つらつら日暮らし

第二十二条・私度条(『僧尼令』を学ぶ・22)

連載は22回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に当方による解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も参照していきたい。

 凡そ私度すること有らん、及び冒名して相い代わらん、并びに已に判して還俗をされて、仍りて法服を被たらば、律に依りて科断せよ。
 三綱及び同房の人、情を知れる者は各おの還俗せしめよ。
 同房に非ずと雖も、情を知れる容し止め一宿以上を経れば、皆な百日苦使せよ、
 即ち僧尼、情を知て浮逃の人を居き止めて、一宿以上を経たらば、亦た百日苦使せよ。
 本罪重くは、律に依りて論ぜよ。
    『令義解』13丁表~裏を参照、原漢文、当方にて段落を付す


上記一節を見てみると、難しいのは最初の一段のみで、後は、特段解説を要するわけでもない。しかも、最初の一段でも、良く分からない単語としては、「冒名」であろう。その辺は、『令義解』に於ける割注を見てみることとしたい。

謂わく、冒は覆ふなり。言はば、甲、乙が名を冒し承けむ。而も官司、覚えずして、度を与へ、或いは詐て身死たる僧尼の名を受けて、相代りて僧尼と為れる者をいうなり。
    『令義解』13丁表~裏


まず、冒を「冒す」と訓ずる場合、意味としては「危険なことを行う」「損なう」などである。ただし、『令義解』で「覆ふ」としているように、ここでは、「冒名」として捉えると、本来の名前を偽って、別の名前を仮に名乗ることを意味する。よって、甲という人が、乙という名前を名乗ることを「冒」としているのである。

或いは、公には認められていない状態で、或る僧侶が勝手に度を与えたり、或いは既に亡くなってしまった僧尼の名前を与えたりすることを問題視しているのである。なお、ここでは、それが既に明らかとなり、還俗させられた後でも、法服を着た場合、罰せられるという。

そして、このことを知りながら、止めたり、罰したりしない三綱や、同じ房に住む者がいれば、その者達も還俗させられるという。更には、同じ房に住んでいるわけではないが、事情を知りながら、その冒名している者を自分の房に泊めたりすれば、百日の苦使の罰が与えられたという。

つまりは、罪人を隠すようなことがあってはならないように促しているのである。

【参考資料】
・井上・関・土田・青木各氏校注『日本思想大系3 律令』岩波書店・1976年
・『令義解』巻2・塙保己一校(全10巻)寛政12年(1800)本
・釈雲照補注『僧尼令』森江佐七・1882年

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