実家に帰省してたなり。
色々思う事があった度なり。
今回はセントレアからLCCに乗って福岡入り。
関空に比べて早くていい。関空遠い。
セントレアはコンパクトでいい空港だと思う。歩くエスカレーターの多さが良い。
福岡についた。雲が多くあまり下は見えなかったが、
福岡に近づくにつれ、雲間から海が見えた。
海は紺色、暗く深い色に波はうねり、白波が刹那の紋様である。
上空から見下ろした海には雲の影が映り、複雑な形が写り込む。
それらは海から突き出した島のように見え、イザナギの国造りはこのように始まったのかと思いました。
それからとんこつラーメンを食べて久しぶりに手がとんこつ臭くなる。
バスに乗りフェリー乗り場。船便の関係上高速船。
波は多少荒く酔う。
船着き場には父がいる。
家に帰るとスーパーの寿司と刺身をいただく。
線香を母に上げる。冬なので納骨した骨壺に掛けるマフラーを編んだものを持ってきたので父に預ける。
1日目はだいたい私の愚行の反省会である。
今回はやや趣向が異なり、
父は、自分が単身赴任しなかったら荒れた10代ではなかったのかと聞いてきた、
ちょっと驚いたが正直に、そう思うと答えた。
名前の由来は、以前は素直な子供になる様に、と答えていたが、
本当は母の一番の友達の名前を付けたとやっと真相を言って来た。
私はずいぶん前にそのことに気が付いていたが、10代の荒くれティーンの時は
手抜きのようにも感じたものだが、今となっては父から母へのギフトの一つである。
ちなみに名づける時、母に母の友達の名前を付けていいかと聞いたらしい。返事はいいよ、だった。
その友達は最後にも母を送った人だった。
なぜ最初からいわないのかな、私はもう20年も前にそのことを気づいていたのだが。
それから母が死んだ時ここに残ってもしょうがないから、私の姉、父の娘がいる家に行こうかと
おもったらしいが、母が死ぬ前に
娘の帰ってくる場所が無くなるからしばらくいなさい、という母の言葉があったらしい。
娘というより私のことである。
そういう話のあと、とにかく、おかえり。と言う言葉で終わる。
父の携帯の機種変更に行く。
あまり横から茶々入れるとよくないのでスマホをいじる。
スマホは面白そうだが、持ち始めるとネットばかりしてしまうのが分かっているので
やはり積極的には慣れない。
父はずいぶんと弱っているようだ。気持ちがずいぶんと弱ってる。
最初帰った時はちゃんとやってるアピールがあったのだが
今回はもう年、精神が病んできた、などと繰り返すので、
止めろというより、もっと言わせた。弱音も本音も誰かがいないと話せるものじゃないので
どんどん言えばいい。言葉の力がすごいからきっと言葉に体が追い付く日が来るだろう。
でもそれは適切な寿命であるだろう。さびしいが気力がなければ人間は生きるのは難しい。
気力を出せというのもなんだか筋違いな励ましなように思える。
あの時「そんな風にいわないの」と姉のように言った方がよかったのかと思う日が来るのかもしれないが
口に出したいことは口に出せ、出せる相手なら尚更だ。
その上で生きる生きないは自由だ。ただし私は心の中に嵐が吹きすさぶほどさびしい。
全ての物が壊せるなら壊すだろう。それくらい悲しくてさびしい。伝えるべきはこの言葉なのだろう。
お土産をたくさんもらう。
皆私の帰りを喜んでくれる。
よつばと宇宙兄弟と関ジャニ8を買った。
定価で買うものは島で買うんだよ。もって帰るのが重いがしょうがない。
水炊き・ちゃんぽん・シチュー・寿司・水イカ松イカの刺身
鯛と鰤の仲間と何かの刺身・イカと水菜のバター炒め・シシャモ・ウニ・
サクラ干し・いわしサクラ干し・味噌汁・ネギ玉子焼き・
ご飯はこんな感じ。
帰りは台風が近づいていたので荒れた。
