つらつら日暮らし

今日は「昭和の日」(令和5年度版)

今日、4月29日は「昭和の日」である。拙僧が生まれた頃は、昭和天皇のお誕生日であった。今、色々と必要に駆られて、第二次世界大戦の終戦後の状況を学び直している。そこで、やはりその時に起きた大事件は、昭和天皇による「人間宣言」だと思うのだが、これは行われたこと自体は世間で知られていても、経緯は余り知られていないと思うので、今日はその辺を考えてみたい。

まず、その「人間宣言」だが、実際には昭和21年1月1日に発せられた『官報』号外に掲載された文章であり、内容は明治天皇が発した『五箇条の御誓文』を挙げつつ、改めて公明正大なる日本社会を作ろうという強い御決意に合わせて、天皇を神とする世界観を否定したのであった。該当箇所は、以下の通りである。

然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。
    『詔書』、『官報』号外・昭和二十一年一月一日(国立国会図書館)


今では、以上の通り国立国会図書館のサイトから、全文が閲覧可能である。そして、ここで昭和天皇が仰ったこととは、皇室と国民との関係は、相互の信頼と敬愛が基本にあったとしつつ、従来用いられてきた「神話と伝説」を否定し、その中で、天皇を「現御神(あきつみかみ)」とし、日本国民が他民族に優越であるとする架空なる観念を批判したのであった。

この一節が発せられる過程は、それなりに複雑であった。まず、直接の原因となったのは、前年にGHQが日本政府に向けて発した通称「神道指令」である。その中に、上記の「人間宣言」に共通する内容が見られる。

(ヘ)本指令中ニ用ヒラレテヰル軍国主義的乃至過激ナル国家主義的「イデオロギー」ナル語ハ、日本ノ支配ヲ以下ニ掲グル理由ノモトニ他国民乃至他民族ニ及ボサントスル日本人ノ使命ヲ擁護シ或ハ正当化スル教ヘ、信仰、理論ヲ包含スルモノデアル
(1)日本ノ天皇ハソノ家系、血統或ハ特殊ナル起源ノ故ニ他国ノ元首ニ優ルトスル主義
(2)日本ノ国民ハソノ家系、血統或ハ特殊ナル起源ノ故ニ他国民ニ優ルトスル主義
(3)日本ノ諸島ハ神ニ起源ヲ発スルガ故ニ或ハ特殊ナル起源ヲ有スルガ故ニ他国ニ優ルトスル主義
(4)ソノ他日本国民ヲ欺キ侵略戦争ヘ駆リ出サシメ或ハ他国民ノ論争ノ解決ノ手段トシテ武力ノ行使ヲ謳歌セシメルニ至ラシメルガ如キ主義
    国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件(文部科学省)


こちらは、1945年(昭和20)12月15日にGHQから日本政府に発せられており、全体は4項目からなり、第1項目が13条、第2項目が6条、第3・4項目は各1条のみであり、上記一節は、第2項目の一節である。そして、上記を見れば分かるが、日本の軍国主義や、過激な発想を「イデオロギー」に見ており、それを廃止するように求めたのである。天皇については、(1)が該当し、国民は(2)である。これらを承けたのが、「人間宣言」だったのである。

また、この「神道指令」自体にも、更に遡るポイントがあって、それはポツダム宣言そのものである。同宣言は、1945年(昭和20)7月26日にアメリカ合衆国大統領、中華民国政府主席、グレート・ブリテン国総理大臣がドイツ東部のポツダムで会議を行ったという体裁を採り、3カ国首脳の連名で日本国に発せられた降伏勧告である。その中に、日本の「イデオロギー」に関する指摘がある。

十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
    『ポツダム宣言』(国立国会図書館)


ここだけを見ても、「イデオロギー」に関わる問題が扱われているとは理解出来ないかもしれないが、実は、「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」とあることが、理由となっている。何故ならば、日本の戦前の「イデオロギー」は、天皇や神道に対する信仰を、臣民の義務として扱うことで、初めて意味をなした。しかも、そのために、『大日本帝国憲法』第28条は、「信教の自由」を扱うが、実態は制限付きだったのである。その制限を行う意義こそが、問題となった「イデオロギー」であり、それを解体し、「宗教」も含んだ自由を基本的人権として尊重することを求めたのである。

よって、これは状況をただ繋いだだけであったが、軍国主義の日本を解体することが、同時に「信教の自由」の実現になったという裏表の関係性があり、その紐帯に、実は昭和天皇自身がおられたという様子が見えてくるのである。

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