七月一日より、施餓鬼。結縁看経牌、便宜の所に之を出だす。牓に云く、
法王解制の辰、衆僧自恣の日なり。
行道周円して、功徳成就す。
此の時に当たりて、
釈尊は忉利に於いて説法し、大術の恩に報い、
目連は盆器に食を設けて、悲母の苦を救う。
鳴呼、目連尊者、神力を得て母儀の生処を見て、遂に之を救済す。
我等の道眼瞎却し、今生の恩所の生処を見ること能わず、何れの苦を受け在何れの悪趣に在るかを知らず……〈以下略〉
『瑩山清規』「年中行事」
このように、7月に入れば施食会の季節になる。そして、具体的な供養は、『盂蘭盆経』などを読誦することで進み、更には7月14日の夜から準備などが始まる。いわゆる施餓鬼供養に必要な旗の類、供物の類が、ほぼ現在と同じものが用意され、その法要を迎える。法要の大まかな流れは以下の通り。
時に主維那、行者をして施餓鬼を案内に報しむ。
鳴鐘して衆を集め、維那は出班焼香し、主人・両班を請して問訊す。問訊し了りて、又、施餓鬼の人を請す。主人或いは首座等、尊宿をして施餓鬼せしむ。維那、文を唱うれば、大衆音を同じくす。
初段の十方念、供物の加持は、左手に拳を作し、左腰を抑う。右手に施与印を作し、加持食を廻す。
灑水呪の時、先ず右手に水印を作せ、所謂、大拇指は之を握り、四指並立す。
七遍の加持の間、三遍の後、右手で溝萩を取り灑水す。
開口咒の時、弾指三下。
施与咒の時、飯を握って庭上に投げる。
五仏超請証明の時、又合掌し回向に至る。
施餓鬼の法、先ず供物に問訊し、先ず合掌して念仏す〈三反〉。
若人欲了知、三世一切仏、応観法界性、一切唯心造〈正本、之れ無し〉。
南無十方仏、南無十方法、南無十方僧、
南無〈二字正本之れ無し。正本の如きは此の下、神呪加持に越す〉本師釈迦牟尼仏、南無大慈大悲救苦観世音菩薩、南無啓教阿難尊者〈三反、正本、之れ無し〉。
次に灑水真言、水印は大拇之を握り、四指並立して加持す。南無薩婆怛多蘗多縛盧枳帝唵三摩羅三摩羅吽〈七反〉。
次に開口真言。弾指三下して加持す。南無蘇噌婆耶怛蘗多耶怛姪佗唵蘇噌蘇噌婆耶蘇噌婆耶蘇噌娑婆訶〈七反、三反は本の如し〉。
次に施与飽満真言。五指、皆な外に向いて立てて加持す。南無三曼多沒駄喃梵〈廿一反、三反は本の如し〉。
次に五仏超請証明、加持は合掌印、
〈南無宝勝如来。本無之〉。
南無多宝如来。
南無妙色身如来。
南無甘露王如来。
南無広博身如来。
南無離怖畏如来。
〈南無阿弥陀如来〉〈三反〉
回向。
南無阿弥多婆夜 哆他伽哆夜 哆地夜他 阿弥唎都婆毘 阿弥唎哆 悉耽婆毘 阿弥唎哆 毘迦蘭哆 伽弥膩 伽伽那 抧多迦隸 莎婆訶 〈三反、本の如きは之れ無し〉
次に供物加持、左手に拳印。右手に施印。
神咒加持浄飲食、普施河沙衆鬼神、咸皆飽満捨慳心、悉脱幽冥生善道、
帰依三宝発菩提、究竟得成無上覚、功徳無辺尽未来、一切衆生同法食〈此の咒、正本の如きは載する〉。
観世音菩薩の下、汝等鬼神衆に、我れ今ま汝に供を施す、此の食を遍く十方に施すを以て、一切の鬼神に供す。
以此修行衆善根、報答父母劬労徳、存者福楽寿無窮、亡者離苦生安養、
四恩三有諸含識、三途八難苦衆生、倶蒙悔過洗瑕疵、尽出輪回生浄土〈正本の如きは、此の呪無きなり〉。
願以此功徳。普及於一切。我等与衆生。皆共成仏道。
十方三世々々。
以上の内容を改めて読んでいくと、曹洞宗で用いられていた初期の施食作法の実態が浮かび上がる。拙僧つらつら鑑みるに、現行施食会の「回向偈」で、最後に「生浄土」とされていたり、或いは「招請発願」にも、繰り返し「浄土」が出て来るのに、その主宰というか、本尊がいわゆる五仏=五如来にされてしまうと、結局、浄土の位置付けなどで分からないところが出てくる。
ただし、それを前提にした上で、あくまでも原初形態を見ていくと、やはり「浄土」というのは、阿弥陀仏の主宰される西方極楽浄土であったのだろうか。仏名呼称について、本来の「五仏」に「宝勝」「阿弥陀」の二仏を加えて「七仏」になっているが、阿弥陀は付け足し部分であるし、その後「回向」と書いてある真言は『仏説阿弥陀経』末尾にて無量寿仏(=阿弥陀仏)が説いたとされる「往生浄土咒」だが、「正本」ではこの部分は本来無かったので、最初期の供養の内容はかなり簡潔である。多分、「回向偈」も無い。そうなると、「浄土」とは余り狭い範囲で考えない方が良い。詳細は解決出来ていないが、更なる課題として検討していきたい。
よって、盂蘭盆会を施食会で実施することのみを、以上のように確認した。
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