色々思う事があった度なり。
今回はセントレアからLCCに乗って福岡入り。
関空に比べて早くていい。関空遠い。
セントレアはコンパクトでいい空港だと思う。歩くエスカレーターの多さが良い。
福岡についた。雲が多くあまり下は見えなかったが、
福岡に近づくにつれ、雲間から海が見えた。
海は紺色、暗く深い色に波はうねり、白波が刹那の紋様である。
上空から見下ろした海には雲の影が映り、複雑な形が写り込む。
それらは海から突き出した島のように見え、イザナギの国造りはこのように始まったのかと思いました。
それからとんこつラーメンを食べて久しぶりに手がとんこつ臭くなる。
バスに乗りフェリー乗り場。船便の関係上高速船。
波は多少荒く酔う。
船着き場には父がいる。
家に帰るとスーパーの寿司と刺身をいただく。
線香を母に上げる。冬なので納骨した骨壺に掛けるマフラーを編んだものを持ってきたので父に預ける。
1日目はだいたい私の愚行の反省会である。
今回はやや趣向が異なり、
父は、自分が単身赴任しなかったら荒れた10代ではなかったのかと聞いてきた、
ちょっと驚いたが正直に、そう思うと答えた。
名前の由来は、以前は素直な子供になる様に、と答えていたが、
本当は母の一番の友達の名前を付けたとやっと真相を言って来た。
私はずいぶん前にそのことに気が付いていたが、10代の荒くれティーンの時は
手抜きのようにも感じたものだが、今となっては父から母へのギフトの一つである。
ちなみに名づける時、母に母の友達の名前を付けていいかと聞いたらしい。返事はいいよ、だった。
その友達は最後にも母を送った人だった。
なぜ最初からいわないのかな、私はもう20年も前にそのことを気づいていたのだが。
それから母が死んだ時ここに残ってもしょうがないから、私の姉、父の娘がいる家に行こうかと
おもったらしいが、母が死ぬ前に
娘の帰ってくる場所が無くなるからしばらくいなさい、という母の言葉があったらしい。
娘というより私のことである。
そういう話のあと、とにかく、おかえり。と言う言葉で終わる。
父の携帯の機種変更に行く。
あまり横から茶々入れるとよくないのでスマホをいじる。
スマホは面白そうだが、持ち始めるとネットばかりしてしまうのが分かっているので
やはり積極的には慣れない。
父はずいぶんと弱っているようだ。気持ちがずいぶんと弱ってる。
最初帰った時はちゃんとやってるアピールがあったのだが
今回はもう年、精神が病んできた、などと繰り返すので、
止めろというより、もっと言わせた。弱音も本音も誰かがいないと話せるものじゃないので
どんどん言えばいい。言葉の力がすごいからきっと言葉に体が追い付く日が来るだろう。
でもそれは適切な寿命であるだろう。さびしいが気力がなければ人間は生きるのは難しい。
気力を出せというのもなんだか筋違いな励ましなように思える。
あの時「そんな風にいわないの」と姉のように言った方がよかったのかと思う日が来るのかもしれないが
口に出したいことは口に出せ、出せる相手なら尚更だ。
その上で生きる生きないは自由だ。ただし私は心の中に嵐が吹きすさぶほどさびしい。
全ての物が壊せるなら壊すだろう。それくらい悲しくてさびしい。伝えるべきはこの言葉なのだろう。
お土産をたくさんもらう。
皆私の帰りを喜んでくれる。
よつばと宇宙兄弟と関ジャニ8を買った。
定価で買うものは島で買うんだよ。もって帰るのが重いがしょうがない。
水炊き・ちゃんぽん・シチュー・寿司・水イカ松イカの刺身
鯛と鰤の仲間と何かの刺身・イカと水菜のバター炒め・シシャモ・ウニ・
サクラ干し・いわしサクラ干し・味噌汁・ネギ玉子焼き・
ご飯はこんな感じ。
帰りは台風が近づいていたので荒れた。