つらつら日暮らし

釈尊による病比丘への臨終説法

仏教が行う臨終行儀には、色々なことがあるけれども、やはり仏祖が行ったことを1つの事例として、後代の法孫たる我々は実施すべきなのだろう。以前から個人的にはこの辺に興味があったのだが、釈尊は臨終を迎えようとしている出家者に対して、法を説いたことも知られている。

状況としては、出家して間もなかった見習い僧(かなり若いと思う)が、重い病気にかかってしまったので、他の比丘が看病していたらしい。しかし、いよいよ重篤になったのか、その比丘は釈尊に対し、病比丘に慈悲を垂れて、導いてくれるように頼んだ。釈尊はその願いを聞き入れて、病に苦しむ年少僧の下に行った。そして、その病の年少僧は、自分がまだ若く、このまま死んでしまうのは、大きな後悔があると釈尊に申し開いたのである。そして、釈尊は戒律でも犯したのか?と尋ねられたが、病比丘はそうではありませんと答え、以下のように申し上げた。

病比丘、仏に白す、「世尊、我れ年幼稚にして出家して未だ久しからず。人に於いて過ぎるの法勝妙知見、未だ得るところ有らず。得る所有るは、我れ是の念を作す、『命終の時、何れの処に生じるかを知らん』と。故に変悔を生ず」。
    『雑阿含経』巻37


そして、釈尊は、この者に対して「幾つかのことを尋ねるので、その意のままに答えなさい」というと、「眼があるから、眼識(眼に関する認識がある)ということだろうか?」と質問した。病比丘は、「その通りです」と答えた。更に釈尊は、眼觸(眼の感覚が機能すること)によって「受」となるが、その中に苦や楽はあるだろうか?それとも、苦でも楽でもないだろうか?」と尋ねられると、病比丘は最後の「苦でも楽でもない」ことについて、「その通りです」と答えた。

このように、釈尊は六識について尋ねられ、その病比丘は全てを正しく答えた。つまり、今自分が得ている感覚は、感覚器官とその対象が觸したことによって生じたことを「受」しているだけであり、そこには苦も楽も無く、主体=我も無いということを、しっかりと会得していたのである。

そこで、釈尊は、以下のように締めくくった。

 「是の故に、比丘よ。当に善く是の如き法を思惟すべし。善い命終を得て、後世も亦た善し」。
 爾の時、世尊、病比丘の為に種種に説法し、示・教・照・喜し已んぬ。坐より起ちて去る。時に病比丘、世尊去りて後、尋いで即ち命終す。命終の時に臨んで、諸根喜悦し、顏貌清浄、膚色鮮白なり。
    同上


つまり、先に挙げたことがよく分かっているのであれば、命終も後世も、とても善いことになるからと安心させ、悩まずに死ぬことを教えたのである。結果、その年少僧は穏やかな死を迎えることが出来た。

そして、看病していた比丘は、その年少僧の最期の様子、大変に穏やかな死を迎えたことを釈尊に報告したところ、以下のように仰った。

 仏、諸比丘に告げたまはく、「彼の命過比丘、是れ真に宝物なり。我が説法を聞いて、分明に解了し、法に於いて無畏にして、般涅槃を得る。汝等、但だ当に舎利を供養すべし」
 世尊、爾の時、彼の比丘の為に、第一記を受(さず)く。
    同上


このように、釈尊はその穏やかな死を迎えた年少僧を、宝物であり、般涅槃を得たと最大限の讃歎をし、しかも、周囲の比丘達に、この者の舎利を供養することまで命じつつ、授記を行った。いわば、成仏疑い無しだと認めたのである。このことから、死ぬ間際にあって、ただの一句も聞き逃すまいとする集中力は、たちどころにその当人を涅槃に入らせるのである。そして、涅槃に入るのに、年齢や経験は関係が無い。それこそ、釈尊の説法を「分明に解了し」、その結果、「法に於いて無畏」であれば良いのである。

これこそ、後の禅宗でも表現された、「只這是(中国禅宗青原下、雲巖曇晟禅師の言葉)」の境涯である。

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