寺地フットボールクラブ

フェアプレイはケーキの決まりです、それは相手を思いやる心です。

寺地小学校 平成16年度第8号

2004年12月02日 00時00分00秒 | 学校だより
12月になりました 教頭 高橋俊嗣

 12月になりました。師走です。年末ですので、この一年を振り返ってみます。やはり、1が二期制、2が学力向上、3が台風・新潟中越地震などの災害が印象的です。大変な一年でした。
 先月は、三年に一度の音楽会がありました。大勢の保護者、地域の皆様にお出でいただきました。今改めてお礼の言葉を述べさせていただきます。ありがとうございました。
 子供たちは、日頃の学習の成果を発揮しようと、精一杯がんばって、合奏に合唱に取り組んでいました。後日西新井のギャラクシティで行われた連合音楽会でも、5年生は、学校を代表してがんばり、良い評価を得ました。大勢の観客の前で演ずるという貴重な体験と皆様に温かく見守られている、という温もりを感じながら、新たなる目標に向かって、寺地の子供たちは、学習と生活に精一杯取り組んでいます。
 10月号で、初めて自転車に乗ることができた時のことについてお話をしましたが、今月は、シジミ取りのお話です。話は小学1、2年生の頃のことです。場所は、先日の台風で座礁した、あの海王丸が時々停泊している所ですが、以前は、越の潟と言って海水浴場でした。その潟には、立山連峰からの水が流れてきています。周囲には田んぼが広がり、川には時々田舟のような水の舟が往来し、のどかな様子でした。そこで、釣りをし、釣った物を食べたこともありました。私は、ドジョウやフナは食べましたがライギョやナマズは苦手でした。
 海水の混ざっている潟には、ボラやウグイなどがいましたが、私のねらいは、シジミ取りでした。大人は金網の道具で底を引っかいていましたが、子供の私は、オモチャのような道具で、また足の指で貝を拾い集めました。今夜のみそ汁の具です。海の干満で潟の深さが変わります。小学1、2年生の背丈ですから、足下はヌルヌルとした感触の泥で、口の辺りまで水がきていたので、時々水を飲むこともありました。ヌルヌル、ザラザラの泥の感触でシジミの有無を感じ取っていました。体を張った楽しみと実益がその頃の日課でした。薬の袋はり、軍手の指先の結びなど、色々な内職のお手伝いもしました。昭和30年以前の話ですので、私だけが特別ではなく、皆それぞれに体験をしていました。これまで、その頃の体験の効果を実感したことはありませんが、物の観方という点では、自分の血や肉になっていると思います。
 今子供たちを見ていると、ちょっと残念に思う体験が沢山あります。今の体験で生きる力が身に付く素地が養われていますか。そして次に、家庭での、いわゆる親の、良かれと思った1つ1つの指示・注意です。「・・ちゃん、歯を磨いた」、「・・ちゃん、ハンカチ持った」など。家庭で、子供に無駄な労力を省かせ、直ぐに成果につながることばかりをやらせていませんか。テレビやパソコンやゲームの疑似体験だけでは、人間は、育ちません。人間の体は、スイッチ・オンのようにはいきません。進化の大昔から、代々人間は人間のバトンを引き継いで、たくましく生き続けてきました。そのたくましさを自ら捨てることはありません。
 10月号と同じことを繰り返しますが、子供たちの心身の健全な成長を願って、「五感を通して体験することの大切さ、がんばること、努力することの大切さ」を子供たちに指導しながら、教職員一同頑張っていきます。保護者、地域の皆様のなお一層のご理解とご支援をよろしくお願いいたします。

六中だより 平成16年12月号

2004年12月01日 00時00分00秒 | 学校だより
路傍の石

 この1年を振り返ると、君たちにとってどんな1年だっただろうか…。日本漢字能力検定協会が全国公募して選んだ漢字は、今年の世相を表す『災』であった。いろんなことがあったが、とりわけ自然の怖さを思い知らされた1年ではなかったでしょうか。猛暑の夏に台風の多い夏、そして新潟中越地震は、阪神淡路大震災をまた思い出させた。
 私の1年を振り返ると、六中への着任が、私にとっての一番大きな出来事である。8年ぶりの里帰りで、これからも日々新たな気持ちでいろんなことに挑戦し、生徒諸君とともに六中をもっともっともっと良い学校にしていきたい。

 話は全く変わるが、11月に栃木市を訪ねた。水と蔵のある街で、風情のある街だった。駅に通じる大通りに、あまり目立たない記念館があった。そこは『山本有三ふるさと記念館』だった。「女の一生」、「真実一風」、「路傍の石」など、多数の有名な文学作品を残した作家の記念館である。
 この記念館には数多くの作品の陳列と、こんな額がかかげられていた。
 たったひとりしかない自分を、
   たった一度しかない一生を、
 ほんとうに生かさなかったら、
   人間、生まれてきたかいがないじゃないか。
 これは作品「路傍の石」の中に出てくる一節である。なぜ今年最後の“学校だより”に、私がこのことを採(と)り上げたかを考えてもらいたい。
 理由はこうだ。私が久しぶりに六中生に出会ったとき、自分自身を大切にしていない生徒が少なからずいると感じた。せっかくいいものを持っていても、自分の才能に気づかず、ただだらだらと時間を無駄に過ごしている人もいる。
 この中学生という青春の中で、時には自分を傷つけて過ごしている人もいる。たった一度しかない一生、それではあまりにももったいないじゃないか。”六中生よ!めざめよ!“もっともっと自分を大切にしてもらいた。自分を大切にしたら、自分のまわりにいる人も大切にしてもらいたい。みんなが同じように考えるようになれば、六中の未来はもっともっと良くなるはずである。