はじめに言っときます。長いです^^;クレームも受け付けませんw
それでも良ければ読んでみてくださいw
1949年、この年、史上5頭目となる牝馬の凱旋門賞馬が誕生しました。
歴史的な名馬なのですが、皆さんはこの馬をご存知でしょうか?
そして、彼女の辿った数奇な運命を・・・。
その名を冠したG1レースも存在し、競馬史にその名を刻む天才馬産家、マルセル・ブサック(Marcel・Boussac)。
彼の手によって産み出されたその牝馬は、幾多の名馬を世に送り出したブサック氏自身も絶賛するほど驚異的な強さと美しさを兼ね備えた馬でした。
―コロネーション(Coronation:戴冠)―
そう名付けられた彼女の走りは見る者全てを魅了したと言います。
圧倒的なスピードと、真っ直ぐに走るその姿は弾丸のごとく、低重心で馬体に浮き沈みのない、流れるような走りは誰もが息を呑むほどでした。
しなやかで美しく伸びた後脚、全体に行き渡る筋肉のバランスなど、その洗練された馬体は見る者を錯覚させるほどでした。・・・まるで魔法をかけられたようだ、と。
そんな美しさの反面、彼女が生涯で満足な状態で走れたレースは恐らく2回だけだろうと思われるほど、レースでは常に不安定で、また敗戦もしばしばでした。
それでも、彼女の走りは誰もが名馬になるに違いないだろうと感じさせるものでした。
その美しさと強さの他に、彼女が有名になった理由がもう一つあります。
・・・それは、彼女がトウルビヨンの「2×2」という極端な近親交配(血統表が真っ赤に染まる恐ろしく危険な配合)によって誕生した馬だったということです。
これだけ極端なインブリードでは奇形児が産まれたり、死産することもあり、最悪の場合母体に悪影響を及ぼすことさえあるのです。
更に、例え無事に産まれてきても、体質に悪影響を及ぼす危険性が高く、長く生きられるかどうかもわかりません。
コロネーションは両親が異母兄弟という、極めて濃いインブリードを持っているにも拘らず(母方に「テディの4×4」も入っており、血量は50%を超える非常に危険な配合)、競走馬として成功を収めた数少ない実例と言えるでしょう。
コロネーションの父ジェベル(Djebel)は、凱旋門賞や2000ギニ-など22戦15勝した歴史的名馬で、ブサック氏自身が生産した代表傑作の1頭。母エスメラルダ(Esmeralda)も凱旋門賞2着の実績を持つ活躍馬です。
ブサック氏は、ジェベルの能力にエスメラルダが持つスピードと瞬発力が加われば、理想とする「完璧な馬」が生まれると信じていたのです。
そう、彼が目指す「完璧な馬の生産」という目的のためには近親配合など大した問題ではありませんでした。
・・・こうして、極度の近親交配という“禁断の魔法”を用いて生み出されたコロネーションは、ブサック氏の期待や想像を遥かに凌ぐ作品となったのです。
ただ、血統的な弊害なのか、普段から神経質なところがあり、カリカリした面が見られたと言います。
そう、彼女には美しさと共に危うさが同居していたのです・・・。
コロネーションは1948年6月6日、地元フランスでデビューを向かえます。
しかし、ここでの彼女は落ち着きなくレース前から首を激しく上下させ、挙句の果てにロデオのように暴れまわり、レース中もほとんど真面目に走ろうとはせず、よろけたりよそ見を繰り返したりしていました。
・・・普通ならレースになるはずもないのですが、そんな状態でも彼女は勝利を収めます。
続く2戦目もまた、同様の内容でした。
これほどまでに暴れていながらもレースに勝てるというのは、よほど能力が飛び抜けていたということでしょう。しかし、生来の気性の悪さが彼女本来の能力をスポイルしていることは火を見るよりも明らかでした。
さて、連勝したコロネーションはイギリスへと送り込まれます。
“コロネーション(戴冠)”の名の由来の通り、ブサック氏には「英オークス制覇」という大きな目標があったのです。
イギリスでの初戦、ロベール・パパン賞。
このときコロネーションは珍しく落ち着いており、直線で楽に抜け出すと後続を全く寄せ付けず、それまでのレコードを2秒4も更新する大レコードで勝利します。
しかし、やはり不安定な気性のためでしょうか、2歳時にまともに走ったのはこのレースだけで、その後の2戦はそれぞれ3着、4着に終わっています。
3歳になったコロネーションは、オークスの前哨戦(仏1000ギニーに当たるレース)に出走しますが、馬群にもまれたせいもあってか完全にやる気をなくし、直線で一旦は抜け出したものの、ゴール前で後続に捕まります。
―負けた―誰もがそう確信していました。・・・が、コロネーションはここから驚異的な粘りを見せ、なんと一着同着にまで持ち込んだのです。
このレースを見たブサック氏は、コロネーションの能力に絶対の自信を持っていたものの、馬群にもまれるとやる気を無くす性格や、レースで斜行を繰り返すため審議の対象になりかねないことを考慮してオークスでは積極策で臨む決意をします。
