Entre ciel et terre

意訳して「宙ぶらりん」。最近、暇があるときに過去log整理をはじめています。令和ver. に手直し中。

vol.5 終焉

2020年04月04日 | 日々雑感

 もちろん、人間は犠牲者たちのために戦わなきゃならんさ。しかし、それ以外の面でなんにも愛さなくなったら、戦ってることが一体なんの役に立つんだい? (新潮文庫、p.381)



 隔離されて、ペストと戦う人々。そのうえで、血清の話が出てきたり、衛生に気を遣う人々の話、疫病が流行っているときの個々の考えや、対応などが展開されています。
 立場が変われば、考えも変わる。医者、政治家、老人、神父、犯罪者などなど。男性・女性、大人・子ども。

 上の文章などを読んでいると、タイミング的に志村けんさんの訃報の話とシンクロしてしまう感じです。

 しかし、その疫病流行下でも、条件が分かってきたり、免疫のようなものもできてきたり、衛生に気を遣うようになったことで、少しずつ統計が減ってくる日が来る、という感じで物語が進んでいきます。

 興味深いのは、4月にペストの兆候が出始め、 翌年の2月に、このペストの終息、隔離を解除するような話が出てきていること。
 ほぼ1年というペースで考えています。

 まるで、新型コロナウイルスにメドがついて、来年の夏にオリンピックを控えてるといってるような話を想起してしまう。
 (小説では、隔離から解放された後に爆竹などを鳴らして若干、お祭り騒ぎの様相が描かれているが、タイミング的にこういうものに来年なっているのだろうか・・・とも思ってしまう。オリンピックと重なる???)

 隔離が解除されたときの、民衆の歓喜具合は、実は疫病が流行ったときのそれほど具体的に書かれている感じではありません。
 むしろ、ペストを通して見えてきた人間の顔や、内面などいろいろなものがリウーという医者を通して淡々と語られているイメージ。
 最後、リウーの記録が述べられている部分がありますが、その最後の一部は、どことなく尾を引くような書き方をして終わっています。
 うーん、怖い。

 言い換えると、「ペスト」という言葉を使って、常にこの世の中、予期せぬことが起こりうるし、何かをきっかけに起こるという暗喩だったのかも知れません。
 過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験も盛り込まれているという話が、解説などに書かれています。確かに、ユダヤ人の虐殺か? と思われる部分がここでは登場してくるので、カミュはそういうのを想起したんだろうし、当時の読者も戦後間もない時期に発表されたこの作品を通して、「非日常的」な何かを見つめていたのかもしれません。

 この小説が、新型コロナの時期に有名になったのは、その名前はもちろんですが、疫病の流行をテーマとした小説だと思って読んでみたら、「非日常的」「不条理」というものもテーマになっており、そのテーマと現実がシンクロしていると感じとったからなんだろうと思います。

 こういう時期に、この小説が読めたのは、ある意味で勉強になったというか、今後の社会を考える良いきっかけになったと思います。

 もしかしたら、この新型コロナを通して、新たな小説が出てきそうです。思えば、ボッカチオの『デカメロン』、チョーサー『カンタベリ物語』など。
 人類史において、影響を受けているものも多かったはず。
 今回の疫病との対決を通して、いろんなものが見直されているところですが、そうやって臨機応変に対応していける能力を持っているのも、我々なのかもしれませんね。
 
 うーん、うまく言えない「まとまり方」でしたか、一応、これで最終話です。
 ぜひ興味を持ってくれた方がいたこと、読んでみるきっかけになっている人がいれば、幸いです。


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