女人問ふ、女人は業障深きが故に、高野比叡等の清潔の山に登ること能はざるか、
師曰く、鎌倉に比丘尼寺あり、男子の出入を禁ず。
長井音次郎編著『正眼国師盤珪大和尚』政教社・大正15年、310頁
まず、或る女性が盤珪禅師に質問された内容とは、女性は業障が深いという理由で、高野山(真言宗)や比叡山(天台宗)など、清潔な山に登ることが出来ないのだろうか?というものであった。
一方で、盤珪禅師の答えは、鎌倉には比丘尼寺があって、そこは男性の出入りが出来ない、というものであった。
盤珪禅師の教え、場合によっては非常に簡潔であるため、上記一節もどこが主眼なのか分からない。なお、鎌倉の比丘尼寺とは、東慶寺のことである。
さて、盤珪禅師がどういうつもりでこれを答えたのだろうか?正直、女人禁制の寺があることに対し、男子禁制の寺もあるからと答えたところで、意味は無い。問題は、女人禁制そのものだからである。
そういえば、この件について、以下のような法度がある。
一 他人は勿論、親類の好これ有ると雖も、寺院坊舎に女人これを抱置すべからず、但し有来妻帯は各別なるべき事。
『諸宗寺院法度』「条」段、分かりやすく訓読した
つまり、男性僧侶の寺院には女性が、女性僧侶の寺院には男性を、留め置いてはならないとしている。この法度は1665年に成立しており、盤珪禅師は1693年の御遷化になるので、この一件も理解されていたはずだ。
以前の記事としては、【明治五年の日本仏教界変容について】で見た通り、明治政府は明治5年に「女人禁制」を禁止した。ただし、何故かその後も話題に上ることがある。拙僧的には、以前から申し上げていることは、宗教的にどうあっても「女人禁制」にしたいのであれば、その理由なりを説明し、更にはその理由を徹底的に信じ抜き、更には現代の人々にご理解いただくしかない。
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