、読んでいると何となくそれを彷彿とさせます。
ゾラのなかにある、鉄道小説としても有名な作品です。鉄道好きな方にもオススメな作品です(笑)
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。