つらつら日暮らし

菩薩戒の「七遮」への雑感

声聞戒に於ける比丘戒を受ける場合には、「遮難」といって、その資格を厳しく尋問することが定められているが、菩薩戒の場合には広く授戒させることを理念としていることもあって、この辺の資格への疑問は、かなり曖昧である。そこで、授戒時に尋問される内容は、「七遮」となっている。例えば、以下のような作法が知られている。

  第六問遮
 即ち能く発心し、行相を建立すべし。行相、自行化他を出づ。自行なるが故に上求なり、利他なるが故に下化なり。
 汝等、既に発心の相を知りて、堪能し四弘を成就満足す。
 此れ但だ現在身心の発趣なり。
 若し遮難有れば、戒品発せず。故に梵網経に云く、若し七遮有れば、受戒と為すに応ぜず。
 今、汝に問う。当に実の如く答うべし。若し実をもって答えざれば、徒らに自他を苦しむ。〈中略〉
 汝等、曾て仏身より血を出さざるや、不や。応に無と答うべし。
 汝等、父を殺さざるや、不や。
 汝等、母を殺さざるや、不や。
 汝等、和上を殺さざるや、不や。
 汝等、阿闍梨を殺さざるや、不や。
 汝等、羯磨僧を破らざるや、不や。
 汝等、聖人を殺さざるや、不や。
 已上、皆な応に無と答うべし。若し七遮無ければ。受戒を得るに堪えん。
    伝教大師最澄『授菩薩戒儀』、原漢文


ここに出ている通りなのだが、この「七遮」というのは、「七逆罪」に等しく、当然に「五逆罪」に増添して出来たものだ。その「五逆罪」自体は、名称としては『増一阿含経』に見られるが、項目自体であれば『雑阿含経』や『四分律』などにも見られる。ただし、それらの経典の成立時期への研究成果を見てみると、純粋に釈尊の直説かどうかは微妙なところではあるが、律にも見られるので部派仏教の時代には既に「五逆罪」が構築されていたことが理解できよう。

それで、これが「七逆罪」に展開したのはどのくらいかということだが、「七逆」という用語自体は、『梵網経』を除くと、『無畏三蔵禅要』であるとか密教系の経典で見られるのみである。概念としても「五逆」に対して、「殺和上」「殺聖人」を加えたのが「七逆」だが、この組み合わせも、それほど多く見られるわけではない。

よって、成立年代などを考えると、『梵網経』がもしかすると古いのかもしれない。それで、先の『授菩薩戒儀』では「七遮」といっている一方で、『梵網経』の方では「七逆」と「七遮」の両方を用いている。そうなると、菩薩戒の授戒作法を構築していく間に、「七逆」のみでは用いづらいので、声聞戒の「遮難」に相応したような「七遮」という呼び方が、作法では用いられた、というような推測が成り立つ気がする。

その点で、やはり授戒作法を収録する『無畏三蔵禅要』を見ていくと、受戒希望者への問いかけは、「諸仏子、汝等、生まれてより已来、父を殺さざるや〈以下、他の六逆〉」となっており、「七遮」という用語は見えない(「七逆」は見える)。一方で、『梵網経』を見ると、「汝、現身に七逆罪を作さざるや」とも、「汝、七遮罪有りや、不や」とも見える。よって、『梵網経』の方は「七逆」の内容を分かっていないと、問いかけ自体が成り立たない。一方で、『無畏三蔵禅要』であれば、一々を聞かれるのみなので、受戒希望者が事前に知らなくても問題はない。

以上の結果として、「遮難」相当としての儀礼が成り立っているのは、『無畏三蔵禅要』である。同文献は元々、インドのマガダ国の王族に生まれ、唐の時代の中国にやって来た善無畏三蔵(637~735)が、中国の禅僧と、当時のインドに於ける禅定について対論したものとされる。よって、中国という土地で考えてみると、『梵網経』の成立よりも、明らかに後代の人である。よって、どちらが先か?という議論には、余り意味がないのかもしれない。

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