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夏徹ルポルタージュby KAZ a.k.a.CLASH

2008年07月02日 | 夏徹頭徹尾08'


【弁天香に迎えられて】

オンタイムで開いたWARPには、犬式が大麻堂と共作した弁天香の香りが既に充満していた。久々に出逢えた神経が冴える香りのお陰で、寝不足の頭でも心地好い意識で臨めた様だ。思えばWARPのフロアとラウンジを繋ぐ階段に新たな息吹を与えているDRAGONとHAMADARAKAのLive painting、meg(OVERHEADS)によるVJ、伏見さゆり(夢花)のFlower Decorationという視覚刺激、FUNKSTEP(吉祥寺)とLong Season Cafe(群馬、赤城)が提供する味覚の至福、そして勿論この場を満たしている良質な音に加えて、遂に嗅覚。最高の空間を提供するための飽くなき探求こそが、徹頭徹尾というイベントが支持されている由縁なのかもしれない。

それにしても相変わらずスタート時点の深度が尋常じゃないイベントだと思う。フロアでAdaptorが回す音に頭から踊りまくっているのはやはり三宅洋平だった。Conomark
や光に代表される徹頭徹尾のDJ達に共通するのは、表面的なカッコ良さというより中毒性のある世界観を作れるという点ではないだろうか。回を増す毎に頭からフロアにいる人が増えているのも、徹頭徹尾というイベントの主旨とこの音に賛同するオーディエンスが増えたからかもしれない。Cheekyではアップの様に30分スパンでDJが切り替わり、深夜のドープな時間に向けてラウンジとはまた違う空気を作っている。WARPのラウンジにはステージ同様、HAMADARKAの無邪気というか邪気に溢れるデコレーションが施され、チャイルドプレイやSAWのトラウマを掘り起こされる様な狂喜(≒狂気)のオモチャ箱みたいな顔を見せていた。

ライブのトップバッターを担う東京月桃三味線は、三宅洋平が特別指定強化選手というセッションバンドである。私が初めて彼等の存在を知ったのは、去年末の大徹頭徹尾だった。WARPに向かう道でキャッチをかわしている時、高架下で三味線を弾いている大柄な和服の青年を見かけたのだ。珍しい粋な奴がいる、それが坂田淳という三味線弾きの第一印象だ。年が明け、フライヤー等で月桃三味線の名を目にしたり、セッションの場で彼の演奏を見たりする機会が増えてきた。ライブ構成は三味線、ディジュリドゥ(&トロンボーン)、ジャンベ、ドラム、ベース、ギター、パフォーマーの七人。三味線のソロから始まり、徐々に音数が増えていくのに呼応する様に、VJが画の複雑さを増していく。荒削りな部分はあるが、一癖も二癖もある音を出しており、EXPEの様なSpace Guitarやディジュリドゥといった上音に、JamよりはRock色が強いドラムと、ジャンベとベースが織り成すトライバルなリズムがハマった瞬間、強烈な引力を放つバンドだろう。トロンボーンが入った曲ではCro-magnon「逆襲のテーマ」を彷彿とさせる進行に、渋さ知らズの様なカオスが合わさって、非常に面白い音が鳴っていた。

【そして増す深度】

渋谷The Roomで行われているCircleのレギュラーDJとしても活動しているShigaがブラックミュージックをルーツにしたHiphopビートや四つ打ち、JAZZやAFRO BEAT等を柔軟に回し、2nd actはGORO SESSION。メンバーはベース石黒祥二(犬式)、パーカッションはイズポン(KINGDOM☆AFROCKS)、ジャンベLatyr Sy(FLYING RYTHMS/AFRICA ZUNU XELCOM)という構成。カルテットとは思えない程に多彩な側面を見せるのは、GOROがディジュリドゥをはじめ多数の楽器を扱うからだけではないだろう。これまでGOMAやOMI(Dachambo)等数人のディジュリドゥ奏者を見てきたが、GOROの鳴らす音はどれとも似ていない。彼の声其の物の様に感じた。時折聞こえる叫びや言葉も含め、音色と言いきれないほど感情で溢れているのだ。それに応えるようにLatyrも普段以上に声を放ち、リズムに相まって更に空間が深くなる。AshraのDeep DistanceやDIGAに通じる心地よさに包まれ、あっという間に時間が過ぎていた。演奏後に聞いた「GOROさんは鳴らす前に勝負が決まってるから。」という言葉が、三宅洋平の彼に対する間違いない信頼を感じさせた。

【ブースの魔王 DJ 光】

DJ 光(BLAST HEAD)の紡ぐ音世界は体験すればする程、ドツボにハマっていく。以前、三宅洋平に「ラウンジにおいてお客の会話を盛上げられるのはいいDJだ。」と言われた。フロアにおいては、引力を持っているDJが最高のDJといえるだろう。一度フロアに足を踏み込んだら抜けられない。光はそんな魔力を持っているDJの一人である。心臓鷲掴みというより、背骨を直に握られている様な感覚。どんな音をかけても彼というフィルターを通している以上、間違いなく光の音だと評されるのが、彼の間違いない選曲の裏打ちだろう。終盤にかけられたピッチ速めのSly mongoose「Snakes and Ladder」、以前リリースされた彼のmix CDに、この曲と共にNorah JonesのSunriseが入っていて、あまりの幅広さに度肝を抜かれたのを思い出した。

