<「水吞場」の一角>
●歩いた日:2021年3月20日(土)
●歩いた所
・新谷地(四ツ屋):丹波窪、千刈久保、虎ノ口、小萱場、吉清館、上台、水吞場
・四ツ屋(四ツ屋):下原野、上原野、水吞場
・花館 :上大戸
※「水吞場」は、「新谷地字水吞場」と「四ツ屋字水吞場」がある。
●歩いたログ(足跡)(道のり4.3km)
(以上の地図:国土地理院)
(📷11に写る十字路から)広い新しい道を少し行くと、右手に田んぼ中を西にまっすぐ延びる道があるので、そちらに向かう。
この辺りで左足が痛んできたので、水路にかかる橋に腰を下ろしてしばし休憩。
再び歩き始めて、しばらく進んだところで振り返る。
📷12:「新谷地」集落を望む
「新谷地」というと「小萱場」と「吉清館」をあわせた、写真の集落を指す。道奥右手が「小萱場」、左手が「吉清館」で、なかなか大きな集落である。
さらに道なりに進むと丁字路に至り、その脇に真新しい集落会館が建つ。
📷13:「水吞場会館」
奥の道を来たところ。「水吞場会館」と書かれた立派な看板がかかる。
集落としては「水吞場」であるが、地名を調べると「水吞場」(冒頭の「歩いた所」に書いたように「水吞場」には「四ツ屋字水吞場」と新谷地字水吞場)があるようだ)のほか「上台」、「千刈久保」、「丹波窪」となっている。
「地名へのいざない」で「水吞場」を見ると、湧水地で、縄文土器や勾玉の出土もあるようだ、とあり、古くから人が住みついた場所のようだ。また、ここは「玉川」の船着場であった、ともある。現在は少し離れたところを「玉川」が流れているが、昔はすぐそばを流れたいたのだろう。
道脇に桜の老木があり、その左横に、乗合タクシーの停留所を示す白い立て看板が見える。
会館のすぐそばに、屋敷林に囲まれた古い茅葺の家がある。道からのぞくと、無人になってしばらく経つのであろう、相当傷んでおり、屋根の広い部分にブルーシートをかぶせている。典型的な曲屋の大きな家で、このまま朽ちさせるのはいかにも惜しい気がする。
曲屋から引き返して西に向かう。
📷14:「上台」の一角
奥から手前に来たところ。道奥左手に「水吞場会館」が見え、その奥の屋敷林の中に曲屋の家が建つ。
立っている辺りは「上台(カミダイ)」ある。前述したように、この辺りには「丹波窪」、「千刈久保」があるが、「窪・久保」が低地なのに対して、やや小高いところが「上台」なのだろう。
道端にビニールハウスが立ち並び、その奥に家がある。
さらに少し行くと丁字路になる。そこを右手に少し行くと祠や石碑が立ち並ぶ。
📷15:「水吞場」の一角
赤い屋根は地蔵堂のようだ。建ち並ぶ石碑には「庚申」の文字が見える。
手元に「ふるさと四ツ屋(続編)」(四ツ屋を語る会)がある。その中の「地蔵様巡り6」で「水吞場集落を守る 地蔵様・仁王様・庚申塚」がある。それによると右手の二つの祠は「仁王様」と「観音様」のようだ。また、これらが建っている場所は個人の屋敷内で、この家は「江戸時代」の始めにここに定着しているので、その頃から徐々に建てられたのではないか、とある。「新谷地」集落同様、「水吞場」の集落もかなり古い歴史をもつようだ。
(その6に続く)
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