つらつら日暮らし

三帰戒が無かった頃は二帰戒だった

ちょっと面白い一節を見出したので、採り上げておきたい。

受け已りて、語りて言く、「汝等、当に、仏に帰依し、法に帰依すべし」と。即ち二自帰を受く。是れ人中の二賈客の為に、最初に二自帰を受く。
    『五分律』巻15「第三分初受戒法上」


以上である。これは、釈尊が成道された後で、まだ弟子がいない状態で受けた布施についての話しである(『四分律』巻31にも同趣旨の文章あり)。よって、「仏・法」への帰依を促しているものの、「僧」がまだ無いのである。よって、「二自帰」としている。この件について、以下の記載もある。

五分律に云く、初めて仏、成道して二賈客及び女人須闍陀、并びに五比丘の為に、皆な二帰縁を受く。未だ僧の有らざるが故に〈此れ小乗の別体住持三宝の説に就くなり〉。
    『釈氏要覧』巻上「二帰戒」項


なお、『釈氏要覧』は、先に挙げた『五分律』の説をまとめてしまっているのだが、上で引いたものは、「二賈客」に対するものであった。そして、他には「スジャーター」と、五比丘のために二帰依を受けたとしているのである。

改めて、何故「二帰依」かというと、仏陀は成道されているので、帰依の対象としての仏、そして、法を得て成道しているので、帰依の対象としての法は確立されている。だが、まだ最初の弟子がおらず、というか、むしろ、最初の弟子になった「五比丘」であっても、「二帰依」となっているのである。

それで、拙僧の興味は、この最初の五比丘は、この後、僧への帰依はしたのかな?ということと、他の事例はあるのかな?と思った。拙僧の拙い調査能力では、五比丘のことは良く分からなかった。それから、他の事例は無い。五比丘が出来てしまえば、後は三帰依になるのである。

仏教の始まりって、調べてみると結構面白いのである。

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