三聚浄戒総頌
律儀は断徳にして法身を成ず。
摂善は智徳にして報身を成ず。
饒益は恩徳にして応身を得る。
因りて三聚と名づけ、果は三徳なり。
原典に随って訓読
非常に、端的な内容の偈頌である。要するに、「三聚浄戒」と「三徳」だと説明しているのである。では、その「三徳」とは一体何なのか?それで、「三徳」について説明しているのは、世親『摂大乗論釈』であり、以下のように見える。
論じて曰わく、一切智智を得るの為に。
釈して曰わく、即ち是れ一切智にして無畏なり。此の三句、即ち三徳を顕す。初めに断徳を明かし、次に恩徳を明かし、後に智徳を明かす。
『摂大乗論釈』巻8
まずは、以上の通りである。「一切智智」の説明で、「三徳」として展開する様子を説明している。そして、更に以下の一節もある。
正護戒、如来断徳の因と為す、
摂善法戒、如来智徳の因と為す、
摂衆生戒、如来恩徳の因と為す。
同上、巻11
こちらは、「三聚浄戒」と「三徳」との関係であるけれども、こちらは、先の「総頌」と同じ内容なので問題が無い。しかし、問題となる一節も見出した。
三身、即ち是れ三徳なり、
法身、是れ断徳なり、
応身、是れ智徳なり、
化身、是れ恩徳なり。
同上、巻12
・・・あれ?いや、何度見ても「応身」で間違いないようで、「報身」では無いのである。そうだとすると、そもそも「三身」の捉え方自体が問題になってくるのではないか?ということで、先の「総頌」について、基本は『摂大乗論釈』である、といいたかった当方の目論見は破綻した模様。
どこを出典だと言えば良いのかな?それで、今回問題となっているのは「報身と智徳」との関係なので、それを中心に探したところ、以下の一文を見出した。
摂善法戒は、一切の善法、皆、此の戒に属し、亦た智徳と云う、即ち是れ毘盧遮那如来の円満報身なり。
『金剛頂瑜伽略述三十七尊心要』
・・・密教系か。時代的には、かなり後になりそうだ。ただ、元々『三聚戒本』は密教系で用いている文献なので、この辺は特に大きな問題では無い。『三聚戒本』に載っている、各頌の紹介はとりあえず以上だが、『三聚戒本』には続けて「臨長浄期有犯疑罪説悔守持法」が収録されているため、機会を得て採り上げてみたい。