そして、いよいよ目標としていた英オークス。
スタートと同時に勢いよく飛び出したコロネーションは激しく先頭争いを続けます。
そして、先頭争いに勝利したまでは良かったのですが・・・ここから騎手の制止を振りほどき、大暴走が始まります。
最初の1ハロン目からもの物凄いラップで飛ばし続け、後続を大きくつき離して完全な独走状態のコロネーション。誰もが直線に入る前に力尽きるものと想像していました。
しかし、観客の予想に反してコロネーションの脚色は直線に入っても鈍ることはありません。驚きを隠せない観客は総立ちに。―ウソだろう!?―
ついていけない馬たちは続々と脱落していきます・・・。
ゴール直前、競馬場は興奮に包まれ、コロネーションが優勝に手をかける―
・・・その時でした。
後ろから強烈な末脚で追い込んで来る影が・・・僅かクビ差、コロネーションの「戴冠」はなりませんでした。
ブサック氏は、再び「戴冠」を目指して彼女を愛オークスに出走させます。
しかし、過酷なローテーション、相次ぐ長距離輸送、更には風邪を患っていたこともあり、結局コロネーションは、ここでも2着に敗れてしまいます。
またしても「戴冠」を逃したブサック氏―。しかしそれでも、彼は諦めてなどいませんでした。
もともと資産家としても名高かったブサック氏は、当時まだパリ大賞の次のランクであった凱旋門賞の賞金を5倍に増やし、凱旋門賞を世界最高賞金額レースへと発展させたのです。
この凱旋門賞を勝ち取った者こそ、真の王者として「戴冠」すべきだと・・・。
ブサック氏の思惑通り、凱旋門賞には世界中から超一流馬の参戦が申し込まれることとなりました。
―各国を代表する名馬が織成すサラブレッドの世界一決定戦―
こうして、凱旋門賞は大きな期待と共に開催されました。
多額の費用をかけた宣伝も奏功し、会場には内馬場までぎっしりの観客が詰めかけました。
さて、コロネーションに目を移すと、パドックではいつもイレ込み、暴れていた彼女が、この日はまるで別の馬のようにリラックスして、完全に落ち着き払っていました。
気性難という呪縛から解き放たれた彼女の能力は計り知れないものがありました。
スタートするとコロネーションは中段に。今回それほど人気がなかったことも幸いしてか、厳しいマークもなく、スムーズにレースを進めます。
4角手前、人気馬が上がっていくのを見る形でコロネーションもこれを追走。
直線に向く頃には前を行く2頭がデッドヒートを繰り広げ、一騎討ちの様相。その後ろ3番手の位置にコロネーション。静かに待機していたが、鞍上ポワンセル騎手のゴーサインに鋭く反応すると、後は能力の違いを見せつけるばかり。
あっという間に他馬を置き去りに。
コロネーション以外の馬の時間が止まっているかのようなその光景に、観客は魔法にかけられたような錯覚を覚えたことでしょう。
こうして、ブサック氏はついに悲願の「戴冠」を成し遂げました。
・・・しかし、コロネーションにとって最良なレースはこれが最後となりました。
その後、コロネーションは4歳になっても現役生活を続行しましたが、気性難という呪縛から解き放たれることは2度となかったのです。
しかし、そんな呪縛に囚われながらも、その生涯で着外は僅か2回だった、というところから彼女の本来の能力の高さが伺えます。
―引退後、繁殖牝馬として牧場に戻ったコロネーションでしたが、そこで彼女を待ち受けていたのは更なる「血の呪縛」でした・・・
はじめの4年間は大種牡馬ファリス、次の3年間をオーリバン、そしてオーエンテューダー、マーシャス、アイアンブリッジ等次々と一流種牡馬が交配されたのですが・・・
結果は不受胎、そして死産の繰り返しでした。
10年間の繁殖生活を続けるも、遂にコロネーションの仔が産まれてくることはありませんでした。
さすがのブサック氏も、10年間試みたコロネーション産駒の生産の夢を諦めました。
こうして仔を残すことができなかったコロネーションは牧場から姿を消すことになったのですが・・・以降、彼女の足取りは現在に至るまで不明となっているのです・・・。
果たしてコロネーションの不妊の原因が、近親交配の弊害によるものなのかどうかは定かではありません。
ブサック氏はコロネーションと同じ配合を妹のジェラルダとオルマラにも試みているのですが、このうちオルマラの方からはジャンプラ賞勝ち馬のロクリスが出ており、正常に仔を成しているのです。
しかし、今日ではサラブレッド生産における配合の限界を示した実例として、コロネーションの話はしばしば引き合いに出されているのです。
「戴冠」という栄誉を得るために犠牲にしたもの・・・それは、母としての幸せな日々だったのです・・・。
しかし、それは本当に彼女が望んだことなのでしょうか?
