つらつら日暮らし

仏教徒の衣服(袈裟)について(拝啓 平田篤胤先生35)

前回の記事などを受けつつ、江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』を読んでいたら、我々仏教徒の出家者が身に着ける「袈裟」についての見解を述べていたので、確認しておきたい。

さて衣服は是も甚だ色々のわけが有けれども、一たい衲衣といふものおきるが本といふ事で釈迦の教でござる。夫は糞掃衣ともいつて、もとは人の捨た物を拾つてきるのでござる。これも四分律と云て仏法の戒めを書たるものゝ中に、牛嚼衣、鼠噛衣、火焼衣、月水衣、産婦衣、其外裡死人衣、往還衣、塚間衣のたぐひなお種々とあり、夫お洗ひ袈裟色といふに染てきるでござる。此袈裟色と云はすべて天竺の言に、物の色目の正しからず入まじつてる色を袈裟といふでござる。こりや元来出家の服と云ものは右の通り色々けがれよごれたるものお拾ひ集めするもの故、其いろが正しくない。夫ゆへけさといつたもので、元来は上中下の三衣を通じていつたる処を、後世には襟元へ引かけるものばかりけさといふ。則あれが天竺で出家の衣服の総名でござる。それを今は結構なる金襴錦などいふ類ひをするは、大きに釈迦の意とはたがつておるでござる。
    『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』68~69頁


本書が何の文献に基づいて話しているのか、色々と見てきているが、ここには『四分律』の話が出ている。「四大広律」の一で、法蔵部で伝持していたという。それで、中国の南北朝時代である永興4年 (412)に、姚秦の仏陀耶舎が竺仏念などとともに訳出しており、全60巻となる。

それで、篤胤は『四分律』から「糞掃衣」の話を引いたと主張している。これはいわゆる「十種糞掃衣」のことだが、篤胤の項目の挙げ方はかなり微妙である。特に、「裡死人衣」は典拠不明といえる。「十種糞掃衣」は、曹洞宗では道元禅師が『正法眼蔵』「伝衣」「袈裟功徳」両巻で示されるため、当然に見ることが多い。

それからすれば、「塚間衣」と「裡死人衣(埋死人衣ではなかろうか?)」は同じ扱いだと思われる。そもそも、「裡死人衣」自体は、典拠不明だが、「塚間衣」の意味は、死者の葬儀に用いて、遺体に着せて埋めたものだとされている。よって、「裡(埋)死人衣」と同じだと思われるのである。ただし、「裡(埋)死人衣」という表記は、『四分律』には無いようである。

今のところ、典拠は不明なので、篤胤本人の問題か、記録者の問題かである。

それから、「袈裟」の語源である「カシャーヤ」については、「不正色」と訳すべきとされる(南山道宣律師『四分律刪繁補闕行事鈔』巻上四「自恣宗要篇第十二〈迦絺那衣法附〉」など)が、その辺の基本はしっかりと抑えている。

一方で、篤胤からすれば、当時の僧侶を批判したいため、「金襴」「錦」などの派手な袈裟について採り上げ、「大きに釈迦の意とはたがつておる」などとしている。それを確認しつつ、

【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し

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