つらつら日暮らし

肉食妻帯勝手にするなよ・・・

現在の日本仏教の僧侶、多くが妻帯(或いは夫帯)していることは、皆さま御承知のことであろう。その原因と言われているのが、明治5年(1872)4月25日に当時の政府から出された、以下の太政官令である。

「今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪等勝手たるべし事」

要するに、江戸時代は幕府が法度で禁止していたけれど、明治政府では規制しないよ、という話になった。とまぁ、一般的にはここで大概今に繋げてしまうのですが、そう簡単な話でも無い、ということを示したくて、この記事を編んだ。実は、曹洞宗では、明治時代、この「勝手たるべし」に抗っている(他の宗派では、例えば浄土宗なども抗っている)。例えば、この太政官令が出された1ヶ月半後に出された、当時の曹洞宗務局からの普達は、興味深い内容となっている。

  五年六月五日  全国末派寺院
 自今、僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手の後布告有之に付、事情不明之族、旨意取違驚愕致候ては不都合の儀に候。略して弁じて示すこと左の如し。
 沙門の徒、久しく游惰に流れ、仏祖真実の道を了ずること能はず。陽に解脱の形を票し、陰に繋縛の念を抱く者、十之八九は皆是なり。
 夫、宇内万国文明日新の秋に膺りて独吾が皇国のみ斯の流弊を坐視するに忍んや。然と雖、これが厳規を立てて以て之を糺問せんと欲せば、天下の僧侶将に孑遺なからんとす。於是一回寛大の典を降し咸く其好む処に循はしめ而後自然真偽趣を異にし涇渭判然たらば、仏祖の大道再び宇内に興隆せんこと必せり。是れ乃ち既往を咎めず、将来を諫め僧中に其人ありや否やを撿する所以の微意なり。仏子それ枢機を察せざるべけんや。
 且夫仏戒は素と仏弟子の禁にして天下普率の律に非ず。然るに中世以降混じて王制の如く其犯戒の僧あれば、之を罰するに王律を以てす。且く鷲嶺の付嘱に基くと雖、亦、甚しきことあり。今や明令一たび降り、仏律は沙門に委して〈委は勝手たるべきの義〉、自ら是を厳整せしむ。是の時に当て、仏子たるもの速に回光返照して従前の不規を改め憤発激励正法を護持し、国恩を報ぜずんば、更に何れの日をか待ん。是れ我等が龍天に誓て末派の僧侶に期望する所以なり。若又自ら顧て明に仏戒を持し、仏種を継ぐこと能わざるが如んば、各自の好む処に任せて早く裁制せよ。濫吹して法門を汚す間敷事。
〈下略〉
    『曹洞宗務局普達全書』明治5年項、カナをかなにし句読点・段落を付すなどしている


上記内容を簡単にいえば、国から「勝手たるべし」とあった内容について、結局は仏制の上に王制を置いて、その中で処断される状況にあったが、その王制の縛りが無くなることを、「勝手たるべし」というのであって、好き勝手に肉食・妻帯・蓄髪などをして良いことになったわけではない、と、全国の曹洞宗寺院・僧侶に向けて発したのである。

なお、この一文を虚心坦懐に読めば、幾つかの興味深い事実が見えてくる。

(1)既にこの段階で、問題のある僧侶がいた。
⇒文中に「沙門の徒、久しく游惰に流れ」や、「速に回光返照して従前の不規を改め」というような文章があるため、国からの「布告」が出た段階で、問題を起こす僧侶がいたことが、認識されていたことになる。良く言われる、「肉食妻帯令から僧侶は堕落した」というような話は、部分的事実として理解すべきだと出来よう。
(2)当時の曹洞宗の指導者は僧侶の持律による仏法興隆を願った。
⇒文中に「仏祖真実の道を了ずる」や、「仏祖の大道再び宇内に興隆せんこと必せり」というような文章があるため、この国からの「布告」が出た段階で、僧侶に自律的に仏戒を護持せしめ、その上で仏祖真実の道、仏祖の大道を明らかにさせようという思いがあったと理解可能。

無論、これはあくまでも当時の上層部の見解であって、各地にいた僧侶が国の布告をどう受け取ったかについては、こういうところから類推するしかないが、おそらく、様々だったのだろうと思う。ただ、それまでは幕府などから統制されることに慣れており、自ら考えて行動するような人は少なかっただろうと思う。その結果、(1)に指摘した通り、既に妻帯などをしていた僧侶は、喜んだかもしれないが、そうではない僧侶は混乱したのだろうと思われる。そこで、以下のような条文も出ることとなる。

 第四号 十一年三月一日  全国末派寺院
本年二月二日内務省番外達書の趣は、本宗限り当時伺済の上、明治五年六月五日、詳細弁解し末派一同へ教諭に及。其後連年厳達致候事件に付、各自誤認は毛頭有之間敷候得共、自今一層反省し宗規違犯無之様可心懸候此旨布達候事。
    同上、明治11年項、以下同じ


