それで、律蔵の諸本に「戒羸」の定義などについて書かれているのだが、『四分律』が一番分かりやすいので、見ておきたい。
戒羸とは、
或いは戒羸して捨戒せざること有り、
或いは戒羸して捨戒すること有り、
何者か、戒羸して捨戒せざるや、若しくは比丘、愁憂して梵行を楽わず、家に還るを得んと欲して比丘法を厭い、常に慚愧を懐き在家を意楽し、乃至、非沙門・非釈子法に作らんと欲することを楽い、便ち是の言を作す、「我れ父母・兄弟・姉妹・婦児・村落・城邑・園田・浴池を念う、我れ仏法僧、乃至、学事を捨てんと欲す」。便ち家業を受持し、乃至、非沙門・非釈種子ならんと欲す、是れを戒羸して捨戒せざると謂う。
何者か、戒羸して捨戒するや、若しくは是の如き思惟を作し、「我れ捨戒せんと欲す」と、便ち捨戒すれば、是れを戒羸して捨戒すると謂う。
『四分律』巻1「四波羅夷法之一」
「戒羸」とは、結局は戒体の力が弱まり、受持しているはずの比丘が、その意味や覚悟を見失いそうになることをいう。ここまでは良い。そこで、上記の一節では何をいっているかというと、「戒羸」の結果として、「捨戒しない場合」と「捨戒する場合」とがあるとし、その一々について区分けをしているのである。
なお、上記一節は、「四波羅夷法」とあるが、「不婬欲戒」についての説示の中で挙げている。いわば、「還俗」に関する話として、「戒羸」が出ているのである。「不婬欲戒」は、出家にとっては大罪だが、在家にとっては罪でも何でも無い。そこで、一度出家した比丘が、戒羸の結果、どういう状態になったかが問われるのである。
まず、戒羸しても捨戒しない場合だが、それは、或る種のホームシックで、家に還りたいと願い、比丘としての生活を拒否する場合のみを指すという。或る種の、捨戒未遂とでもいうべきだろうか。
一方で、戒羸して捨戒する場合だが、もう、ホームシックなどはとっくに経過して、実際に比丘を辞めたいと願い、「捨戒する」と宣言してしまうと、捨戒になるという。
慧法菩薩、仏に白して言わく、世尊よ、仏、泥洹の後、五の乱世に当たれり。
一つには人民乱、
二つには王道乱、
三つには鬼神乱、
四つには人心憂怖乱、
五つには道法乱なり。
爾の時に当たりて四輩の弟子、法を用う。云何が能く世を度し獲るや不や。
仏、慧法に告ぐ、爾の時に当たりて四部の弟子、皆、志弱く戒羸なり。根門を守らず六情を放咨し、散心乱意して外経を雑学す。
『決罪福経』
これは、中国で作られた偽経だとされるが、世間の「五乱」を示しつつ、そういう中で、比丘などがどのように法を説くべきか?と慧法菩薩が世尊に尋ねているが、結果として、世尊はその五乱の時代の弟子達は、「志が弱く、戒羸なので、自分の心情をほしいままにし、仏教へ専念せずに、他の教えを学んでいる」と批判したのであった。
こういう時に「戒羸」って使うんだな、と思いつつ、律蔵への註釈書を除くと、用例が意外と少ないので、後は類義語を見た方が学びになりそうだ。