つらつら日暮らし

「持律六徳」について

以前、【「一人布薩」の問題について】という記事をアップした際に、「持律六徳」について書かれた文献を見た。今日は、その内容を精査してみようという話である。

 云何が持律六徳なるや。
 一つには波羅提木叉を守領し、
 二つには布薩を知り、
 三つには自恣を知り、
 四つには人に具足戒法を授けることを知り、
 五つには人の依止を受け、
 六つには沙弥を畜うることを得る。
 是れを六徳と名づく。
    『善見律毘婆沙』巻16


まず、この六種類を総じて見てみると、自分自身の修行や持律についてよく知っているという分があって、後は、後進の者に教えるという側面の分とがある。ところで、これは「持律」と呼ばれるための「6つの特性」を意味すると思うのだが、まず、自分自身で波羅提木叉(戒)を守るのはその通りである。ここが無くては話にならない。『四分律』であれば二五〇戒とはいうが、その前後の数となる戒本をしっかりと守らなくてはならない。

それから、布薩と自恣は、自らの持戒の確認であると同時に、もし破ってしまった場合の反省を示す。これをしっかりと行うことで、自らの持戒を繕うのである。

その上で、初めて他の者へ具足戒を授けることが出来る。この一節から、おそらくこの「持戒六徳」については、出家してから10年以上で、和尚となれる比丘を想定していることが分かる。

よって、他者の依止(比丘として学ぶのに、身を寄せて教わる相手のこと)を受けることが出来る。要するに、他の比丘に、持戒の方法を教えられることをいう。他者へ教えるというアウトプットは、自分自身が学ぶのに、とても優れた方法である。よって、実は、これこそ、「持戒の徳」ともいえる。

そして、最後には、自分が出家させた「沙弥」を側に置くことが出来るという。実際に、「沙弥」に為るための条件については、希望者本人の年齢などはあるけれども、指導者側には意外と決まっていないことが多い。ただし、依止と同じように、こちらもまた指導者としての態度などを問われるものである。

そのため、これらが「六徳」としてあるというのは、持戒を確実に行う方法として、確立されたものだったという推定もできよう。

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