明治11年2月に内務省から達書に及んだらしいが、それを受けて、とにかく曹洞宗では、国から(勝手たるべし)とは来たものの、各自誤認せず、自ら反省して「宗規」に違犯することがないようにと促した。これだけだと分かりにくいが、『普達全書』の目次には、この一号を肉食妻帯についてだとしているため、上記の通り理解出来る。結局、最初の「肉食妻帯令」から6年後に、更に当時の宗務局では、改めて布達を出さねばならないほどに、勘違いして肉食妻帯する僧侶が増えていたと推定出来る。

ただし、当時の曹洞宗上層部は条文の上でまだまだ抗う。例えば、近代曹洞宗教団として最初に制定した『曹洞宗宗制』(明治18年)では、次の一条が見える。『宗制』は全十一号あるが、その「第三号曹洞宗寺法條規」にこうある。

第九條 寺院中に女人を寄宿せしむ可らず
行政上には僧侶の妻帯を妨げざること明治五年第百三十三号の公布あれども、右は宗規の範囲内に関係を及ぼさざること明治十一年二月内務省番外達に明なり。故に宗規は依然僧侶の妻帯を禁止す。政教已に区別あり。他の干渉を脱して独立の機運に傾向せし以上は、奮て宗規を恪守すべし。尼庵に男子を寄宿せしめざるも亦同じ。
    同上、明治18年項、以下同じ


つまり、従来と同じく、特に「妻帯」を禁止する内容である。しかも、政教分離が自覚され、その上で自律的に宗規を護持するように説いている。よって、最初の一文から7年後も同じように、曹洞宗僧侶を統制しようとしていたことが理解出来よう。なお、曹洞宗では大体どの時代も同じだが、男性僧侶の方が圧倒的に多く、女性僧侶(尼僧)が少ないため、「女人を寄宿せしむ可らず」と表題にあるが、「尼庵に男子を寄宿せしめざる」という一文が付記されており、尼僧も統制しようとしている。

ところで、この様子が変わっていくのが、明治21年に「曹洞扶宗会」で採択された「曹洞宗改進方案」である。同案では、曹洞宗の僧侶を「弁道師」「唱導師」に分け、前者を「出家弁道」、後者を「在家唱導」に勤めると定義した。そして、「弁道師」の定義にこうある。

本案を以て定むる所の弁道師なる者は唯其方袍円頂にして女人を遠ざけ肉食を禁ずるに止まらず、凡そ衣体行法一切の行業悉とく如法綿密にして苟くも今時の弊俗に混濫すること無らんと要す。
    『曹洞扶宗会雑誌』第二十五号、明治23年10月


つまり、「弁道師」とは肉食妻帯をしないで出家弁道に邁進する者であると示された。一方で、「唱導師」は、「肉食妻帯」についての記述がないが、「弁道師」の定義から転じて考えれば、肉食妻帯などは認められていたと考えるべきであろう。だからこそ繰り返し、「世間に随順」とか「跡を塵中に混じ」といった語句が見られる。もちろん、拙僧の読み込み過ぎかもしれないが、一方で先に挙げた「宗務局からの普達・宗制」は、とにかく妻帯などを禁止しており、その理由を考えれば、妻帯などをしていた僧侶が多かったということになる。よって、「改進方案」ではその現状を認めて妻帯する僧侶を「唱導師」とし、その代わりに妻帯などをしない「弁道師」に特権を与える内容となっている(宗費免除、両大本山[改進方案では、ちょっと複雑だが詳述せず]貫首に就任する権利等々)。

「扶宗会」という組織は、当時の寺院や宗侶の「現実」に良く対応しようとした団体であると評価可能であり、形ばかり妻帯が禁止されているだけでは意味が無いと考えた可能性がある。それくらいなら、妻帯する僧侶と、妻帯などをしない僧侶とを分け、後者を信仰や真理の中心に据え、前者は後者を支える僧侶にしようという話になったのであろう。

さて、このように曹洞宗の宗規上では、妻帯を徹底して禁止した。これが『宗制』から見えなくなったのは、明治39年(1906)の『宗制』改正によってであろう。実際に、明治39年の『宗制』には、先の「寺院條規」に相当する「曹洞宗寺院規程」(全86條)及び「曹洞宗僧侶懲戒法」が見えるが、ここに男女の問題についての項目は無いため、結果としてこの頃までには、僧侶の妻帯は実質的に黙認されたことになるであろう。

ここで喩えに使って良いかどうかは拙僧自身躊躇しているが、事実なので申し上げると、明治時代の文人・歌人である石川啄木は、現在の岩手県盛岡市玉山区日戸にあった曹洞宗常光寺の住職であった石川一禎と妻・カツの長男として生まれた。戸籍上は明治19年(1886)2月20日誕生とされる。つまり、この段階ではまだ、明治18年に制定された『宗制』の規約下にあったはずだが、地方の寺院では住職が普通に妻帯していたことが分かるのである。

こういう状況に鑑み、結局は江戸時代の法度や明治時代前期の曹洞宗規の上では、妻帯を禁止していたけれども、実際には守られておらず、明治後半に至って事実上黙認したという流れで理解するのが良さそうである。後の大正6年(1917)7月に刊行された栗山泰音禅師『僧侶家族論』でも、まだ僧侶の妻帯については問題視する場合があったと伺えるため、決して全ての僧侶が、日本仏教批判論者のいうところの「堕落」をしたわけではないといえる。

以上、雑駁な記事だが、拙僧自身の学びのために記した。

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