つらつら日暮らし

「盂蘭盆会」への学び(高田道見先生『盆の由来』参究1)

8月は盂蘭盆会(お盆)の季節である。そもそも、何故この時期に「盂蘭盆会」を行うのかは、拙Wikiに【施食会】という項目を書いておいたので、ご覧いただきたい。

そこで、マニアックな話ではあるが、曹洞宗で「盂蘭盆会」について最初に記述された瑩山紹瑾禅師(1264~1325)の『瑩山清規』では「年中行事」の「七月一日」項に於いて、「七月一日より、施餓鬼」と示している(昨今の曹洞宗では、「餓鬼」表記が差別的であるとして、「施食」と表現する。行う行事の内容は同じ。あくまでも歴史的事象の説明を行うため、当記事では「施餓鬼」と用いる。差別の拡大などをしないように御注意願いたい)。

しかし、【曹洞宗で最初の「盂蘭盆施食会」について】でも示した通り、「牓」といって、行事の意趣を示した掲示板では、「目連、食を盆器に設け、悲母の苦を救う」とあって、釈尊の弟子であった目連尊者が出てくるため、つまり『盂蘭盆経』の世界観に従って行事を進めていることが分かるのだが、同じ「牓」の文中には「大乗経、並びに秘蜜神咒・諸尊宝号等を誦して」とあって、密教で用いる陀羅尼や、諸尊の宝号(具体的には、五如来)なども唱えるとしている。

そこで、同じ『瑩山清規』から「七月十四日」項に見える「施餓鬼作法」を見てみると、『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』に従った作法が構築されている。こちらに登場するのは、同じく釈尊の弟子であった阿難尊者であるため、いわゆる「施餓鬼供養」となっていることが理解出来るが、この供養法は「盂蘭盆会」の日付に関係が無い。

つまり、「盂蘭盆会」というのは、「食供養」が大事なのだが、その実態として、盂蘭盆会と関係が無い「施餓鬼供養」でもって行っているのである。先に挙げた拙Wikiで紹介したように、その辺の矛盾を指摘したのが、江戸時代の名古屋・八事興正寺の住持であった諦忍妙竜律師だったのだが、明治期の曹洞宗ではその批判を知りつつも、自分たちの伝統は「盂蘭盆施食会」であると主張したのであった。

その典拠になったかもしれない一節が、「盂蘭盆の供、此より始む。大施餓鬼、勤修すること久しし」(『瑩山清規』「盂蘭盆会疏」)であり、瑩山禅師がそのように行っているのだから、伝統的に、「盂蘭盆施食会」で行うと決めたのである。

ということで、この八月は盂蘭盆会に関する話をしてきたい。上記に挙げた通りで、盂蘭盆会自体は『盂蘭盆経』に由来するが、我々が行っている行持的には、先に挙げた『陀羅尼経』になるわけである。そのせいか知らないが、ウチの宗派には、『盂蘭盆経』自体の解説が、それほど多くはない印象である。

例えば、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師なども、盂蘭盆施食会という混交状態は既に受容されていて、そういう中で施食法に対してのこだわりを見せられる(いわゆるこれが『甘露門』制定に繋がる)わけである。『僧堂清規』巻3「年分行法」などはまさしくそんな感じで、更に『考訂別録』巻5にも「施食法」という項目があるが、盂蘭盆会のことは何も書いておらず、まさに「施食法(要するに「陀羅尼」関係)」となっている。

それで、今年は可能な限り「盂蘭盆会」についての学びを深めていきたいと思い、『盂蘭盆経』の解説にしようか?「盂蘭盆会」の解説にしようか?迷っていた。実は、前者については高田道見先生『盂蘭盆経講談』(通俗仏教館・明治29年)の施本や、愛知県内の真宗大谷派寺院で行われた講話筆記録なども入手したので、それを用いても良いかな?と思っていたのだが、当の高田先生が「予て『盆の由来』と題して荒増の訳柄をお話し申した」(『盂蘭盆経講談』3更)とあって、あらましだけを学ぶなら『盆の由来』の方が良いらしい・・・ということで、早速に高田先生の講演・著作集『通俗仏教便覧』(光融館・明治39年)に『通俗問答盆の由来(以下、『盆の由来』と略記)』が収録されていたので、それを見ながら、拙僧及び読者の皆様に資する問答を見ておきたい。

