つらつら日暮らし

正月の修正会についての雑考

日本仏教の一部宗派では、正月三が日を「修正会」などと称して供養を行う場合があった。なお、更に『大般若経』の読誦(転読)で行う場合もあるというが、どうも色々と調べてみると古い法会としては、『大般若経』では無かったようである。

日本での修正会は、「修正月会」の略であるとされ、毎年正月の始めに3日か7日、玉体護持・国家安泰や五穀豊穣などを祈願するものであった。古い記録としては、7世紀後半の持統天皇の時代に正月の諷経が行われていたようだが、いわゆる「修正会」そのものとは少し形が違う。

この辺、奈良・薬師寺のサイトなどに詳しいので見てみるが、同寺では、「吉祥悔過法要」を行うという。この法会は、吉祥天女を本尊として勧請し、悔過(懺悔)を行うものだという。正直、当方はこの法要について全く詳しくないので、今回、先行研究として佐藤道子氏「悔過法要の形式―成立と展開―その二」(『芸能の科学』19号・1991年)を読みつつ検討してみた。

同法会は『金光明最勝王経』に基づいて作られたといい、法会中でも読誦されるのは同経である。なお、同経巻8「大吉祥天女品第十六」「大吉祥天女増長財物品第十七」となっており、特に吉祥天女についての教説となっている。それから、同経巻6「四天王護国品第十二」でも、以下の指摘がある。

世尊、若し呪を持する時、我自身の現ずることを見ることを得んと欲する者は、月の八日或いは十五日に於いて、白疊上に於いて仏の形像を画き、当に木膠雑彩を用いて其の画像を荘飾すべし。人、八戒を受けんと為す。仏の左辺に於いて吉祥天女像を作り、仏の右辺に於いて我が多聞天像を作り、并びに男女眷属の類を画くべし。

つまり、在家信者による法会(というか、斎日の実施)を行う際に、吉祥天女を仏の脇士として立てる方法を指摘しているのである。とあり、また、「大吉祥天女増長財物品第十七」では、自らの罪を申し述べることなどを挙げている。よって、この辺を典拠に、「吉祥悔過法会」になった様子が分かる。

然るに、現在の修正会は読経(転読含む)・祈祷が中心である。悔過といった要素は、先に挙げた南都や平安の伝統的仏教では見られるのかもしれないが、おそらく鎌倉仏教以降では見られないものであろう。そこで、鎌倉仏教の禅宗系に影響を与えたであろう、中国仏教の様子を見てみると、以下のようにある。

正月の分、初一日、粥罷、座に就いて点茶す。仍ち両班・単寮を請して、方丈にて喫茶す。如常の礼なり。下堂して蔵殿にて諷経し、祝聖す。少かの頃、升座す。法座下にて人事す。冬節と同じきなり。或いは講じ、或いは免ずるなり。住持の意在り。
    『叢林校定清規総要』巻下「十九 月分須知」


このようにあるのだが、諷経は蔵殿とある通りで、経蔵で行ったものなのだろう。そして、その諷経は「祝聖」とある通りで、皇帝と国家に対して奉る法会であった。その意味では、明らかに玉体護持・国家安泰や五穀豊穣などを願っている。だが、先に挙げた「吉祥悔過」といったものではない。

しかも、元代の『増修教苑清規』巻上を見ると、「蔵殿祝讃」とあって、「初八日・二十三日」とあるため、本来ならば毎月行うべき行事であったことが分かる。それを思うと、決して修正会とは言い切れないことが分かる。ついでに、栄西禅師『興禅護国論』を見てみると、中国禅林の行事を「五・年中月次行事。正月羅漢会」と伝えている通り、こちらは「羅漢会」である。

つまり、『大般若経』による法会について、正月に行うという記録は、古いものがなかなか見られない。必要なら、更に他の文献なども探ってみたいが、今日はここまでとしておきたい。

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