つらつら日暮らし

禅宗修行道場の六月一日(令和5年度版)

たいがい「一日(朔日)」は、禅宗の修行道場では、様々な行持や季節の変化が感じられる日になる。特に六月一日は、夏に向けて準備をしていく日であり、色々なことが始まったり終わったりする。始まることといえば、「風呂」と「打扇」であろう。

・六月一日自り淋汗。隔日に沐浴するなり。或いは、六度沐浴の中間に、一沐浴す。又、施主臨時の沐浴を除くなり。
・又、六月一日自り、堂中は斎時に打扇す。打扇の法は、聖僧の脇、左の柱に「住扇牌」を掛けて、遍槌の後、打扇す。行者は二人。或いは四人。同じく扇を持して入堂し、聖僧の前にて問訊し、上下間に相い別れて打扇す。折水桶、出て後、頭の行者、扇の柄を持して、「住扇牌」を打すこと一下すれば、諸行、これを聞いて、皆扇を住む。前の如く当面に問訊して出堂す。
    ともに『瑩山清規(下)』年中行事


上記内容は、入浴法と打扇である。入浴法とは、風呂に入る、もしくは汗を流すために行水をすることになる。この辺は、修行僧の体調管理や清潔な環境を保つ目的で、一日おき、もしくは6回沐浴したら1回休む(週6日ということか)という日程で、ほぼ毎日入浴していた状況が伺える。

なお、当時の日本の禅道場では、修行者は数十人くらいが普通だったようで、それだけの人を風呂に入れるのも大変なことである。大変とは、当然に毎日湯を沸かすことを思うと、今風にいえば水道代と光熱費(要するに「水」と「薪」ですな)も莫大なものになったと思われる。よって、当時の道場にはこれらを専門に勧募して歩く修行者もいたのである。

街坊化主、荘主、炭頭、醤頭、粥頭、街坊般若頭、華厳頭、浴主、水頭、園頭、磨頭、燈頭の類を請するが如きは、応に常住を助益する頭首に係るべし。須らく当に時に及んで住持人に稟してこれを請すべし。怠慢遅延すべからず。
    『知事清規』「監院」項


ここに、「炭頭」「水頭」という役職名が見える。これらは、道場に於ける炭(薪)と水の管理者だが、当然に当時はそれらを全て、どこかから調達をしなければならないわけである。蛇口をひねればお湯が出る、なんて未来技術だから、当時には無い。つまり、道場の年間予算などを元に薪などを買い求めたり、或いはそれを特に布施してくれる人を探して歩いていていた。なお、先に挙げた『瑩山清規』の一節にも、「施主臨時の沐浴」という一文がある。施主の人が、修行者の風呂を供養してくれたものである。

それから、もう一つの「打扇」だが、これは先に挙げた一文から分かるように、食事が終わる時に、大きな扇(うちわ)を持った行者が入ってきて修行者を扇ぐことである。これは、インドから続く習慣のようだが、禅道場にも採り入れられ、道元禅師の『赴粥飯法』には、風が嫌いな人などへの対処法も書かれているくらいのため、この打扇は修行者の体調管理に於いて、重要な意味があったといえよう。

また、この日から行わなくなることがあり、それは坐禅である。

六月一日、半夏節と称す。若しくは上堂の次で、坐禅を放下する由を報す。即ち随意坐禅なり。版を打たざるのみ。
    『瑩山清規(下)』年中行事


「半夏節」とは、旧暦の頃に4月15日~7月15日まで行われた夏安居(九旬安居)の中間地点であり、6月1日が真ん中(半夏)となる。この日から坐禅を放下(放下とは、「止める」の意。詳細は【つらつら日暮らしWiki-放下】参照)していた。その理由は、1つは気温が暑すぎるため、「随意坐禅」とし、各自涼しいところに行って坐ったという。これは、中国から伝わった方法のため、道元禅師も導入された。永平寺で、晩年になられてから行われた説法に以下のものがある。

上堂。今朝六月初一自り、坐禅を放下して板鳴らさず。盛夏に未だ抛たず、禅板の旧たるを。須く知るべし、伝法救迷情、と。
    『永平広録』巻7-505上堂


これを見ると、板を鳴らさずとも、禅板は古くなっても捨てることはないとしておられる。何故ならば、坐禅をしないとは、衆生救済の活動をしないことではなく、よって、伝法救迷情という達磨大師の遺志を忘れてはならないとされる。なお、同じように坐禅の放下を示された説法も見ておきたい。

 六月一日に上堂す、叢林旧に依って坐禅を放下す。
 夫れ坐禅とは、仏祖一大事因縁なり、万事を放下し、諸縁を休歇し、只管自己を保任して、真箇無為を学せしむ、然も是の如くなりと雖も、禅もまた放下し、人をして自己を知ること怨家の如くせしむ。
 諸人還た、識取すや未だしや、若し未だ識取せずんば、山僧衆に換わって一語を拈出せんと欲す、大衆委悉に聴取せんと要すや。
 即ち払子を放下して、手を斂め良久して下座す。
    『瑩山瑾禅師語録』原漢文


太祖瑩山禅師が、永光寺で行われた上記の上堂は、また、単独に記事にしたいと思っているため、今回は文章の紹介だけだが、道元禅師の修行法を倣ったためか「旧に依って坐禅を放下」するとされた。しかし、瑩山禅師はこの坐禅の放下と、禅とは即ち放下(万事を放下)とを掛けて、坐禅をしないことと、坐禅の奥義とは、実は不即不離であることを示された。しかし、ここを油断して、坐禅をしなければ坐禅になると思ってはならない。坐禅を放下して、その上でいかに禅の道に進んでいくかが肝心だといえる。

6月に入った今日だが、既に一部地域では梅雨に入ったという。梅雨の長雨に気分が滅入ることもあるが、坐禅の好時節としていきたいものである。

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