色に五大色有り、黄・赤・青・黒・白なり。黄色は、欝金根黄藍染なり。赤は、羊草落沙染なり。青は、或いは藍黛と言う,是れ或いは其の流れと謂い、即ち是に非ざるなり。是れ亦た禁ず、余は未だ其の本を識らず。
『薩婆多毘尼毘婆沙』巻8
以上は律蔵の註釈書だが、ただ、袈裟の布地の色を書いているように見えるだけだが、実はこれは「禁止された色」であり、「正色」などともいう。そして、用いて良い色は「壊色」とされ、これを指す言葉「カシャーヤ」をもって、「袈裟」と翻訳されている。
若しくは比丘、新衣を得れば、当に三種の壊色なるべし。若しくは一一の壊色、青・黒・木蘭なり。若しくは三種、一一の壊色にて作らず、受用するは、波夜提なり。
『摩訶僧祇律』巻18
以上の通りで、袈裟は壊色で作るべきだということが分かる。そして、その際の色は青・黒・木蘭の三種なのである。ところで、そうなると、「赤袈裟」とはどう考えるべきなのだろうか?「赤袈裟」で、非常に有名な記述は、以下の一節であろう。
季の御読経の威儀師、赤袈裟著て僧の文ども読みあげたる、いとらうらうし、
『枕草子』151段「えせものゝ所うるをりの事」
この一節だが、写本によって本文に異同があり、こちらは「いとらうらうし」となるが、「いときらきらし」の場合もあるという。前者の場合、「良良し」だと「気高く美しいさま」であり、「労労し」だと「巧みである、慣れている」の意味である。また、後者は「煌煌し」と書いて、「際立っている、目立っている」の意味であるという。
つまり、どちらの意味にしても、「えせもの」と表現されるほどではないといえるのだが、この場合、後者の意味で採って、無駄にキラキラしている様子を批判したと見るべきであろうか。
さて、問題は清少納言の見解ではなくて、ここでいわれている、「威儀師」と「赤袈裟」との件である。前者の「威儀師」とは、一般的には「儀式の式をする職」と説明されることが多い。それから、『枕草子』の註釈では、以下のような引用文が見られる。
官職便覧に云く、延暦十三年九月三日延暦寺供養記云く、奉行僧二人〈威儀師・従儀師〉、始めて赤袈裟を賜ふ、云々。
『枕草子春曙抄』
この『官職便覧』自体を見たいと思ったが、残念ながら全文は見ることが出来なかった。本書の概要として、著者は平田職忠(1580~1660)という有職家であり、全部で55巻55冊だという。それで、『官職便覧』全文は見られなかったが、その枢要のみを記した『官職知要』という文献で、前半は上記の引用文と同じだが、後半は以下のように書かれている文章を見付けた。
此時、威儀師は円也〈年七十五〉、従儀師は賢算〈年六十八〉、綱所の赤袈裟を著くる濫觴なり。
『官職知要』巻中
どうも、威儀師などが赤袈裟を著けたのは、この延暦13年(794)のことだったらしい。それにしても、何故、「赤袈裟」だったのだろうか?例えば、最近容易に可能になった『大蔵経』での検索を用い、「赤衣」と「赤袈裟」で調べると、前者が圧倒的に多いのだが、意味としては多様であり、むしろ、「赤袈裟」は確実に今回の疑問点に当てはまる。
それで、密教系の経論に於いて、諸仏・諸菩薩・諸天などの紹介に「赤袈裟」が見られる。よって、密教系の経典がもたらされない限り、「赤袈裟」はなかったと言える。その推測と相応するのが、以下の指摘である。
龍湫の不動明王画像は、白衣を着け、赤袈裟を披してゐるもので、白衣は白犬の毛に擬し、赤袈裟は不動明王の火焔に比したものであると云ふ。
鷲尾順敬『日本仏教文化史研究』冨山房・1938年、401頁
これは、なるほどと思わせた。だが、不動明王の火焔をまねして、威儀師に着けさせたというのも話が通じにくい。そう思っていたら、赤袈裟よりも、いわゆる緋袈裟の方が一般的だという見解もあるようだが、この「緋」というのは、元々皇室が身に着ける色だったともいうのだが、それに準じたものか?!
詳しいことは、分からなかったが、今後にもう少し検討することが可能になった気がするので、今日はここまでにしておきたい。
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