冬安居を失却して後、唯だ夏安居のみを知るを以ての故に、一箇の臘字、呑吐不下し、終に臘を以て臘と為し、臘人氷の妄談有るに至る。
風穴沼、僧問う、夏、今日終わる、師意如何。
師曰く、鵞の護雪を憐れまず。且く蠟人氷を喜ぶ。
長慶暹、僧問う、長期道を進む、西天、臘人を以て験と為す。未審、此の間、何を以てか験と為すや。
師曰く、鉄弾子。
瞎堂遠、因上問うて曰く、相将結夏す。
師、奏して曰く、此れ乃ち叢林の成規、西天、結夏日に於いて、蠟人を鋳し土窟中に蔵す。九十日を結びて、戒行精潔、則ち蠟人氷なり。然らずば、則ち蠟人全ならず。故に号して僧蠟と為す。
是れを禅林の公談と為すなり。
『面山広録』巻24「冬安居辯」、原典に従いつつ訓読
さて、前回までの話の中で、「冬安居」という言葉が失われ、その代わりに「臘」という語句が使われるようになったのではないか、という仮説が存在していたのだが、その説が徐々に、面山禅師の中で形をなしていった様子が理解出来よう。
その中で、面山禅師の関心は、「臘人氷の妄談」に向かっている。なお、若干時代的に先行する、臨済宗妙心寺派・無著道忠禅師も『禅林象器箋』巻4「法臘」項で、やはり同じ問題を提起しているため、当時の日本でこの語の問題が共有されていたと見て良い。
それで、問題点は以下の2つである。
①臘と蠟の字の混同
②臘人氷のエピソード自体の問題
詳細は次回も含めてお伝えしていくが、今回の結論からすると、面山禅師は、蠟人氷の話が「臘人氷」となって、更にはそれが、安居中に於ける戒行の正しさを示すものとなり、その上で、修行して年を一歳重ねることを「僧臘」と表現したと考え、「叢林の公談」とまで表現している。
つまりは、或る種の権威化をしており、そのため、禅問答にも「臘人氷」が出るのだが、大きな問題がある。それは明日示すことが出来ると思う。
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