栄誉を求め、彼女に激しい気性という呪縛を与えたのも、彼女から母になる幸せを奪ったのも、全ては人間の欲望だったのではないでしょうか・・・。
私はインブリードが好きではありません。確かに、競走馬の能力を向上させ、或いは補完するための有効な手段ではあるかもしれません。
今日ではコロネーションのような極端な事例もないでしょう。
それでも、インブリードという手法は好きになれないのです。
そんな訳で、生産の基本はアウトブリードなのですが、私の所有馬に健康的な仔が多いのは馬主の影響かもしれませんw
それでも良ければ読んでみてくださいw
1949年、この年、史上5頭目となる牝馬の凱旋門賞馬が誕生しました。
歴史的な名馬なのですが、皆さんはこの馬をご存知でしょうか?
そして、彼女の辿った数奇な運命を・・・。
その名を冠したG1レースも存在し、競馬史にその名を刻む天才馬産家、マルセル・ブサック(Marcel・Boussac)。
彼の手によって産み出されたその牝馬は、幾多の名馬を世に送り出したブサック氏自身も絶賛するほど驚異的な強さと美しさを兼ね備えた馬でした。
―コロネーション(Coronation:戴冠)―
そう名付けられた彼女の走りは見る者全てを魅了したと言います。
圧倒的なスピードと、真っ直ぐに走るその姿は弾丸のごとく、低重心で馬体に浮き沈みのない、流れるような走りは誰もが息を呑むほどでした。
しなやかで美しく伸びた後脚、全体に行き渡る筋肉のバランスなど、その洗練された馬体は見る者を錯覚させるほどでした。・・・まるで魔法をかけられたようだ、と。
そんな美しさの反面、彼女が生涯で満足な状態で走れたレースは恐らく2回だけだろうと思われるほど、レースでは常に不安定で、また敗戦もしばしばでした。
それでも、彼女の走りは誰もが名馬になるに違いないだろうと感じさせるものでした。
その美しさと強さの他に、彼女が有名になった理由がもう一つあります。
・・・それは、彼女がトウルビヨンの「2×2」という極端な近親交配(血統表が真っ赤に染まる恐ろしく危険な配合)によって誕生した馬だったということです。
これだけ極端なインブリードでは奇形児が産まれたり、死産することもあり、最悪の場合母体に悪影響を及ぼすことさえあるのです。
更に、例え無事に産まれてきても、体質に悪影響を及ぼす危険性が高く、長く生きられるかどうかもわかりません。
コロネーションは両親が異母兄弟という、極めて濃いインブリードを持っているにも拘らず(母方に「テディの4×4」も入っており、血量は50%を超える非常に危険な配合)、競走馬として成功を収めた数少ない実例と言えるでしょう。
コロネーションの父ジェベル(Djebel)は、凱旋門賞や2000ギニ-など22戦15勝した歴史的名馬で、ブサック氏自身が生産した代表傑作の1頭。母エスメラルダ(Esmeralda)も凱旋門賞2着の実績を持つ活躍馬です。
ブサック氏は、ジェベルの能力にエスメラルダが持つスピードと瞬発力が加われば、理想とする「完璧な馬」が生まれると信じていたのです。
そう、彼が目指す「完璧な馬の生産」という目的のためには近親配合など大した問題ではありませんでした。
・・・こうして、極度の近親交配という“禁断の魔法”を用いて生み出されたコロネーションは、ブサック氏の期待や想像を遥かに凌ぐ作品となったのです。
ただ、血統的な弊害なのか、普段から神経質なところがあり、カリカリした面が見られたと言います。
そう、彼女には美しさと共に危うさが同居していたのです・・・。
コロネーションは1948年6月6日、地元フランスでデビューを向かえます。
しかし、ここでの彼女は落ち着きなくレース前から首を激しく上下させ、挙句の果てにロデオのように暴れまわり、レース中もほとんど真面目に走ろうとはせず、よろけたりよそ見を繰り返したりしていました。
・・・普通ならレースになるはずもないのですが、そんな状態でも彼女は勝利を収めます。
続く2戦目もまた、同様の内容でした。
