日本にしか通じないぞ。ということで、折角なので、仏教典籍を検索できるサイトで「薔薇」を検索してみた・・・まさかの大量ヒット!!
え?これ、今の薔薇と同じ花?というか、「花」なのか?と思ったが、「薔薇」の字、草冠だから、植物は植物か・・・ということで、「薔薇」の字句が入った仏教の教えを紹介してみよう。
桃紅・李白・薔薇紫、問著すれば春風、総て知らず。
『続伝灯録』巻30「臨安府五雲悟禅師」章
・・・色まで判明。どうやら、13世紀に中国で編集された禅宗関係の文献では、薔薇を「紫」だとしているようである。でも、中国原産の薔薇の画像を見てみると、ほとんど深紅とか、白とかのような気がするが、どれが紫だ?まぁ、薄い紫色のもあるか。この辺が典拠か?
どちらにしても、この五雲悟禅師には紫に見えたのだろう。そしたら、別の文献では、「薔薇に黄紫在り」という指摘もあった。黄色がかった紫ということか?こういうことを書いていて、自分が如何に色に詳しくないか分かるが、仏教語の色はとらわれの対象にもなるから別に良いか。
東山の久しきに向かわず、薔薇幾度か花せん。
『禅宗頌古聯珠通集』巻10
これだと、薔薇は何度も花開くという意味になっているが、確かに、薔薇は「四季咲き」だとされているので、自生している薔薇を見ながら、「あいつ、いっつも咲いてんな」くらいの内容なのかもしれない。
満架の薔薇一院の香。
『宗鑑法林』巻39
満架、というのは、架(棚の一種)の上にどっさり載せられた薔薇の香りが、その建物に満ちている、くらいの内容だと思われるので、ここで「薔薇の香り」についての話も出てきた。
無憂樹下に嬰孩に浴び、清暁の薔薇、露開を帯びる。
天童如浄禅師
中国禅の天童如浄禅師も、このような「薔薇」を用いた言葉を遺している。これは、釈尊降誕会に因む内容のようだ。それで、薔薇は朝方は満開ではないようだが、開くこともあるという。その辺を読まれたのだろうか?というか、薔薇という言葉を用いることに、どういう意味があるのか?この辺は良く分からない。
どちらにしても、薔薇の花は紫で、何度も開くし、香りも強い、そんな理解で良いのかな。
この記事を評価して下さった方は、
