仏言わく、「善来、比丘」、鬚髪自ずから落ち、法衣身に著け、便ち沙門と成り、具足戒を獲る。
『別訳雑阿含経』巻4
何が書いてあるかというと、釈尊が「善来、比丘(ようこそ、比丘よ)」と告げると、ヒゲや髪が自ずから抜け、法衣(袈裟)を身に着け、姿が沙門になり、しかも具足戒(比丘として必要な戒)も得たとしているのである。いわゆる「善来、比丘」は「自動沙門生成の呪文」のような見え方がするのだが、こういった幻術的表現について、篤胤はうるさかったようなので(世が世なら、篤胤は『月刊ムー』の編集者になっていたのでは無いか?)、以下のような評を述べている。
こゝに五人の者の云には、我を今仏法に於て出家して道を修せんと思ふといつたる所が、悉多がうなづいてかの五人を善来比丘と一声いふと、鬚も髪も自におちて、くりくり坊主と成、自に袈裟衣が著てしやんと沙門の形になつたでござる。こゝらがとんと尾上松緑が早替を見る心地がするでござる。なんと手妻で在ませんか。この手妻をつかつて人おくりくり坊主にしたる事夥しく有。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』56頁
個人的には、「くりくり坊主」という言葉、篤胤も多用していたところが気になっている。「くりくり」とは剃った頭が丸い様子を示すのだが、『日本語オノマトペ辞典』(小学館・2016年第4刷)を見てみたところ、「くりくり」は「丸くて愛らしい感じのするさま」として、立項されていた。ただし、「くりくり」の古い表現は、室町時代には見られるようで、「回転が続くようすや回転が続きそうなほどに丸いもの、めまいがするようす、さらには機敏に立ち働くさま」として使われているという(前掲同書105・107頁)。ただし、元は「くり」だけで回転や丸さなどを表現しており、それを続けることでオノマトペとして表現が膨らんだようである。
篤胤の『出定後語』は、講演録の体裁を採っているので、オノマトペは篤胤自身が述べたものだったのだろう。発話として見ていくと、確かにこういう表現は、話を軟らかくする効果が見られる。篤胤はこの「くりくり」を何度も用いている。
悉多がざまは彼三十二相八十種好とかいふ顔容で、威あつて丈高く見ゆるから、まづひらたくなりて足を戴き吾が苦を救ひ給へといふ。そこで色々とあはれつぽいことを云てきかして、然らばその法に帰したいと云と、悉達が彼善来比丘と一こへ云と、車匿・憍陳如らのように自然に髪が落ち沙門の形となる。夫をたずね此耶舎の父の来ると、また彼神通でおかしな心持にしてそれも我が道に引入れ、またこの耶舎の友とする者ども五十人もあつた時に、耶舎の縁によつてこれおも出家したく成やうに仕かけて、吾許へつりよせて説法し、さて出家したいと云人をくりくりにしてまはる。これはまあ何とも名づけやうのない山事でござる。
前掲同著・56~57頁
こちらの「耶舎」やその関係者についての話は、やはり篤胤の教えのネタ本になっている『過去現在因果経』巻4の概要を示したものである。もちろん、そこには「くりくり」などというオノマトペ表現がされているわけでは無い。それは篤胤の追加部分であるし、また上記の内容を、「彼神通でおかしな心持にしてそれも我が道に引入れ」とか、「これおも出家したく成やうに仕かけて、吾許へつりよせて」とか、如何にも不思議な技を使ったかのように表現しているのが、篤胤の言い方、まぁ、仏教への悪意ともいえる。
とはいえ、耶舎とその父の一件はそう言いたくなるのも分かる気がする。何故ならば、耶舎は父に何も言わずに急に家出し、そして釈尊の弟子になってしまった。耶舎の父は、自分の子供を探して釈尊の下に辿り着き、耶舎の心持ちを聴いて、自分も出家の道を選んだのであった。それは、耶舎の友人50人も同様であった。とはいえ、これも現代的には、カルト的に見えなくも無いかもしれない。ただ、大切なこととして、釈尊の弟子の比丘は、自分の意志で辞めることが出来た、つまり、「還俗の自由」があったことを、知っておかねばならないのである。篤胤はそれを知っていたかどうか?!一応調べた限りだが、篤胤は複数の著作で「還俗」について言及しているようなので、知っていたと考えるべきなのだろう。
それから、すっかりすっ飛ばしてしまったが、篤胤が尾上松緑(おのえしょうろく)について言及していたところにも注目しておきたい。篤胤の生没年は1776~1843年とされるので、この松緑は初代のことであろう。初代・尾上松緑の生没年は1744~1815年とされ、篤胤がその舞台を見ていたとしても不思議ではない。「早替」とは、役柄の演じ分けに関わる用語であり、「早替り(文化デジタルライブラリー)」などのページもあるので、ご参照願いたい。これらの専門用語を使っていた篤胤、意外と歌舞伎ファンだったのだろうか?!
【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し
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