つらつら日暮らし

『菩薩五戒威儀経』について

とりあえず、以下の一節を見ていきたい。

菩薩五戒威儀経に云く、「比丘、四重を犯せば、更に受路無し。菩薩犯すと雖も、脱すれば更に受くべし」。
    卍山道白禅師『禅戒訣』、『卍山広録』巻47所収


ここに、『菩薩五戒威儀経』と出ているのが気になった。勉強不足の当方は、これがどの経典を指すのか、今一つ理解していなかった。なお、少し調べてみると、中国明代の『梵網経略疏』という文献に同名の経典が挙げられているので、どうも存在していたらしい。

それで、引用文の内容から見てみると、求那跋摩訳『優婆塞五戒威儀経』に、同文が出ていることを確認したし、更に明代成立の『在家律要広集』では、『菩薩優婆塞五戒威儀経』という名前で転載されていることも確認した。

よって、卍山禅師はこの経典を引用していることは明らかだと言えよう。

ところで、『優婆塞五戒威儀経』という名前であれば、在家五戒についての話になりそうなものだが、確かに卍山禅師の引用文を見ても、これは菩薩戒の本質「一得永不失」を示している。つまり、ただの「在家五戒」の話ではなく、「菩薩戒」としてのありようを示しているのである。

その点で同経典を見てみると、このような教えも見られる。

 是の如く菩薩戒に住する者、四波羅夷法有り。
 何等をか四と為すや。
 若し菩薩、利養の為の故に自讃毀他す、是れを菩薩の波羅夷と名づく。
 若し菩薩、多く財物を饒し、貧苦の人来たりて乞索するに従い、菩薩、慳貪して慈心有ること無く、乃至、不施一銭の物も施さず、求法の者有りて、乃至、為に一偈をも説かざれば、是れを菩薩の波羅夷と名づく。
 若し菩薩瞋りて、前人に於いて悪言罵辱し、加以、手で打ち及び以杖石を以てするも、意、猶お息まず。前人、悔を求めて善言にて懺謝するも、菩薩、猶お瞋憤の結を解かざれば、是れを菩薩の波羅夷と名づく。
 若し菩薩、自ら菩薩の法蔵を謗り、若し人の善を謗るを見て、可と其れを言えば、既に自ら信ぜず、他の言を助くるに反し、若し心、自ら解して或いは他に従って受くれば、是れを菩薩の波羅夷と名づく。
 是の如くの菩薩の四波羅夷、菩薩、中に於いて応に一つも犯すべからず。
    『優婆塞五戒威儀経』


それで、この「菩薩四波羅夷法」であるが、具体的には「不自賛毀他戒」「不慳法財戒」「不瞋恚戒」「不謗三宝戒」に相当する。いわば、『梵網経』に於ける「十重禁戒」の後半4つになるといえよう。ただし、この4つが「優婆塞五戒」という経典に出ている意味としては、在家五戒に加えて、菩薩としての生き方を追加したともいえよう。

ただし、気になるのは、「不説過戒」だけがスカッと抜け落ちてしまっていて、更に、「不酤酒戒」は、一般的な在家五戒では「不飲酒戒」である。よって、意味合いが少しく違っている。まぁ、その辺は同経を見ても分からないので、仕方ないか。

そういえば、この経典を知ったことで、また、色々と記事にしてみたい文脈も出て来たので、機会を得てまとめてみたい。

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