これほどまでに暴れていながらもレースに勝てるというのは、よほど能力が飛び抜けていたということでしょう。しかし、生来の気性の悪さが彼女本来の能力をスポイルしていることは火を見るよりも明らかでした。
さて、連勝したコロネーションはイギリスへと送り込まれます。
“コロネーション(戴冠)”の名の由来の通り、ブサック氏には「英オークス制覇」という大きな目標があったのです。
イギリスでの初戦、ロベール・パパン賞。
このときコロネーションは珍しく落ち着いており、直線で楽に抜け出すと後続を全く寄せ付けず、それまでのレコードを2秒4も更新する大レコードで勝利します。
しかし、やはり不安定な気性のためでしょうか、2歳時にまともに走ったのはこのレースだけで、その後の2戦はそれぞれ3着、4着に終わっています。
3歳になったコロネーションは、オークスの前哨戦(仏1000ギニーに当たるレース)に出走しますが、馬群にもまれたせいもあってか完全にやる気をなくし、直線で一旦は抜け出したものの、ゴール前で後続に捕まります。
―負けた―誰もがそう確信していました。・・・が、コロネーションはここから驚異的な粘りを見せ、なんと一着同着にまで持ち込んだのです。
このレースを見たブサック氏は、コロネーションの能力に絶対の自信を持っていたものの、馬群にもまれるとやる気を無くす性格や、レースで斜行を繰り返すため審議の対象になりかねないことを考慮してオークスでは積極策で臨む決意をします。
そして、いよいよ目標としていた英オークス。
スタートと同時に勢いよく飛び出したコロネーションは激しく先頭争いを続けます。
そして、先頭争いに勝利したまでは良かったのですが・・・ここから騎手の制止を振りほどき、大暴走が始まります。
最初の1ハロン目からもの物凄いラップで飛ばし続け、後続を大きくつき離して完全な独走状態のコロネーション。誰もが直線に入る前に力尽きるものと想像していました。
しかし、観客の予想に反してコロネーションの脚色は直線に入っても鈍ることはありません。驚きを隠せない観客は総立ちに。―ウソだろう!?―
ついていけない馬たちは続々と脱落していきます・・・。
ゴール直前、競馬場は興奮に包まれ、コロネーションが優勝に手をかける―
・・・その時でした。
後ろから強烈な末脚で追い込んで来る影が・・・僅かクビ差、コロネーションの「戴冠」はなりませんでした。
ブサック氏は、再び「戴冠」を目指して彼女を愛オークスに出走させます。
しかし、過酷なローテーション、相次ぐ長距離輸送、更には風邪を患っていたこともあり、結局コロネーションは、ここでも2着に敗れてしまいます。
またしても「戴冠」を逃したブサック氏―。しかしそれでも、彼は諦めてなどいませんでした。
もともと資産家としても名高かったブサック氏は、当時まだパリ大賞の次のランクであった凱旋門賞の賞金を5倍に増やし、凱旋門賞を世界最高賞金額レースへと発展させたのです。
この凱旋門賞を勝ち取った者こそ、真の王者として「戴冠」すべきだと・・・。
ブサック氏の思惑通り、凱旋門賞には世界中から超一流馬の参戦が申し込まれることとなりました。
―各国を代表する名馬が織成すサラブレッドの世界一決定戦―
こうして、凱旋門賞は大きな期待と共に開催されました。
多額の費用をかけた宣伝も奏功し、会場には内馬場までぎっしりの観客が詰めかけました。
さて、コロネーションに目を移すと、パドックではいつもイレ込み、暴れていた彼女が、この日はまるで別の馬のようにリラックスして、完全に落ち着き払っていました。
気性難という呪縛から解き放たれた彼女の能力は計り知れないものがありました。
スタートするとコロネーションは中段に。今回それほど人気がなかったことも幸いしてか、厳しいマークもなく、スムーズにレースを進めます。
4角手前、人気馬が上がっていくのを見る形でコロネーションもこれを追走。
直線に向く頃には前を行く2頭がデッドヒートを繰り広げ、一騎討ちの様相。その後ろ3番手の位置にコロネーション。静かに待機していたが、鞍上ポワンセル騎手のゴーサインに鋭く反応すると、後は能力の違いを見せつけるばかり。
あっという間に他馬を置き去りに。
