つらつら日暮らし

『瑩山清規』に見る「十五日」の話

曹洞宗は行持綿密であり、作法是宗旨の宗風であるとされるが、その根拠になったのは道元禅師『永平清規』と、瑩山禅師『瑩山清規』であったといえよう。特に、『瑩山清規』の特徴は年中・月中・日中・臨時の各行持を組織化したことであり、この通り行ずれば、叢林での修行が成立するのである。

さて、今日はその中で、月中行事の「十五日」について、見ておきたい。

十五日 粥時に歎仏、粥罷に人事、祝聖諷経、上堂・巡堂朔望と一致。斎罷に布薩す、作法、別紙有り。
    『瑩山清規』巻下


詳細を見ていきたいが、まず「粥時に歎仏」とあるが、これは朝食の時に、「歎仏」することを指しているが、行法は『赴粥飯法』由来だろうか?その前に、瑩山禅師御自身のご見解を見ておきたい。

四日 以下、居常に十仏名、歎仏無し。只だ云く、仰惟三宝咸賜証知、仰憑尊衆念。
    『瑩山清規』「月中行事」


これは粥時の話なのだが、これを知るには、『赴粥飯法』を見ておかねばならない。

 槌を下すこと太だ疾ければ即ち仏脚を打し、槌を下すこと太だ慢ければ、即ち仏頂を打著す。如し尋常の填設に遇わば、即ち白槌して曰く、仰惟三宝咸賜印知。
 更に歎仏せざるなり。十声仏罷りて槌を打つこと一下し、首座施食す。
    『赴粥飯法


ただし、先ほどの瑩山禅師の御垂示も、道元禅師の御指摘もともに、「歎仏しない」という指示であり、歎仏自体の作法は載っていないのである。それを知るには、やはり中国の清規を見るしかないだろうか・・・いや、ダメか。なので、これはここまで。

それで、「人事」とは山内の僧侶が、お互いに挨拶することである。祝聖は、天皇(=聖)や国家に奉る(=祝)諷経である。そして、回向文も以下の通り知られている。

  回向 祝聖諷経 〈朔望〉
 心性正覚し、大智海蔵す、
 修成の如来、円通の聖衆、
 和光して同じく大円満無碍神咒消災妙吉祥陀羅尼を誦す、集むる所の鴻因は、
 恭しく為に祝延す。今上皇帝聖寿無疆ならんことを。
 金剛無量寿仏、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜。
    『瑩山清規』


以上の通り、天皇の寿命が無限に延びるようにと、願っている。また、「略三宝」が、「祝聖」対応となっていることもご確認いただきたい。

上堂は法堂で堂頭が大衆に向けて説法を行うことで、その後に行う巡堂は、僧堂を巡って堂内の大衆を良く見ることである。

さて、あと一つ見ておきたいのは、「布薩」だが、江戸時代以降は「(半月)略布薩」と呼ばれている行法である。元々、受戒している僧衆にとって、布薩は自らの戒を学び直すために必要なことだが、本来は「作法、別紙有り」とある通りで、本来の『瑩山清規』には収録されていなかったようである。

ただし、江戸時代に開版された『瑩山清規』には「菩薩戒布薩式」が収録され、「毎半月に之を行ず」とある。内容は、後代の作法が大体この作法に則って作られているため、特に見るべきところは無く、『洞谷記』には布薩に関連した、或るエピソードが入っているが、それも今日紹介するまでも無いので、割愛しておく。

以上の通り、「十五日」は「一日」と並んで、行持が多い日であった。特に、旧暦時代は太陰暦であり、月の満ち欠けで一ヶ月の長さなどが決まったが、「十五日(望日)」は満月、「一日(朔日)」は新月であったため、分かりやすかったという話もある。3月15日は、年分行持としてはほぼ記載が無い日であるので、月分行持の観点から記事にしてみた。

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