つらつら日暮らし

道元禅師と親鸞聖人の関係についての一私論

まだ、大学院生だった頃、或る人に「道元禅師と親鸞聖人が会ったことがあると聞いたことがあるのですが、本当ですか?」と質問されたことがあった。結論からいえば、道元禅師御自身の著作はもちろん、伝記でも古伝の部類には、そのことを示唆する言葉すら存在しない。よって、会ったというのは伝承のレベルであって、およそ事実とはいえないと思う。

ただし、一方で以前から、『正法眼蔵』の一部の巻について「親鸞聖人のために書かれた」という説があることは知っていた。その出所までは知らなかったのだが、関連した文脈を以下の典籍に見出した。

・丸山小洋『古今名僧手紙禅』須原啓興社・大正5年

本書は、題名の通りで、古今の禅僧(日本が中心だが、巻末には中国の祖師のも編入)が様々な機会に送った手紙から、その祖師方の人柄に触れようという話のようである。多分に、仮名法語を集めた文献は或る程度揃っていたので、敢えて「手紙」に絞ったという感じだろうか。それで、その冒頭の祖師が、道元禅師なのである。

■永平道元禅師……(承陽大師)
生死に就て某に送る
⇒その後、「生死」巻全文を挿入
(此の手紙は真宗の開祖親鸞上人へ送りしものならんとの説あり)
    前掲同著、1~3頁


この書籍の話を信用するならば、『正法眼蔵』「生死」巻について、「生死に就て某に送る」というタイトルが付いたものがあったということになろう(或いは、丸山氏が付けたものか?)。なお、大久保道舟先生編『古本校定正法眼蔵(全)』(筑摩書房・昭和46年)があって、本文の対校を調べるには適切なので、「生死」巻を見てみたが、以下の記述があるのみであった。

本書は「秘密正法眼蔵」初巻所載にして、「本」以外に対校本を存しない。
    大久保先生前掲同著778頁、表現を改める


「秘密正法眼蔵」というのは、永平寺所蔵の28巻本のことを指し、「生死」巻は28巻本以外に対校本が無いと指摘されているわけである。その理由だが、現在では当然のように『正法眼蔵』の1巻として数える「生死」巻だが(「現成公案」巻との比較で色々と議論はあった)、いわゆる75巻本・60巻本に収録されておらず、後に編集された梵清本84巻本・卍山本89巻本にも収録されず、永平寺35世・版橈晃全禅師の編集になる95巻本に於いて編入された。これは、晃全禅師が永平寺にて28巻本を見ることが出来、そこから「生死」「後心不可得」「仏道(道心)」「唯仏与仏」を編入したためであった。

よって、どれほどに遡っても、28巻本が「生死」巻の初出となり、28巻本さえ見れば、対校は不要、いや、不可能というべきか。大久保先生は、そのことを指摘された。

さて、そうなると、先ほどの疑問は残り続ける。つまり、丸山氏が『手紙禅』に編入した「生死」巻だが、これが同著に編入されたのは、本巻が「手紙であった」という何かしらの伝承を受けてのものか?それとも、手紙の体裁の写本があったというべきだろうか。そこで気になるのが、本書の「生死」巻の出典である。本書「序」に、以下の一文を見出した。

追伸、本書収むる処多く拙が蒐集に係ると雖も、材を山内六水、原田喝道の二氏に得る処、亦少なからず。〈中略〉尚ほ原手紙文より書写の際、充分に注意致し候も、万一烏焉魯魚の誤りあらば、又これ編者の責任の有之候。

まず、ここからは、「蒐集」が3人によって行われたものであり、しかも「原手紙文」が存在したことを示している。それがそのまま「生死」巻に当てはまるかどうかは分からないが、まずここからは、「生死」巻について、手紙の体裁をしたものがあったということになろう。そして、丸山氏はそれを収録したといえる。

拙僧つらつら鑑みるに、確かに、道元禅師と親鸞聖人について、その接点について論じる人は少なくない。しかも、道元禅師示寂地と、その頃に親鸞聖人が住んでいたとされる場所は非常に近い。よって、何らかの接点があったと類推することは可能だが、果たしてどうだっただろうか?少なくとも、当時の親鸞聖人は関東地方への教化を行ったという評価は可能だが、社会的に「法然門下の一念仏僧」という評価は、まだされていなかった人(例えば、東大寺・凝然大徳『浄土法門源流章』に載っていない)の印象がある。

我々はどうしても、現在の真宗教団の巨大さから、当時の状況を過大評価しがちだが、親鸞聖人は同年代、決して有名な人とは言えない状況であったのではないか。道元禅師は入宋僧という評価がされていたが、一方で、越前に寺院を建てて、或る意味隠棲した人というイメージはあったのかもしれない。入宋僧とは、それだけで大きな名声を生むが、示寂される2週間前に京都滞在を世間に公表する状況であったとも思えない。

また、「生死」巻に、親鸞聖人との関わりがあったという伝承があるならば、早い段階での伝記にそれが出ていても良さそうなものだ。だが、未見である。よって、この伝承は、「生死」巻の内容が平易であり、坐禅の強調も無いことから、想像力をたくましくした人による考えなのかもしれない。そして、個人的には28巻本の「仏道(道心)」巻の方が、今回検討した伝承に適切ではないか?という印象も持っている。

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