つらつら日暮らし

冷え性になった和尚

まぁ、別に現代特有の病気というわけではないわけだから、昔の人も「冷え性」にはなったわけである。現代であれば、最先端の医学にお世話になることはもちろんのこと、「養命酒」や様々な食事療法なども用いられるのだろうが、古来はどうやっていたのか?ちょっと、気になった記述があったので見ていきたい。

 或る時、上人が永く冷病(=冷え性か?)に侵されて食事も出来なかった頃、医博士だった和気の何某が尋ねてきて申すには、「このお疲れは、冷えのためですね。山中で霧深く、寒気が激しい間は、美酒を毎朝温めて、少しずつ服用されればよろしいでしょう」といわれた。
 上人が仰るには「法師(にとっての身体)は、自分の身体ではなく、一切衆生(を導くため)のための器である。仏が、特に難しい(悟りの世界という)ところに入られて、誡めておられるのも、このためである。放逸に身を捨てるべきではない。その上に、必死に禅定をしても仏は救ってくれない。
 そうであれば、耆婆の処方にも老いを留める方法はなく、扁鵲の薬も死から助けてくれる効能はない。もし、私がしばらく世に住して役立つのなら、三宝の擁護によって、病が癒えて命が延びることだろう。
 そうでないとしても、仏が堅く誡められた飲酒戒を犯すべきではない。特に酒は、二五〇戒の中から、十戒に選ばれ、十戒の中から五戒に選ばれたその第一である。
 虫の毒は一生を滅ぼすだけだが、酒毒は多くの人生を責める罪となる、たとえ、いったんは仮のこの(身体の)形を助けても、利が少なく損が多くなるだろう。仏は、むしろ死んだとしても犯すべきではないと誡められたのだ。私がもし、薬のためだとして一滴でも服したならば、何事かをかこつけて(酒を飲もうと)思っている法師どもだから、(明恵)御房も時々酒を吸っているのだから、などという前例にして、この山中がさながら酒の道場となってしまうだろう。だからこそ、斟酌がないわけではないのだ」と。
    『明恵上人伝記』、当方の拙訳


訳文冒頭に冷病とあるが、これを「冷え性」だと解釈した。なんとなく、この『伝記』に登場する医師が勧める内容などを見てみても、これは冷え性なのではないかと思うが、しかし、今このご時世で医学的に、冷え性対策で飲酒を勧めるのは正しいのだろうか?まぁ、ネットなどをザッと見てみても、賛否両論あるようで、当方は回答を出す立場に無い。

そういえば、明恵上人には、元久2年(1205)の頃に見える記述でも、やはり身体の冷えについて書かれていて、その時には吉祥天や弁財天といった護持神の力によって、霊薬などを得て助かったとされるが、上記の時にはそういう加護はなかったようだ。

そこで、この一件を見ると、それまではなにやら異能の力でもって、自らの宗教性を保持していた明恵上人が、徐々に修行が進んで、この身体自体に直接に近付いたということか。

それから、明恵上人が、自ら酒を飲まなかった理由に、弟子達の育成という目的があったことを挙げるべきだろう。弟子達の前で、飲酒をすれば、志が定まっていない者達は、我先に飲酒を行うという危惧があったようだ。このようなことから、人の師となるべき存在は、必要以上に自分を律する必要があるということだ。

また、上記の通り、色々な戒律の条文についての注釈もあるが、それはまた、別の機会に見ていきたいところである。実際、この辺、戒文をどのように組み合わせていたのか、一見しただけでは理解出来ない。

さて、今日、明恵上人の記事をアップしたのは、御遷化されたのが寛喜4年(1232)1月19日だったからである。旧暦ではあるが、ご命日だったので、ご供養を祈念しつつ、記事にした。合掌

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