言い忘れていたが、『盆の由来』とは盂蘭盆会に関する29問答が収録されており、簡単に題だけを申し上げれば、以下の通りとなる(なお、各題は拙僧が勝手に付けた)。

1、仏家の盂蘭盆とは何か?
2、父母の精霊に対する追考が目的なら、両親存命中は何をするのか?
3、七世の父母とは?(1)
4、七世の父母とは?(2)
5、何故無量世の父母ではなく七世のみなのか?
6、七世のみとする根拠は?
7、盂蘭盆の法はどこまで孝順を尽くすのか?
8、何故盂蘭盆は七月十五日なのか?
9、七月十五日を衆僧自恣というのは何故か?
10、今時の盆は七月十五日だけではなく、十四~十六日に行うのは何故か?
11、雨安居は分かったが、今時の禅宗では夏安居・冬安居を行うが、その違いは?
12、そもそも安居とはどういう意味か?
13、自恣と安居は分かったが、七月十五日が仏歓喜の日になる理由は?
14、盂蘭盆という言葉の字義は何か?
15、目連尊者の母親は何故餓鬼界にいたのか?
16、大々的な供養を行えない貧困者はどのようにして孝順を尽くすべきか?
17、少量の供養では利益も薄いと思うが、七世の父母に孝順を尽くせるのか?
18、少量の供養で七世の父母に孝順が尽くせる理由とは?
19、僧侶が近くにいないとき、盂蘭盆の法を行うにはどうすべきか?
20、僧侶がいない場所では、どのように仏法を請うべきか?
21、仏法を請う式法とは何か?
22、示された式法は施餓鬼作法のように思うが、施餓鬼と盂蘭盆の違いは?
23、施餓鬼の縁起とは何か?
24、今時は盂蘭盆会と施餓鬼会を混同しているように思うが、その通りか?
25、盂蘭盆供とは精霊祭の異名か?
26、盆斎と施食と祖先祭は別々の行事なのに、何故今時の寺院は七月に施餓鬼を修行するのか?
27、今時の檀家や信徒は、七月になると盆礼・盆供料・回向料などの名称で菩提寺に米銭を納めるが、これは何か?
28、盂蘭盆会が中国や日本に伝来したのは何時か?
29、明治維新以降暦が変わったため、盂蘭盆会も七月と八月に行うところで分かれたが、勝手に変えて良いのか?


当然、これを全部採り上げるのは難しいので、拙僧がこれと思った問答のみ見ておきたい。今日はやはり第一問を見ておくべきだろう。

◎問ふ、仏家に盂蘭盆と云へる事あり、是は如何なる事を為すの法なりや
○答ふ、是は仏弟子若しくは仏教信者が、孝を行ひ恩を報ずるの法なりとす
    『盆の由来』第一問答・5頁、漢字や仮名は現在通用の字体に改めた


「為す」の「す」が、普段見ない変体仮名だったので面食らった(普段読んでいる文献では普通の「す」の由来通り「寸」をそのまま書いてある場合も多い・・・たまにこれが「時」を示す略仮名だったりして嫌だが。さておき、今回は「春」のくずし字を「す」と読ませていた)が、児玉幸多先生編『くずし字用例辞典』(東京堂出版)のおかげで読めた。一応活字だが、明治時代は「合略仮名」「変体仮名」がそのまま活字になっているので、本当に注意が必要。

それで、第一問答は簡単で、要するに「盂蘭盆会」とは「孝」を行い「報恩」のためであるという。『盂蘭盆経』を「孝」を説くために解説するというのは、先に挙げた大谷派寺院での講義でも同様なので、近世・近代はそういうことだったのだろう。

ということで、明日以降も、可能な限り問答を採り上げてみたい。なお、場合によっては、答えが数ページに及ぶ場合もある。その場合、拙僧の心が折れて採り上げないこともあるが、勘弁していただきたい。

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