コロネーション以外の馬の時間が止まっているかのようなその光景に、観客は魔法にかけられたような錯覚を覚えたことでしょう。
こうして、ブサック氏はついに悲願の「戴冠」を成し遂げました。
・・・しかし、コロネーションにとって最良なレースはこれが最後となりました。
その後、コロネーションは4歳になっても現役生活を続行しましたが、気性難という呪縛から解き放たれることは2度となかったのです。
しかし、そんな呪縛に囚われながらも、その生涯で着外は僅か2回だった、というところから彼女の本来の能力の高さが伺えます。
―引退後、繁殖牝馬として牧場に戻ったコロネーションでしたが、そこで彼女を待ち受けていたのは更なる「血の呪縛」でした・・・
はじめの4年間は大種牡馬ファリス、次の3年間をオーリバン、そしてオーエンテューダー、マーシャス、アイアンブリッジ等次々と一流種牡馬が交配されたのですが・・・
結果は不受胎、そして死産の繰り返しでした。
10年間の繁殖生活を続けるも、遂にコロネーションの仔が産まれてくることはありませんでした。
さすがのブサック氏も、10年間試みたコロネーション産駒の生産の夢を諦めました。
こうして仔を残すことができなかったコロネーションは牧場から姿を消すことになったのですが・・・以降、彼女の足取りは現在に至るまで不明となっているのです・・・。
果たしてコロネーションの不妊の原因が、近親交配の弊害によるものなのかどうかは定かではありません。
ブサック氏はコロネーションと同じ配合を妹のジェラルダとオルマラにも試みているのですが、このうちオルマラの方からはジャンプラ賞勝ち馬のロクリスが出ており、正常に仔を成しているのです。
しかし、今日ではサラブレッド生産における配合の限界を示した実例として、コロネーションの話はしばしば引き合いに出されているのです。
「戴冠」という栄誉を得るために犠牲にしたもの・・・それは、母としての幸せな日々だったのです・・・。
しかし、それは本当に彼女が望んだことなのでしょうか?
栄誉を求め、彼女に激しい気性という呪縛を与えたのも、彼女から母になる幸せを奪ったのも、全ては人間の欲望だったのではないでしょうか・・・。
私はインブリードが好きではありません。確かに、競走馬の能力を向上させ、或いは補完するための有効な手段ではあるかもしれません。
今日ではコロネーションのような極端な事例もないでしょう。
それでも、インブリードという手法は好きになれないのです。
そんな訳で、生産の基本はアウトブリードなのですが、私の所有馬に健康的な仔が多いのは馬主の影響かもしれませんw
倒壊劇場、毎回感動してますw
人間で言えばあってはならない世界。
しかしながら、馬やその他動物の世界では
当たり前の世界のようです。
そんななかでも、能力の向上だけを考えて
の配合は人間のエゴなんでしょうかね。
うちの牧場の子たちも元気だけは
G1クラスですよ^^
それ以上にリアルの子達は手が付けられない
ほどのやんちゃです。調教師はどこだ~~w
おれだった。。。><
次を期待してます!!
酒の肴に名馬劇場w
これだけ長文だと奥様には迷惑ではないですか?^^;
執筆者としては嬉しい限りですがw
To 名無しさんw
内容から闘魂さんかな?w
サラブレッドは一見健康的な血統であっても、始祖がたった3頭の種牡馬なわけで、遡れば皆親戚なわけです。
ただでさえガラスの脚なのに更に健康を害する配合は好きになれなくて・・・。
この馬のことを知っているとなおさらですね。
お子様は「まだまだやんちゃ」ですね?w
じっくりいきましょうw
To ハラハラさん
お久しぶりです^^
毎回読んで下さっていたんですね^^
ありがとうございます♪
競伝のネタがぜんっぜんないのでこっちだけでも続けていきますw
期待に添えられるようがんばらないとね~^^;
うちの仔はアウトニックスが多いけど
気性難多しw
でも、健康な馬が多いな~
人間のエゴという事では競馬自体(競走馬生産)が、エゴその物だと思うけどね・・。
これについてはムッハ教授が論文を発表して下さるのですね?w
アウトブリードで気性難が多いのは馬主の影響かなw