Entre ciel et terre

意訳して「宙ぶらりん」。最近、暇があるときに過去log整理をはじめています。令和ver. に手直し中。

元寇が成功していたら、日本は何か変わったか?

2023年10月09日 | 日々雑感
※ この記事は、つたない歴史の知識を繋ぎあわせて考えている管理人の備忘録です。あしからず。

【略年表】
1258年 アッバース朝滅亡
1274年 文永の役
1281年 弘安の役
※モンゴルのベトナム遠征もこの頃
1292年 モンゴル軍、ジャワ遠征:失敗
1333年 鎌倉幕府滅亡(建武の新政)
1336年 建武式目(室町幕府)
1347年 ヨーロッパでペスト大流行
1351年 紅巾の乱
1368年 中国・明 建国



 例によって、過去の図録を消化中です。笑 今回は、モンゴル関連のものを。
 最近、某ドラマでも取り上げられたりで、注目が高まっているモンゴル。私も一度は、あの大草原をみてみたいと思いつつ...

 モンゴルといえば、日本で取り沙汰されるのは、鎌倉時代の元寇が多い? と勝手に想像をしてみます。
 果たして、これが成功していたら? 日本は何か変わったんでしょうか。
 そこで、上記のようにまとめてた大雑把な略年表を作って考えてみました。細かいところまでは目がいってませんので、専門家からしたら「なんと雑な!」と思われたらすいません。(ちゃんと逃げ道を作る私。)

 年表で確認すると、元寇後の日本で、鎌倉幕府が滅亡していたのですね。
 元寇以後、御家人が恩賞を頂戴することができなかったことが、よく幕府衰退の原因のひとつとして紹介されているところですね。
 およそ50年ほどして、これらの影響により、室町幕府へと時代が変わっていきます。

 さて、当のモンゴルは? モンゴルも部族間の抗争があったり、天候不順などがあったりで、実は13世紀終わり~14世紀初めは、あまり芳しくない活動となっています。何より、モンゴルの諸部族間の抗争というのがあったようで(思えばチンギス=ハン自身も大変な思いを過ごして成長してきていました)、モンゴル帝国の地図上の大きさとは裏腹に、現実は結構、血生臭い感が漂っていたような雰囲気があります。
 ゆるやかなモンゴル帝国の統治は、支配下においた民族を利用した遠征を実施したことにより、対外遠征にも「ほころび」が出たと考察できます。

 そういう意味では、仮に日本への遠征が成功したとしても、例えば1258年のアッバース朝の都バグダードを陥れ、カリフ位が消滅したように、日本の幕府や朝廷の勢力が消滅した? という可能性は考察できそうです。
 そして図録に、日本風なモンゴルへの献上品が載るようなことがあったかも知れません。
 (たとえば、絵巻物? 仏像? 木造の調度品など?)

 でも、なんだろう、仮にパクス=モンゴリカの副産物で、日本にもペストが流行ったかも知れませんけれど、日本の武士たちはモンゴル支配下になった日本で立ち上がりそうな気がするのですよね
 そうすると、時代的に室町のころの武士や朝廷のドタバタと、主題が異なるだけで似たようなことが起きそうな気がします。
 そして、結局、室町幕府のような存在がたつ? のようなイメージでしょうか。
 モンゴル自体も内紛や、紅巾の乱などで、14世紀半ばには中国・漢民族によって北方に追われていきます(=北元)からね。やはりモンゴルもそう長くはなかったでしょう。

 ただ、モンゴルが攻めてきただけインパクト強いわけですから、支配下におかれたらおかれたで、違うインパクトを日本に残し、影響したことでしょう。
 支配される、という経験は、日本にどんな影響をもたらしたのか。
 安直に、戦後の日本の占領下を思い出してしまいがちですが、「タタールのくびき」が日本に敷かれたとき、GHQと同じになるのかな? 結局は想像の域になってしまうのですが。

 スポーツもせずに、そんな夢想をして、雨の日をすごす今日この頃。
 (あいかわらず、まとまらず。失敬。)





※ 今回は以下の記事に追記する形で投稿しました。

タイトル:『チンギス・ハーンとモンゴルの至宝』展 投稿日時:2010-03-18 18:21:25
概要:久しぶりに、江戸博へ!


東京(両国)・江戸東京博物館 2010年2月2日~4月11日
http://www.mongolten.com/

「モンゴル」という名に惹かれ、行って来ました。モンゴル帝国の名残を見ようと、ワクワクしながら行ったのはいいものの、午後に会場入りしたこともあって混雑していました。
あんまり金製品ばかりでなかったので、見ている分には疲れなかったけれど・・・人の多さには参りました(でもアレでも少ない方だったんだろうな、と推測していたり)。青銅の馬具であったり、遊牧国家らしく馬、鹿、羊などの写実的な彫像などがあったりして面白かったです。民族衣装であったり、実際にモンゴルのテントみたいなものも張って展示してあったり。『スーホの白い馬』で有名になった「馬頭琴」の音色も聞けたりと、興味深い展覧会でした。

この展覧会の後に、実は両国界隈を散歩し、いろいろな場所を見学してきたのですが、写真の整理とか記事の整理とかがいまだ、できていないので近々upする予定。いやー、久しぶりに歩き回り、疲れたのと同時に体力の衰えを痛感した管理人でありました。

写真は、展示場の入り口にデーンッと飾ってあったものです。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。