【広義なロックの集約 Blissed いや!ロックとは広義であることだ Blissed】

ステージに三人がスタンバイし、Blissedのライブがスタート。独特な叩き方をするドラム、尋常じゃない数のエフェクターに繋がれている6弦ベース、それに負けない位のエフェクターを繋いだギター。Session系のアクトが揃った今回の夏徹頭徹尾だが、最も多彩な表情を見せたのはこのバンドではないだろうか。Metal節全開の凶悪な重低音、Neil Youngの様な土臭いギターから、Jazz Trioの様なアンサンブル、それを記憶の彼方に吹っ飛ばす程ブチギレていたThe Mars Voltaの様な轟音、Post Rock然とした駆け引き、トム・モレロばりの変態リフで攻めるハードロック調etc…
それぞれが自分の楽器でどんな音が出せるのか遊びつくしているかの様な、自由で楽しみまくりの絡みにいちいちツボがエグられる。それも相当マニアックなツボが。終盤、物凄い勢いで最前に突っ込んでヘッドバンキングしている奴がいると思ったら三宅洋平だった。グランジやハードロックを聴き漁っていたであろう彼の若かりし頃を垣間見た様な瞬間かもしれない。

【Life is BEATfull】

犬式のライブを初めて見たのは新宿LOFTで行われたワンマンだった。それから三年、様々な事態を乗り越えて「Life is Beatful」を自ら体現した様な、一筋縄では進めなかったバンドだと思う。前回の徹頭徹尾前後でも産みの苦しみを吐露し、思索の真っ只中なセッションをオーディエンスにぶつけていた。Conomarkがストイックにフロアを揺らすなか、リズムラインが明らかに太くなったセッションで彼等は演奏を始めた。その音楽性から、DachamboやThe Sun Pauloといったジャムバンドに比べ、表面的な音の密度がアッサリしがちな犬式の楽曲だが、その分一期一会のグルーヴによって人力で濃密な空気を作り出せる事ができる稀有なバンドではないだろうか。アルバムのレコーディングをほぼ終えて、迷いを脱した証に模索を超えた確信的な音で新曲を畳み掛けてくる。
「時間軸には未来と過去しか存在しない。“今”は言葉にした時点で過去になる。今は無であり、つまり俺等は無我の境地に達している。」境界に囚われない様呼びかけ、夜中から降り出した雨に合わせ「晩夏長雨の弁天通り」、Senor Coconutsがアレンジしたらこうなるんじゃないかって感じのイントロから、Latyr Syとイズポンの2パーカッションを加えた“飛犬式(a.k.a Flying Dogggystyle)”で熱を帯びた音の渦を作り出す。続く「Life is Beatful」で一発目のハイライト、メンバーの精神が様々な変化を経てから、更にこの曲は深みを増した気がする。調子が良いのか三宅の声も強く内に響いてきた。「俺たちはBlack musicやRebel musicから、アイデンティティを極限まで虐げられた人々の、最後に握り締めた誇りを学んだ。」と「Ame No Parasol」、ソウルフルな唄という物を毎度この曲のアウトロで体感できるのだが、今日はいつにも増して強い声だった。そしてGOROがディジュリドゥで参加し「Diego Express」、Tribalな四つ打ちにアレンジされたアウトロにフロアの熱が上がっていく。「炎のレゲエ」では若干朦朧とし始めた意識と肉体を気力で動かし踊りまくる。最初は前に詰まっていたオーディエンスも徐々に広がり、皆思い思いに体を揺らしていた。「万物に陰陽がある様に、文化には乾いた文化と湿った文化がある」という話から一★狂BUNBUNのトラックを使ったセッション、そしてラストは「Villedge Vanguard讃歌」この曲をライブの最後にやる意味、それは次回の徹頭徹尾でフロアに立ち、直接聞いて欲しい。徹頭徹尾の尾まで立っていられたら、至高のグルーヴに狂った様に踊るオーディエンスの一部になっている自分に気づくはずだ。厳選されたDJのBack to Backに体を揺らし、私は帰路についた。まだ踊り足りないという猛者達は隣のCheekyで朝8時過ぎまで残っていることだろう。

【メディアとしてのイベント「徹頭徹尾」】

徹頭徹尾を客として楽しみながらも、ライターという目で一歩引いて変遷を辿ってみると、このイベントが如何に発信型という形態を取ろうとしているかが見て取れる。冒頭に書いた五感の刺激やMCだけに留まらず、瞬間瞬間を最大限楽しめる様に演出しつつも、オーディエンスが受け手となってそれぞれに何らかを得ることを目標としていることに改めて気づかされた。イベントというより文化を発信するという試みに本気で取り組んでいるのが徹頭徹尾なのではないだろうか。


(KAZ a.k.a.CLASH/慶応大学4年)


KAZ 's BLOG "BLUE HEAVEN"
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GATHERING ありがおつ

2008年07月01日 | 夏徹頭徹尾08'
弁天様の香りに包まれて
相変わらず 半端ない 奇跡のような時間が
あっという間に過ぎまして

消費への誘導としての文化ではなくて
触れたものが自分で感じ考え何かを生み出すきっかけになるような
そういうメディアとしてのイベント
或いは 一時的に一夜 集まったエネルギーたちが
最大限の解放、己のタガの外し方を思い出しに来る
そんでそれをまた朝もやと共に持ち帰って行く祭り

徹頭徹尾
今年の夏も無事、終わりました。


相変わらず、すげー祭りでした。

みんなほんとにありがおつ

何回打っても「ありがとう」が「ありがおつ」になってしまうくらい
ありがおつかれ


みんな本当に ありがとう

素晴らしいGATHERINGでした

次も楽しい村祭。
秋はツアーの日程の狭間でなんとか開催できるかどうかを、検討中です。
近日中に情報だします。

そして年末、12/30はもちろん、「大徹頭徹尾」!


(大会委員長 MKY)