ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

旧中仙町長野を往く―1(その2)

2016年11月27日 | 旧中仙町を往く

●歩いた日:2016102日(日)

●ログ(道のり:8.1km

(地図:国土地理院)

📷005:曹渓寺」

  さらに進むと、「菅江真澄の道」の標柱がある。寺の名は「曹渓寺」とあり、その脇が寺へ通じる小路のようである。少し中の様子を見たいと思い入って行くと、「田沢湖線」のすぐ横に大きくて立派な寺が立っている。

 入口のそばに案内板があり、それによると、佐竹氏が秋田に入部(1602年)したとき、一族の佐竹北家を「長野」に配置したとある。そして、北家は、おおそよ50年後に「角館」に移るが、先祖の御霊屋(代々の墓)を「曹渓寺」に託したと書かれている。このことから、江戸時代初期、すでに「長野」は仙北平野の中心的な土地であったことがわかる。

  案内板のところで住職らしい人に出会ったので、会釈してそこを立ち去る。

 戻って「真澄の道」の標柱をカメラに収めている時、先ほどの住職らしい人が車で小路を出てきて、窓を開け話しかけてくる。近づいて行くと、私が真澄の道を訪ね歩いていると思ったらしく、真澄が県内に多くの足跡を残していること、北海道にまで足を延ばしていること、最後は仙北で亡くなったこと、などいろいろ話してくれた後に、「いい趣味だね」と言われたので、思わず赤面してしまった。

📷006:「羽後長野駅」

  さらに進んで「羽後長野駅」に着く。駅の自販機で缶コーヒーを買って一休み。いつの間にかウオーキング途中の缶コーヒーが楽しみになってしまった。復路は「長野」の裏?通りを行くことにして、駅から真っすぐ北西に伸びている道に歩を進め、振り返って駅をカメラに収める。 

 道の突き当りが駅舎、左手の青い屋根は「駅前町」の会館である。今日は日曜日で、清掃であろうか、町内の人たちが会館前でなにやら共同作業をしていた。


 ところで、駅前は家もあまりなくガランとした感じである。これは、駅が街から離れたところにつくられたせいだろうと思って、S23年の航空写真(国土地理院)を見てみる。

  写真下端、やや左寄りに広がる木立が「曹渓寺」である。その上の白い線が「旧角館街道」、右側の白い線が鉄道で、二つの線が近寄って建物が少し立ち並んでいるところが「長野駅」である。私が今歩いている、駅から北西に真っすぐ伸びる道もある。

  この写真で、当時は、「曹渓寺」から駅までの道の両側は家がほとんどなく、駅は街から少し離れた田んぼの中につくられたことがわかる。あちこち歩きながら、この辺は昔どんなだったろうと想像することは楽しみの一つである。

  次いでながら、この航空写真をみると、駅西側の田んぼの中の集落が、三日月状の形に浮かんだようになっているのが、非常に目を引く。このような姿は、河川に近いところでよく見られ、かつて玉川がこの集落の南側を蛇行していた痕跡を示していると思われる。

 この集落は、この後向かう「九日町」である。

(その3に続く)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 薄い雪化粧の「東山」 | トップ | 旧中仙町長野を往くー1(その3) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旧中仙町を往く」カテゴリの最新記事